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2021年3月21日日曜日

スノーボードにライセンスが必要だった時のこと

*いただいた情報を追記しました* 

邪悪で異端で除け者だったスノーボードが、一般化するまでの間にはいろんなことがあった。そう、今から振り返ると、めまいがするくらいに、マサカねって言うようなこともあった。

僕がイントラをやっていたスキー場は、スノーボードを積極的に受け入れた。でも、それはどちらかというと例外で、普通にお客様が来るスキー場は受け入れず排除するところがほとんどだった。そんな中で、独特の取り組みをしていたのが丸沼高原スキー場だった。

ゲレンデトップからの日光白根山 @Marunuma-kogen

スノーボードの受け入れを始めた丸沼では、スノーボーダーは最初に講習を受けなければならなかった。確か30分とか45分で、最初は有料だったのだが、途中から無料になったと記憶している(注1)。内容は、スノーボードの危険性と、リーシュ(流れどめ)の使い方。基本技術、装着して、スケーティングするまで。そして、リフトにどうやって乗降するか。で、これが済むと証明書が発行されて、リフト券を購入することができる。

ロープウェイの山頂駅 Marunuma kogen

で…その、受講証明書はリフト券ホルダーに入れて腕に付ける。つまり、リフト券ホルダーを2つ付けて、一つは証明書、もう一つがリフト券という使い方をした。そして受講証明書だけで乗れるのは下部のリフトだけで、広いが斜度の無いエリアだけを滑ることができた。

シーズンスタートは混雑する Marunumakogen

それもやむを得ないところがあって、丸沼の上部は勢いをつけないと止まってしまうところが1箇所(初心者スノーボーダートラップ)。そして、下降路には幅が狭いわりにスピードが出やすいところが数カ所ある。そこに一気に初心者スノーボーダーを大量投入しれたら、それはまずいよねという判断だったのだと思う。

で、スノーボーダー人口が広がるにつれて、中上級者も増えてくる。あなたが上級者であると認定されたら、特別な認定証(確か顔写真付き)が発行され、それがあれば全てのリフトに乗ることができた。どうやって認定されていたのかは、ちょっとわからない。その時僕はまだスノーボードをやったことがなくて、スキーに狂っていたから。

ほかのスキー場には雪がまだ無いので行列 Marunuma kogen

顔写真付きの上級スノーボーダー証をつけた人とは、なんどかリフトで一緒になった。みんな控えめでありながら、「プライドを持って、このスノーボードという遊びを広げて行くんだ」そんなオーラをまとっていたように思う。

丸沼高原や尾瀬岩鞍と言えば、ガチなスキーヤーの溜まり場。丸沼はライセンス制の元で、スノーボードを受け入れる方向に進み、岩鞍は逆に長い間スキーオンリーにこだわった。どちらがいいかというわけではない。ただ、それくらい、スノーボードに対する視線はいろいろだったということなのだ。

ところで、僕は、今考えると夢か幻だったのでは無いか?という記憶がある。

丸沼高原のスノーボードスクールのレッスンはかなり独特だった。で、初期のころ、ダブルポール(両手にストック)を持たせて、スノーボードのレッスンをしていたように思う。そのほうがスケーティングや、リフトの乗り降りもしやすいし、懐を広く取ることもできるから、みたいな。で、やがてポールを持たせることはやめて、それがフラフープになっていた。その理由はよくわからない。

一番驚いたのは、一本のボードに生徒さんとイントラが一緒に乗って滑っていたこと。アルペンボードだったように思うが、定かではない。ボードの先端から、生徒の左足、イントラの左足、生徒の右足、イントラの右足と、バインディングが4個、2セットついている。で、滑りながらイントラが生徒さんの耳元でアドバイスをするのだ(なにしろ、イントラと生徒は一心同体的に密着してすべることになる)。

あまりにもびっくりしたので、今でも覚えているのだが…この方式はあっといまに消えてしまったのではないか。誰が考えて、いつ始まって、いつ消えたのかよくわからない。そもそも、本当にそんなことが起こったのか、イマイチ自信がないくらいのことではある。

Location: Madarao

スキーバブルが弾けて、スキーヤーの平均年齢が上がり続け、若者はスノーボードにシフトしていった。そして、スノーボードの受け入れに踏み切るスキーリゾートがどんどん増えて行った。

Location: Madarao

尾瀬岩鞍も、長い間スキーヤーオンリーの「スキー場」で、隣接するかたしな高原スキー場とは共通リフト券を発行し、相互に行き来ができるようになっていた。で、岩鞍はスノーボードの受け入れを始め、かたしなはスキーオンリーを個性・売り物にする決断をし、連絡コースは閉ざされることになった。

過渡期において、積極的に変化を受け入れた丸沼高原スキー場、僕はすごいなと尊敬しています。

追記1 グンマー國のスキーと山岳の生き字引よりコメントいただきました
「ライセンスは制度終了の最後、お食事券に変換したとか…だったような」

追記2 当時はスノーボードをやっていて、今はサーファーの僕の元上司より
「丸沼高原スキー場はライセンス制度で、ビギナー、ミドル、エキスパートと3段階のライセンスで、滑れるゲレンデもライセンスに合わせて決まってましたよ。」

(注1)この投稿は(他のもそうですがw)あやふやになりつつある記憶を元に書いていますので、事実と異なる可能性があります。