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2025年6月10日火曜日

ブルベ始めて丸2年の振り返り

ボクのブルベデビューは、2023年の初夏「初めてブルベ200km」だった。

ゴールには受付が3つ並んでいた。一つはこの「初めてブルベ」。あと2つは前日スタートの600kmブルベだった。普通にしんどい600kmのヤツと、エグいしんどい600kmのヤツ。

スタート時間が違う3つのブルベ、ゴールタイムが近いので、まとめて受付してしまおうという…すごい合理的だよね。

ヒラメ筋どーん

ボクは初ブルベだったけど、先々は長いのにも挑戦したかった。だから、最初から400kmを前提に装備を揃えていた。そのせいか、ゴールした時は600km の参加者と間違えられて、そちらのゴール受付に案内された。

いやいやいやいや! 滅相もないです! 
600なんて無理!一生無理!
200の3倍なんて無理絶対!

そう言っていたボク、翌年は…まさしくこの同時開催の600kmを完走していたwww
その一年後のつい先日、この同時開催600kmをもう一度完走した

ブルベ始めてから丸2年、どんなふうに走って来たのかまとめてみよう。

2023年の6月に、ボクのブルベライフはこんな感じでスタートした

 BRM200km 初めてブルベ 完走
 AJP120km 那珂川 完走
 AJP270km 只見  DNF  CP通り越しちゃった。自走で帰還。
 AJP240km 楢葉  完走
 BRM300km 雲海を見に行こう 完走 ← これはキツかったw

この時、コロナの影響で開催期間(年度)が変則になっていた。11月スタートして翌年の10月までがブルベイヤー。ここまでで10月末を迎え、ボクの初年度はこれで終了した。

なんとなく、この遊びが自分に合っているように感じて、せっかくならSR 取りたいな思った。確実にSRゲットするために、シーズンが切り替わった11月から、新年度のブルベを走り始めることにした。

2024年のブルベ(厳密には2023年11月以降)はこんな感じ

 BRM200km 二関めぐり 完走
 BRM200km 田人 完走
 BRM600km 東関東600  獲得標高3,200m のフラットコース 完走
 BRM400km 銚子400 (夜スタート) 完走
 BRM200km グル栃 DNS

ここまでで、 BRMは200,400,600を完走したので、あとは 300km走ればSRとなった。
2024年が明けてから、ブルベシーズンが再開した。ボクの狙いは当然300km。

 BRM300 鬼怒川・那須高原 完走

これでSR確定!そう思ったボクの目の前が暗転した。ブルベの年度区切りが、カレンダーイヤーに戻るとのこと。そんでもって、 2024年11月から年末までの走行は…ノーカンなwということになった。

ちょっとだけ腹はたったけど、まぁフランス人のやってることだから仕方ない(偏見)と割り切った。

気持ちを新たに 2024年… 300kmは済んでいるので他の距離を出走していく

 BRM400 小江戸めぐり 完走
 BRM600 はじめての600・弍 完走
 BRM200 田んぼアート改 完走
 BRM300 伊達 DNS

これで2024BRMのSRはクリアできた。

AJPは管轄が日本の組織なのだが、こちらは従来の11月スタート、翌年10月を1年とする。
ということなので、11月になったところで完走距離を積み上げておく。2025年のSPR(Super Permanent Randonneur) の認定基準、年間1,200km走行もクリアしたいからね。

 AJP120km 那珂川 完走 
 AJP270km 只見 完走
 AJP195km 戊辰戦争 完走
 AJP240km 楢葉 完走
 AJP150km 猪苗代 完走

ここで本格的な冬が来て、2024年のサイクリングは終了。

2025年スノーボードシーズンが終わってから再びブルベを再開した。

 BRM300 四六のガマ DNS
 BRM400 最初に頑張る400 完走
 AJP200km 房総千枚田 完走 ← AJP SPR基準まであと25km!
 BRM600 やっぱ海 完走
 AJP120km 那珂川 完走 ← AJP SPR基準クリア!

数字でまとめるとこんな感じ

BRM/AJP 200km 以下  エントリー11    DNS1 完走10 
BRM/AJP 300km 以下  エントリー9 DNS2  完走6 DNF1
BRM 400km                        エントリー3 完走3
BRM 600km                      エントリー3 完走3


エントリー総数 26

DNS  3
出走 23 出走率 88.5%
完走 22 完走率 95.7%
DNF  1 DNF率    4.3%

完走率が高いのは、無理をしていないとも言えるし、挑戦してないとも言える。

ただ、ボクはもともと山屋なんだ。山でDNFって、すなわち遭難なんだよね。遭難しないように、計画して、準備して、トレーニングして、無事に帰ってくるのが山屋の基本姿勢。

普通のサイクリストとは、ちょっと違うかもしれない。その辺りも今後ブログに書いてみようかな。

とりあえず、FY2024のシュペール・ランドヌール(SR)は認定いただきました。2024-25のスーパー・パーマネント・ランドヌール(SPR)も申請はまだだけど、認定基準はクリアしました。

FY2024 SR メダル到着!

ひとつ目標クリア!

直近では、200と300kmのBRMを完走してFY2025のSRも認定を取りたいな。

それと、BRM1000kmとSR600に、チャレンジしたい。
これは…ちょっと今までと同じでは到達できそうにないので、しっかりと考えてやってみよう。そんなふうに思っています。

50代最後の1年ちょい…ぼちぼち行ってみましょうか…

2025年5月29日木曜日

バックカントリーへの扉 祈りを込めて強く叩け (2/2)

バックカントリーへの扉 (1/2)では、一般的なBCへの扉を説明した。

…その一般的な扉がボクには開いていなかった。仕方なく他の扉を見つけてこじ開けた、そんな話をしてみたい。

連休が取れず、単発休みですら直前になっての出勤に変わるなんてことが良くある…そんなブラック企業がボクの職場だった。普通の社会人団体に加入することはまず不可能だった。

1990年代の初期、BCツアーを催行しているガイドさんはほとんどいなかった。白馬や北海道にはいたのかもしれないけれど、ボクが日帰りで行けるエリアには見当たらなかった。

んでボクは…単独でバックカントリーを始めることを決めた。

単独のバックカントリーはリスクが高い、それくらいは初心者のボクにもわかっていた。そこで、ボクなりに「これをやる」「これはやらない」という線を最初に引いた。

残雪期の水ノ塔山周辺

「これをやる」ということは、死なないためにどんなことをやるかということ。

具体的には、冬山の基本訓練(耐寒・ビバーク、ラッセル技術)、残雪期登山(アックス・クランポン、滑落停止、グリセード)、生活技術(衣服・糧食・燃料計画)、夏山登山(基礎体力向上と偵察山行)、BCギア理解(貼り付けシール、スキーリーシュ、3ピンバイン、凍結防止、メンテナンスなど)だ。

偵察兼ねて谷川岳

「これはやらない」というのは、ドツボにハマるような山行はしないということ。具体的には、厳冬期、高所、パウダー狙いのBCはやらない。連休取れないボク、山行の翌日は仕事がある。翌日出勤できなければ即誰かに皺寄せがいくから、必ず日帰りで帰ってこれないとまずい。

パウダー時期にBCに入らなというのは、単独で深いラッセルはものすごい時間がかかるから。スキー履いてても膝上まで潜るような深雪だと、500m 前進するのに数時間かかるようなこともある。

それに、当時のテレマークバインディングは、ビス抜けトラブルとかがありえた。ビスが抜けちゃうと、バインはブーツに残ったまま、スキーは流れてどっかに行ってしまう。そんなことになると、スキーが無いのでツボ足ラッセル…場所によっては夜通しラッセルしてもゲレンデまで帰れない。

そんなわけで、雪が落ち着いた残雪期、3月中旬以降を中心にBCに入るようになった。

ビバーク訓練も良くやった。日帰りなのだけれど、とりあえずツェルト張ってみたり、被ってみたり…

高峰山斜面

そうやって、「このくらいまでなら死なない」というのを理解してから、活動範囲を広げていった。ごく短いルートのBCとか、登ったところをそのまま滑る、シンプルなピストンコース。当時は山頂まで入れた浅間山とかね。

浅間山山頂
峰の茶屋から左に巻いて登って、偽ピークに上がり、そこから2段くらい段差を上がると山頂。

浅間山カルデラ

猛烈な北風が吹いていて、それが外輪山で火口への吹き戻しに変わり、吸い込まれそうになった。恐々とカルデラを見下ろしてから下降したが、風で磨かれ氷化したスロープの上に、畑の畔のような風紋が20cm…滑れたもんではなかったが、それも経験と割り切った。

テレマークスキーでの滑りはどうだったのかって?それは大丈夫だった。

ボクはスキーにどハマりしていて、ポールもコブも好きだったし、すべてのゲレンデがクローズしてからは、谷川岳のマチガ沢をハイクアップして7月ごろまで滑ったりもしていた(バカ)。

ポール練習

テレマークスキーは前傾過多だとすっ転ぶ。テレマークターンで転ばないように、前後のポジショニングを見直したら、普通のスキーも上達した。ポールのタイムも速くなったくらいだ。

ブレーカブルクラスト蹴散らす

ただ、あんまりテレマークっぽくない滑りだとは言われていたw

ダブルストック

コンディション悪くなると、ダブルストック(両方のポールを同時に突く)でリカバリーしたり。

サンクラスト 5mm

とりあえず…滑りで困ることはほとんど無かった。

娘背負ってトレーニング

背負子に娘を入れて、「大事な荷物を背負って滑る」練習もした。

至仏山オヤマ沢田代近辺

そんな感じで一つ一つ積み上げて、谷川岳や至仏山にも入れるようになった。

調子に乗ってた頃(日付は間違いです)

そうやって、ボクはバックカントリーへの扉を無理やり押し開けた。

そんなボクに大きな転機が訪れた、会社をクビになったのだw。

ボクは仕事は仕事、遊びは遊びできっちり分けようと考えていた。でも、誠心誠意頑張っていた仕事をクビになって、気持ちを切り替えた。むしろ、思いっきり自分の好きなことをやれる仕事はないか?そんなふうに考えて探したら…そんな会社に入ることができたのだ。その後の数年間は、ボクの人生のハイライトだった。そこの話は本筋から外れるので省略。

長くなったので、話を整理する。

もし、BCスキー・スノーボードに憧れているならば、できる準備をするべきだ。「山力」とボクらは呼ぶけれど、「体力」「生活技術」「滑走技術」を磨くこと。そうすれば、BCやっている奴らの視界に入ってくる。

一緒にBC入ってみる?

そんなふうに誘ってもらうためには、準備をしておくこと。準備していれば、チャンスは来るかもしれないし、準備していなければ、声すらかからない。

繰り返しになるけど、ボクにとってBCはずっと憧れの対象だった。そして、BCへの扉を、同じようにこじ開けようとしている人を、ボクは応援したいと思っている。BCへの扉、開けたいと思うならば、祈りを込めて強く叩き、叩き続けていればいつかは開くとボクは信じている。

忘れるところだった。

BCはそれなりにお金がかかる趣味だし、家族の理解と応援も必要だ。だから、良き家庭人であり、強き職業人(クビになってもなんとかなるような)であることも、ぜひぜひお忘れ無く。

なんか説教くさくなっちゃったな、まぁいいか

おしまい

2025年5月16日金曜日

バックカントリーへの扉 祈りを込めて強く叩け… (1/2)

こないだ新入舎員のトミーを迎えて、ムジナ沢に行った。

夢にまで見たバックカントリースキーに来れて感動です

そんな嬉しいことを言ってくれた。

そうなんだよね、バックカントリー行きたいって人は割と多いと思う。
ただ、実際にバックカントリーを経験した人はあまりいない。

多分なんだけど、「バックカントリーへの扉がどこにあるのか」わからないんじゃないかなぁ。ボクはそう思う。で、ボクや周囲の人は、どのようにしてバックカントリーに足を踏み入れたのか、そんな話をしてみようと思う。

まず、王道なのは「山の関連団体」と「ガイドツアー」経由の入口だろう。

学生さんなら、山岳部とかワンゲルかな。雪山宴会部なら、アオッキーがワンゲル出身だった。社会人なら山岳会がある。兄弟舎では、モロちゃんとヨッちゃん。タカやんとトミーは、元社会人山岳会。

ここから入れるのは基本的には若い人。部活動なら学生でないと始められない。山岳会でも、募集は若手中心のはず。40歳を超えて、山未経験の入会は多分ハードルが高いんじゃないかな。

あくまでも噂でしかないけれど、山岳会によっては合う合わない相性問題もあるらしい。これにはリーダーや幹部の個性が、その会のキャラクターを大きく左右するせいもあるだろう。

その会が何を志向しているかと、会員一人一人がやりたいこととのミスマッチがあるだろうことは容易に推測できる。団体によって求める方向性が異なるし、あくまでも「冬期登山」の道具としてBCを考えているところは、スキーしかやらないってところもある。

こうした会のメリットとしては(本人次第だけれど)「基礎をしっかり学べる」のと、「頼りになる仲間ができる」ことかな。ボクも一時期山の会に所属していたけれど、そこは高所登山、クライミング、BCスキー・スノーボード、山岳パラグライダー、ホワイトウォーターカヤック、シーカヤック、長期縦走…錚々たる実績と経験のあるレジェンドが顔を揃えていた。

こうした入口から入ってきた人たちは、なんというか基礎がしっかりしていると感じる。
安全に関する意識もそうだし、一つ一つの所作を安心してみていられるというか…

ダイビング五体投地

本文には関係ありません

まぁ、やる時はやる、そんな人たちであることは…間違いない

もう一つの「ガイドツアー」は、ボクは参加したことがないので想像だけど、お金さえ十分にあれば無難だと思う。友人にもガイドさん(と元ガイドさん)がいるけど、あの人たちは本当にレベチ。知識・経験・体力・技術、すべてが桁違いの人たち。そうした人にガイディングしてもらって、初心者コースからスタートすればトラブル無しに安心して始めることができるはずだ。ここから入った人は、マサヨシ(Y溝さん)かな。

ボクはガイドツアー未経験なので、あんまり詳しく語ることは無い。ただ、ツアー参加者の人と話をして感じるのは、ガイドさんに全部頼ってる危うい人もいるように見える。

どこから入山して、どこに行くのか。なぜ今日このルートに入ったのか。なぜ今日のギアを選択したのか。エスケープルートはどこか。今日明日の天候見通しはどうか。現時点の標高はどれくらいで、ペースは計画通りか。緊急事態の時にとるべき行動は何か。コレをツアー参加者に尋ねたとして、どれくらいちゃんとした答えが返ってくるか… ボクはわりと疑問に感じている。

でもまぁ裏返してみれば、そうした参加者が多くても、事故なく楽しくツアーを催行できるガイドさんは本当にすごいということだろう。

40代半ばを過ぎ、子育てもひと段落し、収入面の不安も無いが山は初心者。そんな人がBCを始めようと思ったら、実際問題ガイドツアーが一番間違いない選択肢になるだろう。

学ぶ意欲のある人にとっては、ガイドさんからしっかりとしたノウハウを吸収できる。同じようなライフスタイルや趣味趣向を持った仲間と、巡り合うチャンスも多いのだろうと思う。

さて、この2つの入口「山岳団体」と「ガイドツアー」だけれど、人によっては選択しようにもできない問題が発生する。それは、土日祝日盆暮正月が休めず、有給を自由に取得するのが難しい人たち。

多くの勤労者がまとめて休めるタイミングで、山岳会もガイドツアーも計画を立てていくのだから、そこから外れた人たちは実際のところ参加の機会を失ってしまうことになる。

20代後半から30代半ばまでのボクがまさしくコレだった。会社は地方のブラック小売業。勤務は早朝から夜遅くまで。休みは週2日で、続けては取れず、有給取得は年間3日まで…

そんな環境だったから、ボクがBCに足を踏み入れるには単独でなければならず、単独は危ないからBCやらないという選択肢は無かった。

ボクにとってBCスキーとは、「夢にまで見る憧れ」の遊びだったし、ボクにとってBCスキーヤーこそが、「自然に対峙する真のスキーヤーである」、そんな風に思っていたから。

つづく

2025年3月18日火曜日

救急車がお休みです

*文中の名前はすべて「仮名」です。また、この投稿を含むすべての内容はフィクションです*

谷口君が、センター街の雑踏の中を小走りで戻ってきた。
真冬だというのに汗をかいている。

トレードマークの黒縁メガネは汗でずり下がり、今にも鼻梁から落ちそうなところでかろうじて止まっている。

谷口君は、大きな体を縮こませて言った。

救急車…今日はお休みです!

谷口くんは分厚い近視レンズの向こうで途方に暮れていた。
写真はイメージです

僕は、サークルの幹事を務めていた。

同期で会計を担当している飯田の足元に、2年の小田ちんがぶっ倒れている。
いや、放っておくとぶっ倒れてしまうのだけれど、それは誤嚥から窒息につながるおそれがある。飯田くんは小田ちんの両足を広げさせ、上体を起こし、歩道の縁に座らせている。

今日の月例コンパは、スタートからなんとなく嫌な予感がしていたのだ。
写真はイメージです

時間に正確な小田ちんが遅れてきた、なんとなく表情が暗い。そんでもって、乾杯をしてから、酒のペースが早い。んーちょっと心配…

案の定、2次会の終盤で小田ちんが沈没した。
こうした時、ボクらの行動は素早い。

座敷で嘔吐すると、ボクらの次で予約入っているお客が入れなくなる。掃除も大変で迷惑がかかる。迷惑料を払う財力もないから、よき市民たるべき僕らはそんなことはしない。

僕ら3回生・4回生のトラブル対応チームが、小田ちんの周りに集まる。

えっとねー集金と会計は飯田に任せよう。
終電やばい奴いないか、確認して〜
1年生二人くらいに忘れ物チェックやらせて〜
2年は小田ちんの持ち物確認して〜
お店からビニール袋何枚かもらって〜
それと、いらないダスターかペーパータオルもね〜

とりあえず小田ちんをトイレの個室に搬送し、一発目の ゲ◯放出

はいはいはい、そしたら外出るよ〜

ちょっとすっきりしたっぽい小田ちんの両脇を抱えて、表の道路に出る。

帰る人は帰り、残りたい人は残る。
一部のメンバーは、「すぐそこの太平洋から朝日が昇る」みたいなところにある実家から通学している。1次会ですでに終電が無いから、飲み会と言えばオールになる。年頃の娘がそんなことしていいのかとは思う、口には出さないけど。

ん?小田さん…唇が青くないですか?
街灯の色のせいじゃない??ん???

まずい…小田ちん…耳の裏まで血の気が引いて真っ白。
唇も真っ青で、呼吸が浅い。

振り向いた先にいた谷口君に、救急車を呼ぶように頼んだ。

他のトラブル対応チームの奴らが、コーラとポカリを抱えて走り寄ってきた。
炭酸を飲ませて、もう一度吐かせる。胃の中に入っているアルコールを流して、追っかけでポカリを飲むことで糖質と水分を補給させる作戦だ。

そこに谷口くんが小走りで戻ってきて、言ったのだ。

救急車…今日はお休みです!

U飼先輩が半分キレたみたいに言う。

んなわけねーだろーがよぉ?!
何度かかけたんだろうな?電話ぁ!?

んーそーゆー問題じゃ無い気もするがぁ…普通呼び出しすぐでつながるし…
谷口くんが、心外だと言いたそうに反論した。

何度もかけたけど繋がらないんですよ!!911ぃ!!


なんですか?なんなんですか?
救急車、きっと今日はお休みなんです!

…911は、アメリカや。アメリカの消防や。
…日本は119や。

結局、他の2回生が救急車呼んでくれた。
小田ちんがコーラ&ポカリの3回転を終えて、回復しつつあったタイミングで救急隊が到着し…ボクらは小田ちんのせいでお目玉を喰らうことになった。

という夢を見た(言っときますが全部フィクションですからね)。


2024年10月10日木曜日

DIYで…愛車を車中泊仕様に

エクストレイルから日産NV100クリッパーに乗り換えた

クリッパーの折角の積載性を犠牲にしないようにしつつ、少々の趣味性を持たせるために、車中泊仕様へと手を入れ始めた。

基本は「荷物扱い」になるように、取り外しが聞くように工作する。
まずは床。ピッタリハマるようにカットしてある、12mm厚ベニアの床板を手に入れた。

表面にクッションフロアを貼る。
会社の工作室
床板が前後つながっている一枚板だと、4人乗車をするためには全てを外して下さなければならない。それでは車検に通らないので、前後で分割できるようになっている。

クッションフロアを貼って、それがめくれてこないように処理をする。

見栄えアップ
リアシート部分を外せば、シートを立ち上げて4人乗車ができる。

ペロンチョな

完成
床が張れたら次は家具。とりあえずテーブルとベンチを作る。
マット仕上げ

手でペンキを塗る
素人が一番難しいDIY作業は、塗装だと思っている。綺麗に仕上げるのは諦めて、あえてダメージ仕上げを選択。

ただ、それだけだと「単に塗装技術が無い」のがバレてしまう。それはカッコ悪いので、マスキング使ってテーマカラーのストライプを追加。

ストライプ追加
テーブル部分をリアに固定する。
荷物の積載とか車検の時には簡単に外せるように、アイボルトで固定するようにした。
位置を決めて穴あけ
こうしておけば、手で回せるし、普段は荷物が動かないように固定するアンカーとしても使えるからね。
アイボルト
雨の日の換気のために、バイザーをつける。
位置決め
固定は強力両面テープなので一発勝負。慎重に位置を決めて、養生テープで仮止めをする。
着いた!
ドラレコの電源は、とりあえずシガーソケットから取ってあった。これだと見栄えが悪いし、シガーソケットが塞がるのはちょっと困る。

シガーソケット
グローブボックスの奥に、ヒューズボックスがあるので、そこから電源を取ることにした。
ヒューズボックス
ホームセンターで売っている、ロック付き電源分岐パーツ購入。振動でガタガタしないように、しっかり固定して完了。
ヒューズから分岐させる
あまっているムートンを積んだ。
「寝袋をクッションカバーに入れるとクッションになるんだよ!」そんな情報を聞いたので、早速やってみる。

ベンチ
ロードバイクを入れてみる。
自転車をそのまま入れるためには、縦に長いスペースが必要。
というわけで、ベンチとテーブルを縦並びにしたのだ。


工作をしていたら、通りかかった近所の人が話しかけてくれた。
ベッドに試しに寝てもらって、モデルになってもらう。

近所の人
自転車を出して、キャンプ用のベンチを入れて座ってもらう。

モデルさん
別に買っておいた物入れにも塗装をして、車載する。

結構な積載量
とりあえず、すぐにでも車中泊ができるようになったので、どっか行こうかな。

2024年10月1日火曜日

2024年9月の雑記

あんまり華々しいことがなかった9月…の雑記

とりあえず食べていた。
赤身ステーキ
近所にJAのスーパーがあって、そこで時々、美味しそうな肉が売っている。
老夫婦二人の当家は、基本赤身肉で、ボクはレア、奥様はミディアムウエルダン。

お友達が遊びに来てくれるということで、何しようか?BBQ?
お子さんがあまり食べないということなので、規模縮小型BBQ…
ホットドッグとハンバーガーどっちがいい?そう聞いたらハンバーガー!だそうです。

事前に準備をしておく
カリカリベーコン

玉ねぎ炒めて宮のタレかけちゃう
パティを各自で好きな形にして、スモーク多めの炭火でグリルする。
炭火バーガーパテ
肉厚にしても、蓋付グリルで蒸し焼きにするので、火が通る。
今日は子供がいるので、ちょっと火を通し気味にした。

付け合わせは各自で。
オニオンソテーに宮のタレ入れて、プロセスチーズを溶かしてパティにかける。他はベーコンとトマトと、好きなものを入れて。
お家ハンバーガー
別の日は奥様と一緒にとある蕎麦屋へ。
色々…店主とお客の間に面白いことがあって、味が入ってこなかった。
3色天ザル蕎麦
美味しかったんだろうと思う、あんまり覚えてないけどw
季節の天ぷら
またある日には、奥様と新しくできたお店でランチ。
奥様的には沖縄そば初めてで、これはあり!だそうです。
沖縄ソバ(ソーキそば)

ハンバーガーのバンズと、包み紙が余ったのでお昼にハンバーガを作った。今日は目玉焼きを焼いて、月見バーガー。
自宅月見バーガー

ご飯食べてばかりだと、ボディが超拡大モードに入るので、ちょっと自転車。
普段行かない路地に入ったら、古そうな神社があった。
長壁神社
普段行かない通りを走っていたら、古い木造の人道橋があった。一応農耕車は渡れるようだが、基本的には地域住民のための橋。

昔はここに渡し船があったとのこと。

佐野の渡し橋
橋の上から烏川を見下ろす。向こうには単線の線路橋。

上信電鉄
スタンドバイ・ミーみたいに、少年たちが歩いて渡っていきそう。

烏川

ある日、ふと思いついて尻焼温泉に入りに行った。
尻焼温泉 川の湯

ある日奥様と出かけて、ちょうどランチタイムになった。
↑ 上で書いたお蕎麦屋さんの近くだったんだけど、今日は、そのそばにある、いつもすいているうどん屋さんでランチ。

大エビ天丼セット
うん、美味しい。なんでこの店いつも空いてるんだろう、お安いし…よくわからん。

そんな1ヶ月でした。