小高い丘というか、ちいさい山のてっぺんに実家はある。
標高差は200m程度はあるのじゃないか。自転車で一気に登り切るのは、普通の人にはほぼ無理な坂。その坂を登り詰めたところに実家はある。
あの坂を上るのが嫌、ということもあり、遊びに来る友達は滅多にいなかった。物好きで来ても2度来る奴はまずいなかった。
そもそも僕はずっと病気がちな子供だった。幼稚園で内臓の一部を摘出し、小学校では低学年で心臓まわりの病気になり、高学年まで一切の運動が禁じられていた。
運動への欲求は読書に向かい、高まる言語能力を活かして口達者で生意気で…鈍臭いという、男子カーストの最下層。性格も…ひねくれていたと思う。
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日本海 |
そんな僕の遊び相手になってくれたのが、近所に住んでいたタケちゃん。タケちゃんは、3歳くらい年上だったかな。いつもニコニコ。庭で虫を探したり、裏山を探検して遊んでくれていた。
ちょっとした坂を登る、小走りする、それだけで、すぐに心臓バクバクで動けなくなる僕。
そんな時もタケちゃんはニコニコ笑いながら、待っていてくれた。鈍臭いからといって、馬鹿にすることもなかった。
得意なことと、苦手な事があるのは当たり前だよ
そんなふうに、ちょっと大人びた口調で言ってくれた。
ある時、タケちゃんは他の人とちょっと違うらしいと知った。僕とタケちゃんは同じ小学校に通っている。タケちゃんが勉強している部屋は、みんなと違って人が少ない。僕らの教室は、石油ストーブの周り以外は、みっちりと机が並べられている。タケちゃんの教室は、先生の目の前に、数人の生徒が机を並べて勉強しているのだ。
小学校を卒業したら、タケちゃんは中学校ではない学校に行くらしいのだ。どうして?と聞くと、タケちゃんはちょっと困った顔をした。
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日本海と夕陽 |
もうすぐタケちゃんが小学校を卒業する、そんな頃だったと思う。僕とタケちゃんは、キャッチボールをして遊んでいた。何がきっかけだったのかわからない。急にタケちゃんが怒り出した。そして、投げたボールが、結構な強さで僕の顔に当たった。
僕らが使っていたのは軟球で、硬球とは違う。
痛さはそんなでも無かったのだ…
だが、いつもニコニコしてるタケちゃんが、いきなり見せた怒り。
そして、不意にやってきた痛みに僕は、ワンワン泣きながら家に帰った。
グローブもボールも置いたままで。
家にいた母親に、何が起こったか聞かれたのだが、うまく伝わらなかった。
「僕が何かまずいことを言って、タケちゃんが怒った」が無かった事になり、「タケちゃんがいきなり野球のボールを、顔をめがけてぶつけた」という話になってしまった。
タケちゃんとお母さんは、グローブを届けに来てくれた。
タケちゃんはしょげかえって、ゴメンねと言ってくれた。タケちゃんのお母さんの顔は記憶にない。多分…俯いて…泣いていたと思う。というより、僕も、二人の顔をちゃんと見ることはできなかった。
その後、タケちゃんと遊ぶことは無かった。多分だけど、親同士の話し合いとかもあったのではないかと思う。
僕は、タケちゃんに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
だけど、その後タケちゃんは中学校ではない学校に進学し、制服を着て、小学生の僕とは、挨拶を交わすだけになっていた。
タケちゃんは以前のように、屈託無くニコニコと元気に挨拶してくれた。けれど、一緒に遊ぶことは無くなった。
僕は、謝りそびれてしまったのだ。
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新潟の静かな海 |
いつか、タケちゃんに言わなければと、僕は思っていた。
「あんな生意気な僕と遊んでくれてありがとう。あの時のボール、そんな痛くはなかったんだよ。怒られたでしょ?ごめんね。」
群馬県には海がない。タケちゃんはたまに家族と行く海が大好きだった。
ある夏の日、大好きな新潟の海でタケちゃんは溺れて亡くなった。
新潟の海を見るたび、僕はタケちゃんのことを思い出す。
今生での謝る機会を失った僕は、少し俯いて打ち寄せる波を見る。
*くどいですが、このブログはフィクションです*