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2023年12月7日木曜日

BRM1202銚子400km

600kmブルベの翌週末、僕は400kmブルベにエントリーしていた。
そんなに短い期間では、十分に回復しないんじゃないか?それは確かに懸念点だった。特に僕は「還暦」が、コーナーの先にちらほら見えてくる年齢なので、回復に時間がかかる。

ただ、ブルベでは、開催時期の気象条件が厳ければ、それを反映したルート設定がされる。

今の時期は冬の季節風が強く吹くことが多い。寒波が来ることもあれば、冷たい雨にやられることもある。そんな自転車にとって厳しいシーズン。

そう、厳しいシーズンだからこそ、比較的…初めての長距離に挑戦しやすいルートが引かれている(個人の感想です)。

具体的に言うと「山に行かない」。

道路が凍ってたり、雪が降ったりしたら危ないからね。そうすると、今の時期はいわゆる「フラット」、獲得標高が少ないルートが引かれることになる。

登坂が極端に遅い僕にとって、フラットなルートは完走の可能性が高まる。そんなわけで、「自分にとって未知な400km、600kmではあるものの、ワンチャン…イケるかも?」な2本をエントリーしておいたのだ。

天候条件次第、そう、季節風が吹き荒れるとか、雨とかの予報が出たら DNS (Did not Start , 棄権)しよう、そんな目論見だった。

そして600km は弱い雨予報…けれど風向きは好条件だったので出走して完走した。

そして今回の400kmも…寒波来て気温は相当下がるけれど、風は弱く晴天の予報。ということなので、出走します…
出走時間待ち
折り返し地点の銚子で、海鮮エンジョイしてきてね!というのが今回のブルベのコンセプト。銚子でランチタイムになるように、出走時間が選べる。僕のスタートタイムは深夜、真っ暗闇…
あさー
なんで…好き好んで…こんな事してるんだろう?
そう思う遊びって割とスキ(変態)。
あさー
これぞ放射冷却…という朝。田んぼは真っ白に霜が降りている。
霜じゃん…
先週と同じく筑波山を見ながら南下して、霞ヶ浦に着く。
初めて見る霞ヶ浦
そう、今回走るのは、先週の600km のショートバージョン的なルート。飽きるかな?と思っていたけれど、絶妙にルートが被らないように引かれている。流石です。
想像よりデカイ
霞ヶ浦の近くを通ったことはあるのだけれど、その時は深夜だったのと、微妙に湖が見えないルートだった。この目で湖面を見るのは初めて。結構広くてビックリした、さすが日本で2番目に広い湖。

霞ヶ浦一周(カスイチ)、なかなか気持ちよさそう(風が吹かなければ)。来春の天気が良さそうな日に走ってみようかな。

霞ヶ浦から鹿島神宮の脇を掠めて南下し、銚子大橋を渡る。
先週来た銚子に再訪
海鮮…食い…たい…けど、走行スピードの遅い僕はランチタイムに間に合わなかったw
そして帰路の時間も…さほど余裕がないのでコンビニ飯で済ませてトンボ帰り。

グンマー在住の僕は、何度かここ銚子まで自転車で来たことがある。その時に使った利根川サイクリングロードを、今日は上流に向かって遡る。
利根川サイクリングロード左岸
土手の草もみじが、黄色く燃え上がる中先へ進む。
後方は利根大堰
今の時期の日は短い。日は翳り、気温は下がり、夜を迎える。
よるー
帰路がまた長い。
利根川から分かれて渡良瀬川の右岸を上流へ向かう。
渡良瀬遊水地を掠めつつ羽生のあたりではなんどかマイクロスリープに襲われる。

土手の上をフラフラ走って、国道に出たらコンビニ飛び込む。靴用カイロを買って貼り、服用カイロを貼り、カップヌードルで内側から体を温める。

刻一刻と気温は下がり、緩やかな登り基調なのにも関わらず身体は奥のほうから震えがやってくる。

今日も最後は…ホットコーヒーのカフェインと…本当に最後の最後はレッドブルで切り抜けてゴールへ。
やったよパトラッシュ

車に戻ったら、ガラスからボンネットから霜だらけだった。
車外温度計は…
マイナス2度! アヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
これで200, 400, 600km が走れたので、来年の10月末までに300km 以上を走れば… SR…が見えてくる。

2023年11月27日月曜日

BRM1125東関東600km完走

今年ボクはブルベを始めた。

元々は右肩を怪我して、上半身に負荷がかかる遊びができなくなったからだ。
激しい運動はできない、じゃぁその、軽めの運動で、上半身に負荷がかからないのは?
ということで、初心者向けの200kmブルベ 走って完走した。

ブルベ走って、最初は色々違和感はあった。

ボクが自転車で走る理由は、自由だから。
時刻表もない、乗り継ぎもない、ガス欠もない。
自転車は構造がシンプルだから基本壊れないし、壊れても直せるし…そんなこんなが自由に繋がる
筑波山
それがブルベになると、ルートが決められて、制限時間が決められて、装備も決められて…なんか面倒臭いなぁ。

ただねぇ、ボクと自転車との付き合いは結構長い。今の住まいを起点にすると、周囲…100km圏内ってもう走ったところばかりなんで、新鮮な出会いってほとんどないのだ。

それが、ブルベで「ここ走ってみて!」って指定されたところを走ると、新しい発見がある。

「あぁ、普段走っていたルートの横、数100mにこんなルートがあったのかぁ」みたいに。

ま、たまには…初めて走るルートって楽しイィい!って走ってたら、初めてじゃなかったみたいなこともあるけどな…
Golden Balls
そう、ここは以前AJP那珂川で走った道だった。

今回参加したブルベは600km、宇都宮スタートしてまずは那須に向かう。那須は雪が降っていた。そこから南下して霞ヶ浦かすめて銚子出て、犬吠埼へ。ここら辺で大体300km
犬吠埼灯台
ここからさらに南下して、上総一ノ宮あたりが折り返しの380km 

ボクは600kmブルベは初めて、というか、ワンプッシュ最長は300km…
600kmは想像の埒外…

慎重派のボクは、初体験の時はいろいろ調べることにしている。調べてみたら、普通は400kmくらい走って大休止をとるらしい。走力のある人は400kmくらいで貯金が4時間くらいできる。スタートしてから400kmくらいのところでホテルを取っておいて、3時間くらい仮眠を取って、リフレッシュして残り200kmを走る。600kmだと辛いけど、400km+200km を走ると考えれば無理ないよね?そんな考えらしい。

でもさぁ、そもそも400kmで4時間の貯金ができるということは、残り200kmでさらに2時間の貯金が見込めるということ。だから、貯金4時間ならそれをそのまま仮眠に回せば良い。

ボクにはそんな走力はないので、仮眠は取れるとしてもせいぜい2時間。しかも600kmは初めてだし、そもそもその手前の400kmも未経験だから、どれくらい余裕があるのかまったく読めない。

そこで…ボクは自分の強みを活かしていきあたりばったり作戦で行くことにした。

上総一ノ宮あたりで、余裕をみて1〜2時間仮眠を取る。とる場所は野外、野宿。

春から秋のブルベならその辺でぶっ倒れて寝ればいいけど、今はもう冬。普通はこんな時期に野宿しようとは思わないだろうね。でも、ボクは冬山でそれなりの経験を積んでいる。厳冬期のBCスキー・スノーボードの場合、マイナス10度くらいでも普通に行動するし、吹きっさらしの雪中で数時間停滞することもある。

一ノ宮チェックポイントの少し手前で、貯金は3時間程度あった。そこで、キョロキョロしながら進んでいると、国道の脇に公衆トイレと公園を見つけた。

公園には東屋と、その下にお休み場所があった。畳2畳くらいの正方形の板張りスペース。

当日はほぼ真っ暗だったし、倒れ込むように休んだので写真を撮る余裕がなかった。
木製ベッド(イメージです)
ちょうど通勤途中に似たような場所があったので、写真を撮った。これでイメージできると思う。

下がコンクリートか鉄板だと底冷えがして寒いから、木の寝床はありがたい。
そこに寝っ転がって頭から足先までエマージェンシーシェルターを被る。
冬山かよ
そう、ボクが積雪期に山で使っているシェルターを今回は持参した。これを被れば、相当の低温や強風の環境下でも快適に休める。深夜のコンビニ休憩でも、これさえあれば快適に休めるしね。

ボトルケージにブッ刺してあったシェルターを広げて被って、ぶっ倒れて1時間仮眠。これで頭がスッキリしたので、再び走り始める。

一ノ宮のコンビニ折り返しで380km、ここから成田空港の脇を掠めて北上していくのだ。

出走時の情報では、「銚子あたりで小雨があるかも?」ということだった。今のところ雨は降っていない。

他の参加者が追い抜いていく。彼らによると、「このペースならギリ大丈夫かもしれないけど、成田あたりで雨が降るかも?」ということのようだ。

ペースの遅いボクは、案の定成田空港の手前あたりで雨雲に捕まった。
成田空港周辺の丘陵地帯は穏やかなアップダウンを繰り返す。そこを雨具着て走りたくはなかったけれど、やがて本降りになったのでやむを得ない。

成田線の安食駅で、数人の参加者が何か相談していた。ここでDNF(Did Not Finish 途中棄権)するのかな?そう思いながら先に進んだところで、前輪が何かを弾き、それがフレームと後輪に当たってどこかに飛んで行った。

あぁ、パンクしたなと思いつつ停車し、前輪を持ち上げて回してみたところ異常無し。
と、再び走り出すと違和感…パンクは後輪だった。
シーラントまみれ
ボクの本気ホイールはチューブレス運用。ちょっとしたパンクなら、シーラントで勝手に穴が塞がってくれる。でも今回は穴が大きめで、しかも雨でシーラントが固まる前に流れてしまうので塞がらない。

ここでDNFか…一瞬そう思ったけれど、ここで諦めるのはあまりにも惜しい。

それに、そもそもボクの荷物は他の参加者よりも多い。それは、ボクが求めているスタイルは「自立しているサイクリスト」だからなんだ。

今の貯金考えてみろよ、1時間や2時間かけて修理してもなんとかなるぜ
持ってる装備よく考えろよ、3箇所や4箇所のパンクならなんとかなるぜ

そうだよね。
頭の中で、パンクした場合の対策をもう一度考える。

1) パンクする > シーラントで塞がる
2) 塞がらない > チューブレスキット(プラグ挿入)
3) プラグでも塞がらないくらいでかい穴
  > タイヤ外して、内側にタイヤブート当てる
  > チューブ入れてクリンチャーとして復帰
4) さらにパンクする
 > チューブレス生きてるほうなら1)に戻る
 > 3で補修した側なら、バラして通常のチューブ補修キットでパンク修理
5) さらにパンクする
 >4)に戻る

うん…そうだね、5回くらい立て続けにパンクしない限り、タイヤに1センチ以上の穴が開かない限りは…無問題だよね。

ということで2)のプラグ挿入で復帰
プラグぐりぐり
プラグで修理、実際にやるのは初めてなんだけれど、ちゃんと直って感動。
はみ出た部分をナイフでカットして走り出し、数キロ走った後で空気を補充したらゴールまで無問題で走れたよ。
また日が暮れる

朝5時スタートして1日走り、夜通し走り、翌日1日走り、日が暮れてゴール。
制限時間40時間で1時間ちょっとの貯金を残してゴール。
ゴールしちゃった
なんというか、自分が600kmブルベ完走できるとは正直思っていなかった。
嬉しいというよりか、呆気に取られたというか…

でもまぁ、雨には降られたものも、コンディションは良かったと思う。ほぼフラットな今回のルート、北風が強く吹くとかなり難易度は上がるはず。今回は、初日は暴風だったけれど、そのほとんどは追い風基調だった。これは大きなボーナス。帰路の北上は、普通なら季節風の北風に逆らって走るけれど、今回は風速2〜3mくらいで、無視できるくらいの影響で済んだ。

自分で自分を褒めるとしたら、降雨は読みきれなかったものの、風向きと風速は予想通りだったこと。たとえ雨が降っても、たとえ気温1桁の低温だったとしても、その辺りは装備と登山の経験でなんとかなる。一番のリスク要因である季節風の影響が少ない、それがチャンスだと読み切れたことが成功の要因かな。

ただ、一本600km走れたから、自分の実力が600km走れるところにある、というわけではないということは当然のこと。それは自戒を込めて記録しておきたい。
手の平ダメージ
走行距離と行動時間が長すぎて、サイコンもガーミンもiPhoneのトラッカーも全部バグってるの笑える。
ログはこんな感じ
結局、ガーミン(eTrex32)が残していたログを取り出して合体させて、無事にログが取れました。そんな感じの 600km 完走…

2023年11月26日日曜日

あしかがフラワーパーク

数年前から、奥様が言っていた。

あしかがフラワーパークのイルミネーション見に行きたい…

そう…数年前から言っていた。

普段のボクは、奥様が「〜〜したい」とか言ったら、もう、わかるよね?
そうですか、じゃぁそうしましょう、すぐしましょう、みたいな感じなんですよ。ワカルカボケー

なのになんで、すぐ行かなかったのか?

だってさぁ、あしかがだよ?

なんというか、その、イルミネーションにあなた…ドキドキしますか?
え?する?

そうですか…

それはどうもすみませんでした!
ピラミッドは不死のサイン
まぁその、人によって違うとは思います。
思いますが、正直、車で1時間近くかけて、イルミネーション見に行く、しかも足利までって感覚、ボクには無い。
池の配置がいい感じ

グンマーに転居する前、ボクは青山で仕事していた。
あ、いま、吹いたヤツ、ちょっとそこのヤツ、後で話があるから。

あのあたり、表参道とかのライトアップにはどうせ勝てないだろうなぁ、そんな感じだった。
池の配置がいい感じ
それにさぁ、ライトアップとかイルミネーションとか、本当は千葉にあるのに東京なんちゃら、あそこもすごいしね。
光のトンネル
駐車場についたら、舗装もされていないの。
なんか遠くからもピカピカ光っているのが見えて、あれがそうだったらすごいよねと思ったんだけど…駐車場は土。
ラブラブ
と、思ってゲート入ったら、割とすごい。
クリスマスー
奥様が来たがっていた理由がわかりました。
久しぶりのペアショット
























想像していたよりも5倍以上見応えがありました。
これは行った方がいいですね、防寒はちゃんとしたほうがいいですよ、寒いから。

なんかねぇ、正直侮ってました。

でもね、施設(トイレとかね)の更新もちゃんとされているし、フードコーナーも流行りの物を取り入れてたり、なにしろインスタ映えするように花やライトを配置していたり…

やるな、あしかがフラワーパーク(なぜか上から目線)
ネタにしてすみませんでした。押忍

2023年11月17日金曜日

学生寮の話(古川先輩ィお電話です!・2/2)

エンドウ君が仁王立ちになって、気が◯れたのかと思うような呼び出しをする。

きたりょぉぉおおおおおーーーーーー!!!!!
ふぅるかわっ先輩ぃぃぃ!!! ハアハアハア
お電話でぇぇっすううぅうぅーーーーー!!!!! 

エンドウ君というか、学生寮の名誉のために言っておくとさぁ、仕方ないんですよね。

各寮鉄筋コンクリートの4階建で高さがある。横幅も、そうだなぁ、50mプールより長いので75m位?奥行きもね、建物の中心に廊下が走ってて、両側に居室が並んでいる刑務所みたい団地みたいな建物なんですよね。建物の北側にある中庭から、4階端の、中庭の反対側である南側居室まで声を届かせようとしたら…本気で腹から叫ばないと、ダメなのよ。

で、この呼び出しは、2回繰り返す。

え?なんで2回かって?

一回では聞き取れないことがあるでしょう?音楽聞いてるとか、話してるとかね。

1回目は、最悪、「北寮の呼び出しだ」ってことを伝えればいい。注意喚起ですね。
2回目で、「誰を呼んでるのか」ってことを「正確に」伝える、そんな感じ。

名前の最初の「フル」が聞き取れず、後半の「カワ」だけしか聞こえないと…
ヨシカワ・アラカワ・キッカワとか、わからないでしょう?

フルカワならまだいい…「〇〇トウ」とかだとさらに紛らわしい。
イトウ・ゴトウ・エンドウ・サイトウ・エトウ・カトウ…
誰を呼び出してるのかわからなくなる。

ガラガラって窓があいて、誰か叫ぶ。

だれぇぇ?だれを呼んでるのぉを??

面倒臭いよね?だから2回呼び出しをする。

古川くんが誰かの部屋にいてダベっているとしよう。

きたりょぉぉおおおーー!!

ここで北寮のみんなは、会話を止めて聞き耳を立てる。ラジオ(テレビは禁止されていた)付けてる場合はボリュームを下げる。

ふぅるかわっ先輩ぃぃ!! ハアハアハア
おぉう、俺だ俺だ!

古川くんは窓をガラガラって開けて、中庭に向けて叫ぶ。

お電話でぇっすううぅぅーー!! 
はぁあぁあーーーいいい!!

古川くんの絶叫系の返事が聞こえたら、エンドウ君は呼吸を整えて受話器を取り、先方様にお伝えする。

古川、おりましたので、呼び出しました。ハァハァハァ 
恐れ入りますが、もう少々お待ちくださいませ、オス

受話器を取って、カウンターの上に置きっぱなしにしただけで呼び出ししているわけだ。

別に通話口を塞いでるわけでもないから、先様には「何が起きているかは定かではないが、そこらじゅうで誰かが絶叫している」ところ…

電話を受けてくれた奴は、なぜか「ハアハア」いってる…なんで?

かなりヤバいところに電話してしまった、ということは…伝わってしまう。

この呼び出しの破壊力…わかっていただけただろうか?
帝国海軍の旗艦である戦艦長門の41サンチ主砲なみの破壊力なわけだ、一発でも。

あっ、すみません、すみません、ほんとすみません、 
なぜ…私…あやまってるのかわかりませんが、とにかくすみません…

電話をかけただけの相手に、心底申し訳ない気持ちにさせてしまう、恐るべし和敬塾。

でねぇ、これも繰り返し言ってるけど、北寮だけで100人いるんですよね…
今は、鍵置き場になっちゃってる、在寮生ボードがこれ。
この釘一本一本ぎっしり名札が下がってた…

全員がリア充なわけないし、交友関係少なくて電話ほとんどかかってこない奴もいた。でも…そうだなぁ、一人の寮生に1日3本くらい電話がかかってくるとして、300本の入電があるわけですよ。

ソレが、午後…5時位から、門限の夜10時まで、5時間弱に集中する。
1時間に60本、1分に1本かかってくる計算、単純にね。

不在の場合が4割あるとして、残り6割、1時間に30~40回ですよ。
2分に1回、この呼び出しが中庭に響き渡るというわけです、平常時で…

戦艦長門の41サンチ主砲の乱れ撃ち…

本当に重なる時って、黒電話が全て入電で埋まり、呼び出しする寮生が4人か5人、かわるがわる中庭に出て叫んでいる。

で、ふと気がつくのだ。

自己紹介で大声出すのに慣れるってのは、このためだったんだなぁ
部屋周りで顔と名前を一致させるってのも、このためだったんだなぁ

極々一部の例外を除いて、電話応対にはみんな協力的だった。

黒電話が鳴り続けると、一度玄関で電話取ったら、下手したらそこからもう動けなくなる。要件のメモを取って在寮生ボードにぶっさす。受話器を置いた瞬間、その電話機が鳴る。在寮確認を取って中庭に出て、2回呼び出しをする。

そんな状況になると、もうそこから離れられなくなるのだが…そこは流石の連帯感。通りがかった奴が、状況に気が付く。

おう、次の電話からオレ代わるわ

と声をかけてくれるのだ、神?
これは先輩、後輩、同期関係なかった。
あぁ、本当に、いい奴らだなぁ、僕はそんな風に思ってた、一体感。

極一部…電話でみんなドタバタしてるのに…
玄関を避けて裏の窓から出入りしたり、みんなの脇をサササササーーーーって素早く通りすぎたり、電話応対を逃げるような奴も居るにはいた。

そんな奴らへの着信メモは、なぜかブッ刺し方が甘くて風で飛びやすかったり、字が異常に乱れてて読めないという噂もあった…

まぁそれは噂だし、そもそも、もう古い話なので。その噂が本当かどうか、確かめる術もない。

2023年11月15日水曜日

学生寮の話(古川先輩ィお電話でぇえっす! 1/2)

 学生寮のテレコミュニケーションの話に戻そう。


前回の投稿でこう書いた

学生寮だって、とても人数分の回線なんか引けないから、基本的には「下宿住まいの金盛君」と「電話持ってる大家さんの呼び出し」を、大規模に、大々的に拡大して発展させたもの…になるわけだ…コワイヨー

そう…違いは、学生寮の場合は、「大規模に、大々的に拡大して発展させたもの」なだけなのだ。

正面玄関入って左に、事務机を三本横に並べたくらいのカウンターがある。端の「ピンク電話」は発信専用機。その隣に4台だったから5台だったか、受信専用の黒電話がある。
受信専用機(ダイヤルが無い)
画像は:  https://aucfree.com/ 様よりお借りしました

着信があると、こいつが「ジリーリーーリリーン。。。ジリーリーーリリーン」と鳴る。
近くに居る奴がすぐに受話器を取り、応対する。

はい!!!!
和敬塾北寮です!!!オス
えんどう(仮名)が承ります!

最下級生が取るとか、何コール以内に取るとか、どうでもいい封建的なルールは特に決まっていなかった。

いきなりデカい声で応答があるので、大体の相手はビビる…

えっと、そのぉ、フルカワさん、フルカワジロウさんいらっしゃいますか?

フルカワですね!かしこまりました!!
確認いたしますので、少々お待ちください!!!!

そして、「在寮生ボードを確認」する。
在寮生ボード(鍵置きになっちゃった)
この写真は、人が住んでいない、廃墟と化した北寮に忍び込んで、某古川様が撮影してくれた直近の在寮生ボードだ。

ここには寮生の名札が下がっていた。表裏に氏名が書いてあり、表は黒字でそれが「在寮」を意味している。裏の氏名は赤字で、それは「不在」を表している。寮生は、外出するとき名札を裏返し、帰寮すると名札を表にする。

フルカワジロウさんの名札が赤なら外出中。ご要件を聞き、縦横5cm位のメモ用紙に書き取り、古川さんの名札がぶら下がっている釘の頭にブッ刺して止めておく。

名札が黒なら在寮中なので、部屋番号を確認して壁に埋め込まれた「呼び出しボード」のボタンを押す。

呼び出しボードとは、壁に半分埋め込まれた配電盤ボックスみたいなものだ。表面には、タイル状に部屋番号と、指先くらいの大きさの、赤くて丸いボタンが付いている。

ボタンを押すと、その番号の部屋に設置されたブザーが「ジィイイィィィー」と鳴って、呼び出しができる…

でもねぇ、「学生寮の話シリーズ」で散々書いた通り、みんな自分の部屋におらんのよ。友達の部屋にタムロして酒かっくらってんだからサ。ブザー鳴らしたって来ないのよ、誰も。

それに最初っから門限守る気無いヨアソビ上手な奴とか、オネェちゃんとどっかにしけ込むつもりの奴とかさぁ、いつもいっっっっっっつも、名札は表。ひっくり返されたことなんてみたことない。

で、一応ブザーを2、3回、グリグリって押して(接触悪くて実は鳴ってないって噂の部屋もあった)…エンドウくんは正面玄関を出る。

玄関を出ると南寮との間に中庭がある。そこでエンドウ君は仁王立ちになって、呼び出しをする。

きたりょぉぉおおおおおーーーーーー!!!!!
ふぅるかわっ先輩ぃぃぃ!!! ハアハアハア
お電話でぇぇっすううぅうぅーーーーー!!!!! 

これねぇ…
知らない人が見たら、気が◯れたのかと思うよね。

つづく

2023年11月14日火曜日

学生寮の…話?(コミュニケーションテクノロジー in 昭和)

令和の今、平成はすでに遠く、昭和ははるか昔になった。

今は当たり前のものが、昭和には無かった。携帯電話もパソコンもLED照明も無い。LEDがなかったから、テレビといえば巨大なブラウン管式だった。「壁掛けテレビ」は夢の技術、そんな時代。

そんな昭和が終わろうという時に、僕は学生寮に入った。

今も昔も学生、というか若者にとって大事なのは、友人とのツナガリ。

携帯電話もメールもSNSもなかった昭和時代は、人とツナガル、繫がり続けるのは割と大変なことだった。

そんな時代に若者だった僕らは、どのようなテレコミュニーケーション・システムを使っていたのか、そんな話をしてみよう。

学生寮のアウトバウンド・コミュニケーションはシンプルだ。各棟正面玄関入って左に、事務机を三本横に並べたくらいのカウンターがあって、その端に「ピンク電話」がある。

ピンク電話?エッチな話が聞ける電話?
そーゆー電話サービスもあったけれど、それはもう少し後の時代のこと。

正式名称は、「特殊簡易公衆電話」 ←ウィキペディアに飛びます
要するに、10円硬貨しか使えない、コイン式の簡易公衆電話のこと。
ピンク電話(Wikipediaより)
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=14702776


当時市内通話は3分10円だったからまだいいのだが、遠方になると大変だった。30秒とか15秒で10円玉が飲み込まれていくので、実家が遠い学生とか、遠距離恋愛している不届なヤツとかは電話機の横に10円玉を積み上げてからダイヤルを回す。

ピンク電話は各寮1台しかなかったけど、街角の公衆電話はいまよりもっとたくさんあった。その一部には、100円硬貨もテレホンカードも使える電話機があったから、「よし、今日は電話するぞ」と思えば街角の公衆電話ボックスに行けば済んだ。

インバウンド(外部から寮)の電話が…大問題だった。

当時、電話回線を引くには、1回線7~8万円の「権利金」を日本電信電話公社(現NTTの前身ね)に払わなければならなかったのだ…

今、ウソー ってつぶやいたそこの若者、マジだから…

個人でこの額払うのは大変だ。だから実家には電話があるけれど、下宿先には無いのが当たり前。下宿している学生は、大家さんの電話を借りるのが普通だった。

僕の親友、貧乏学生仲間の金盛君(仮名)の下宿を例に説明する。

広さは4畳半、ステンレスの流し台とその脇には1口ガスコンロ。風呂はないけど、和式のトイレが付いているのがイカしてる…当然…電話はない。

電話連絡ができないのは不便なので、彼は大家さんの電話番号を自分の番号として借りる。外から金盛君に電話すると、大家さんが電話をとってくれる。

はい、高橋ですぅ!

この時、金盛君に電話したのに高橋って出ると、あれっ?間違えたか?って混乱しちゃうよね。だから、金盛君の電話番号は、03-343-xxxx (高橋様方)みたいに、大家さんの名前が一緒に書いてあるのだ。

大家さんは電話を取ると、保留(手巻きオルゴールで音楽が流れる、専用の受話器置き台とかがあった)にして、窓を開け、隣にある下宿棟に向かって呼ばわる。

「金盛さぁーん、お電話よぉ〜」

金盛君は「はーい!」と返事して(返事しないと大家さんは「留守です」と言って切ってしまう)、部屋を飛びだす。

そんでもって、大家さんちの玄関脇に置いてある電話で話をするというわけだ。

間にワンクッション、大家さんという「呼び出しシステム」が入るので、夜は21時から朝7時くらいまでは電話できなくなる。

いや、できる、できるのだが、大家さんの玄関先で電話を取るのだから、襖の向こうには大家さんがいる。夜22時近くに受けた電話が、しょーもない馬鹿話とか、コンパの場所の相談だったら…ねえ…?

ちょっと金盛さん、夜に電話させるのやめてちょうだいよ!!!
寝ないと次の日のお肌に響いちゃうんだからサ!!

そんなふうに冗談めかしつつ、目が真剣に…コロス!今コロしてやる!という大家さん怖い。

電話番号の後ろに (XXX様方)と書いてあれば、お互いに気遣って夜や朝の電話は避けるのが当時のマナーだったのだ。

なんの話だったっけ?

あぁそうだ、学生寮の話だったw

学生寮だって、とても人数分の回線なんか引けないから、基本的には「下宿住まいの金盛君」と「電話持ってる大家さんの呼び出し」を、大規模に、大々的に拡大して発展させたもの…になるわけだ…コワイヨー

つづく