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2021年8月31日火曜日

さるこばっぱ

僕が子供の頃、「サイクル野郎」という漫画があった。自転車日本一周を志した、若者2人の物語。僕はこの漫画に結構な影響を受けていると思う。

僕が初めて自転車で長い距離を走ったのは、高校2年生の夏休みで、東北だった。田沢湖まで輪行し、最後は仙台から輪行で帰った。途中の経路は、多少あやふやではあるのだけれど…

田沢湖〜八幡平〜鹿角〜十和田湖〜奥入瀬〜八戸・鮫〜龍泉洞〜釜石〜遠野〜中尊寺〜気仙沼〜松島〜仙台

行きに一日、帰りに一日を電車の移動日にあてた。そして、間の12日間、一日平均100km 走行の総延長1,200kmサイクリング、2週間。

デジカメどころか、PCや携帯電話すら、夢物語の時代なので、当時の写真は全部フィルム。写真や旅行のメモは実家にある。だが、節目節目の記憶は、あれから35年以上過ぎた今でも鮮明に蘇る。

みちのくの人は優しい。

遠野では、神社の社務所に泊めさせてもらった。
奥入瀬や仙台(赤門)ユースホステルの歓待も忘れられない。

若者が一人で東北を自転車で旅すると、いろいろ世話を焼いてくれる人が現れる。道路脇からおばあちゃまが現れて、トマトやナスやキュウリをくれる。港を見ながら休んでいたら、カゴをぶら下げて来て、いきなりホヤの殻をむき始めて、食べさせてくれたおじいさんもいた(注)。

みんなニコニコしてて、あったかくて、おしゃべりで…
皆さんの言っていることは良くわからなかったのだけれど、ね。

だってさ、「カタグルマ」のことを「さるこばっぱ」って言うんだよ。猿の子供が…まではだいたい分かる。でもさ、「ばっぱ」ってなによ?w

縦横せいぜい200kmくらいの狭い関東平野で、人生のほとんどを過ごしてきた僕。僕にとって走っても走っても終わりがない東北というエリアは、ものすごい魅力的だった。そんな経験のせいもあるのか、僕は東北の港町で生まれ育ったひとと出会い、彼女に惹かれて結婚した。

彼女の故郷は、あの地震と津波でひどい被害を受けた。
3.11後…

いろいろと、つらいこと、やりきれないこと、腹立たしいことがあった。救いになるのは、それでも立ち上がろうという東北の皆さんの姿でもある。

ウチの奥さんは言う。

寒くて風が強くって、広くって、いろいろ大変で、そんな中で我慢して、耐えて、生きて来たんだからっさ。強くなって…

あたりめだべっちゃ

そう言えばと探したら、奥様が地元で免許をとった時の写真が出て来た。

東北のとある港町の教習所

奥様は、東北出身で首都圏の僕のところに嫁いで来た。教習所には逆のパターンで、首都圏出身で、東北に嫁いで来た人が何人もいたそうだ。そして、その人たちは結構苦労していて、奥様が通訳をしたこともあったと言う。

「なめかけ、なめかけ、ちれーにかけよーーーぉぅ」

教官が何を言っているか判るだろうか?
奥様曰く…

「名前を書いてね、名前をね、綺麗に書いてねー」

彼女に言わせると、津軽(青森)の言葉はさらに異次元なんだそうだ。そんな話を聞くにつれ、僕のみちのくへの憧れは募るばかり。なんとか、2週間くらい自転車で走る機会を作れたらいいなと願っている。青森・秋田・山形・福島、もちろん岩手・宮城にも再訪したい。

車で通過するのと、自転車で走るのと、その土地を知る深さというのは明らかに違うものだから。

もし、身近に高校〜大学生くらいの若者がいて、国内を旅したいと思っているならば、ぜひ背中を押してあげてほしい。徒歩でも、鈍行列車でもいい。ただ、移動できる距離や費用の点から言えば、自転車に最低限のキャンプ装備を積んで旅をすることをお勧めする。

その思い出は、きっと、その若者の人生を豊かにしてくれることだろう。

おしまい

注 ホヤは癖があるから苦手という人もいるが、僕はこの時スーパーフレッシュなホヤで開眼したせいか、今でも好物です。