夏休みは明日が最終日なのだけれど、今日帰って明日は整理とか、メンテナンスとか、休養日にしようかな。
もともと旅程の中で数日は雨が降るだろうと考えて、予備日を設定してあった。幸いにも天候に恵まれたので、その分が余っている。
帰りも三国峠は輪行でエスケープ。キャンプ場最寄りの、「岩原スキー場前駅」から土合まで輪行で抜ける。
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階段を上るとそこはホーム入口 |
電車に乗るとあっという間に新潟から離れていく。馴染みのあるスキー場が車窓を飛び去っていく。
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中里 |
長いトンネルを走る列車の中で、車掌さんからチケットを購入する。若くて感じの良い車掌さん、マスクをしているので顔はよく見えないのだけれど、往路も同じ方だったような気がした。
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ワープ料金は420円… |
土合駅に着き、地上にあるw上り線ホームに降りる。
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降りたのは僕だけ |
ホームの端から駅舎の中に入る。正しい無人駅の姿がそこにある。
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真冬は雪の壁になっている通路 |
長く山をやっている人なら、「ステーションビバーク(ステビ・駅泊)」という言葉に馴染みがあるのではないだろうか?
土合駅は谷川連峰の玄関口であり、無人駅で、24時間開放の待合室がある(あった)。だから、ステビの名所としても知られていた。
仕事を終えて、上野駅から上越線に乗る。水上で乗り換えて土合に着く。そして、待合室にマットと寝袋を広げて寝る。翌朝は各々の登攀ルートに応じて起きて出発する。2時に起きて暗闇を出る人たちは一ノ倉か、幽ノ沢か、4時に出る人たちは西黒、6時に出る人は白毛門、7時に出る人は観光客。
使い古されたテーブルがあって、そこで登山者同士が酒を酌み交わす姿も見られた。バーナーでスルメを焼いて、燗酒を飲んだり、ラーメンを作ったり。
待合室のベンチは早々にふさがるので、床にマットを敷く人もいる。テントを待合室の中に張って、個室化する人たちもいた。
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土合駅は変わった |
僕もそんな土合駅にお世話になった一人だ。しかし、その在り方に危うさも感じていた。
電車の本数が減り、乗降客も減っているのに、利用者は減らない。マイカーで来て、駐車して、駅の待合室で野宿しながら宴会をする。そこがいっぱいになれば軒下、横にテントを張って寝る。ゴミを放置する。連泊する…
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ついにそうなったか |
ステビが「文化」だと思っていたけれど、いつの間にかそれは、単なる迷惑行為になっていた。特にJRにとって、そして、近隣の皆さんにとっては、腹ただしいだけのことだろう。
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それは…もちろんそうだ…ね |
この周辺にも、いくつか、野宿と言う名のキャンプができる場所があったのだ。だが、そのうちのいくつかは、封鎖されていた。
気を取り直して帰路につく。朝食はもちろん、「たかはしの若どり」
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月夜野のケンタッキー |
グンマー國民のソウルフードで、知らない人はいないくらいの名物。蒸し鶏と照り焼きの2種類があって、サイズによって値段が違う。
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一番大きいやつと言って出て来た 420円 |
帰りはできるだけ国道17号を避けて、なおかつ激しいアップダウンが無い、そんな抜け道を通って帰る。工事で通行止めが続いていた道路が、再開通していた。
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ここの利根川対岸が初日に泊まったひするまキャンプ場 |
赤城山が見えて来た、俺の家も近い。
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利根川を渡る |
なんだか思ったよりも早く帰宅してしまった。ちょうど出勤日調整で自宅にいた奥様も驚いた顔をしていた。
「そんなに早く帰ってこれちゃうんだったら、三国峠超えてくればよかったのに!」
は、はい、その通りです…ぐはっ!
で、まぁ、忘れないうちにもろもろのメンテナンスを。
経験のある人はわかると思うけど、テントポールのショックコードが延びちゃってると、使い勝手最悪。スリーブに通している時に、ジョイントがかってに抜けてしまう。で、短く詰めると、コードに弾力性がなくなってるので、ポールを折りたたむことができなくなったり。
買い置きのコードがあったので、交換。
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テントポールのショックコードを交換 |
テントはカビが生えないように、乾かす。シームテープは崩壊してしまったので、今度貼り直さないとな。そして、内部の不快なペタペタもなんとかしよう。
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テントはきっちり乾燥させる |
バイクはとりあえず洗車して、チェーンとスプロケットも清掃。
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スプロケドロドロ |
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掃除すると気持ちいいね |
そんなこんなを済ませて、ビールを飲んでくつろいでいたら…寝落ちした