このブログを検索

2021年5月16日日曜日

HAPPINESS AOKI

人生は不思議だ

今から20年ちょっと前、ある理由で僕は仕事を失い、「ある意味安定した生活」を失った。

僕は、好きな事と仕事を、あえて分けようと考えていた。好きだからこそ頑張れるってのはあるだろう。だが、好きは盲目って言葉もある。なにより、僕が好きな事、スポーツとかね、その業界で僕がやっていけるイメージは全くなかった。だからこそ、自分の好きなところとは全然関係のないところで仕事をしていた。

ところが、仕事を失い、次の仕事のアテも無く、さてどうしようかと思いながら就職活動を始めた。そして、僕は、それまであえて見ないようにしていた、僕のスキルと趣味にピッタリの仕事を見つけた。

人生は不思議だ

で、僕は、自分が好きな世界と、一体化していたその会社に潜り込み、同じような仲間と出会った。そして、僕は雪山宴会部というゆるい集いを立ち上げた。

創設メンバーの一人、アオッキーについて書いてみよう。怪我の王様という投稿でちょっと書いたのだけれど、彼が衝撃的なデビューを飾った合宿がある。その打ち合わせで僕は彼にこう尋ねた。

アオッキーってさ、バックカントリースキーはどれくらいやったことあるの?
山スキーを三回です(注1)

そうだ、その時は部の道具を借りたのです。自分は山スキーの道具がありません。
じゃぁ、俺の使ってないテレマークスキーの一式があるから使ってみる?
助かります (注2)

その時は雪洞か避難小屋で泊まって、周辺を滑ろうという計画だった。当然だけれど荷物はでかくて重い。そんな合宿に平然とした顔で、「参加させてください」って言うんだから、相当イケてるスキーヤーなんだろうなって僕らは思っていた。

ゲレンデトップに行くまで、リフトの乗り継ぎで彼は何度か転んだ。ん?とは思ったけど、イケてるスキーヤーであっても、20kgオーバーの荷物を背負って、初めてのテレマークだし、人から借りた道具だし、それほど不思議ではないとは思っていた。

ずっとひたすらボーゲンしかしないのは、ちょっと妙な感じもしたけれど。

で、山に入ってラッセルして、最高のドロップポイントについて、僕らはシールを外すと一人ずつパウダーに飛び込んで行った。

アオッキーは開けた場所に直滑降で加速していくと、もんどり打って転倒した。

荷物がでか過ぎて、立ち上がれず、彼は雪の中でもがくとバックパックを外した。そしてあらためて立ち上がって、バックパックを背負い直すと…
次の開けた場所に向かって加速して、またもんどり打って転倒した

僕らは彼のところに集まって、声をかけた。

大丈夫か?どうした?
いやー、スキーって楽しいっすね。
スキーって、歩いたり登ったりするだけのものって思ってましたから!

アオッキーは、スキーの経験自体が、山スキーの3回だけだった…
彼のスキー経験は、単にスキーでラッセルして入山して、泊まって、ラッセルして帰ってくる。それを3回やっただけで、ゲレンデでみっちり練習したことすらない。

で、彼は、ターンができないので、ひたすら直滑降か斜滑降をして転び、もがきながら立ち上がり、方向を変えてまた滑って転ぶ。下から見ると、彼の滑ったあとは綺麗な稲妻型になっていた。

ターン弧 皆無

普通の感覚ならば、辛くてたまらないはずなのに、彼はニコニコ笑いながら立ち上がってくる。何度も何度も、顔中雪まみれで立ち上がってくる。耳の穴から鼻の穴まで雪が入り込み、ゴーグルなんか役に立たず、ウェアの首筋まで雪でみっちり埋まっている。で、彼はニコニコ笑いながら言うのだ。

バックカントリーテレマーク…最高っす

ある場所にある冬季だけ入れる避難小屋

僕らは避難小屋で泊まることにした。緊急用に薪ストーブはあるのだけれど、氷雪で煙突が埋まっているので火が着けられない。そこは標高も高いので、夜はマイナス15〜20度くらいの寒さになる。

で、僕と石デーラさんは転職組で、それなりの収入もあったので、厳冬期用の寝袋を持って行った。この間まで学生だったアオッキーは、予算に乏しく、ペラペラのスリーピングバッグを持ち込んでいた(注3)。

日が出て、生きてることを実感する

で、寝袋の下に敷くマットも、僕たちはサーマレストとかの分厚くて保温力があるやつだった。予算に乏しいアオッキーは、お風呂マットを切って持ち込んでいた(注4)。

こーゆーのがお風呂マット

で、しかも、そのままだとバックパックに収まらないので、背中がギリギリ乗るくらいの面積に切り詰めてある。寝る時は背中と尻だけこのマットの上に乗る。脚は中身を出したバックパックの中に突っ込み、頭は何か適当な物の上に乗せて、冷たい地べたや雪から離して寝る。

おい、その寝袋…大丈夫なのか?冷えるぞ?
あー、まぁ、部の合宿は一年中これなんで大丈夫っす。シュラフカバーもありますし。
風呂マットも随分横幅を切り詰めたな、それじゃぁ腕を置く場所が無いだろう?

その言葉を聞いて、僕も風呂マットを使っていたことがあるということに気がついたみたいで、彼は笑って言った。

大丈夫っす、腕を組んで寝ますからw
そうそう、腕をサイドに下ろすと、肘とかが地べたについて寒いんだよな!

そんな話をしながら、彼のお風呂マットを見ると、表面に細かい模様がある。顔を近づけて見ると、アルファベットで何か書いてある。

HAPPINESS HAPPINESS HAPPINESS HAPPINESS HAPPINESS ……

これから迎える夜、激しく寒い避難小屋で、ぺらぺらの寝袋で寝る彼。
そしてこのハピネスという言葉のギャップ萌えが、新たな伝説を生み、その時から彼は「ハピネスアオッキー」と一部では呼ばれるようになった。

おしまい


注1 普通はゲレンデスキーが中上級くらいになるくらいまで練習して、それから山スキーを始める。だから、山スキーに3回出かけているということは、当然それなりのスキーヤーであることになる。

注2 彼は某名門私立大学のWV部の部長をやっていた。あまりにもそれにハマってしまって、留年した。看板学部卒なのに、留年している間に日本はすっかりバブル後の不況に突入し内定を取れず、ダメ元で応募したその会社に潜り込んでいた、新卒でw。

注3 ダウンでモコモコの厳冬期用寝袋は、マイナス15度くらいなら、半袖短パンでも十分に暖かい。アオッキーのは、春〜夏〜秋のスリーシーズン用で、使い込み過ぎてロフトを失っていた。普通なら0度前後が耐寒下限みたいなやつ。

注4 お風呂マットは保温力が高いのと、水を吸わないので、山屋にとってはわりと一般的なalternative choice ではあった。