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2023年4月8日土曜日

お友達と小江戸川越をそぞろ歩き

僕ら家族は、横浜からグンマーに移住した。
最初に住んだ家のご近所さんが、すごくいいご夫婦で、もう10年以上の付き合いになる。

僕ら夫婦もご近所さんも、引っ越ししてお互いの住まいは離れてしまった。それでも、こうやって、定期的に声をかけてくれて遊べるっていいよね。

相手のご夫婦は埼玉在住で、今回は川越で待ち合わせ。
うなぎの名店でリッチなお昼
当日は雨予報が、直前で晴れに変わったのだけれど、待ち合わせ場所に着いた時は小雨が降っていた。

でも、これくらいなら無問題。
鯉のぼりの季節感
グンマーにも、小江戸情緒を売りにする街はある。でも、川越のは想像よりももっと江戸江戸していた。
つい写真を撮る
つい写真、略

つい写 略

商工会議所だって…

つい 略

つ ry

江戸を歩いてトルコに到着
偶然人が途切れた瞬間

インバウンドのお客さん多し


ランドマークの時計塔
スタバだよ

鰻屋さん多し
奥様が下調べしてくれていた鰻屋さんに到着。11時前に、ランチの順番待ち券取れたのだけど、その時点で4x番……

直後に、本日のランチ受付は終了しましたの案内が出るwwwマジか
諦めきれず来る人波

3階まである

鰻重!
タレがスッキリしつつもコクがあって、うなぎもふうわりと軽くフワッフワで、大変に美味しゅうございました。
そぞろ歩き
ご飯を食べたら、菓子屋横丁へ散策。
オブジェw


ガールズチームで相談
その後雨が強くなってきたので、解散しました。天候はあいにくだったけど、その代わりに人も少なかった?のと、古い街並みの趣が際立って良い1日だったなぁ。

また行きたい。

2023年4月5日水曜日

タケちゃん(仮名)の想い出

小高い丘というか、ちいさい山のてっぺんに実家はある。

標高差は200m程度はあるのじゃないか。自転車で一気に登り切るのは、普通の人にはほぼ無理な坂。その坂を登り詰めたところに実家はある。

あの坂を上るのが嫌、ということもあり、遊びに来る友達は滅多にいなかった。物好きで来ても2度来る奴はまずいなかった。

そもそも僕はずっと病気がちな子供だった。幼稚園で内臓の一部を摘出し、小学校では低学年で心臓まわりの病気になり、高学年まで一切の運動が禁じられていた。

運動への欲求は読書に向かい、高まる言語能力を活かして口達者で生意気で…鈍臭いという、男子カーストの最下層。性格も…ひねくれていたと思う。
日本海

そんな僕の遊び相手になってくれたのが、近所に住んでいたタケちゃん。タケちゃんは、3歳くらい年上だったかな。いつもニコニコ。庭で虫を探したり、裏山を探検して遊んでくれていた。

ちょっとした坂を登る、小走りする、それだけで、すぐに心臓バクバクで動けなくなる僕。

そんな時もタケちゃんはニコニコ笑いながら、待っていてくれた。鈍臭いからといって、馬鹿にすることもなかった。

得意なことと、苦手な事があるのは当たり前だよ

そんなふうに、ちょっと大人びた口調で言ってくれた。

ある時、タケちゃんは他の人とちょっと違うらしいと知った。僕とタケちゃんは同じ小学校に通っている。タケちゃんが勉強している部屋は、みんなと違って人が少ない。僕らの教室は、石油ストーブの周り以外は、みっちりと机が並べられている。タケちゃんの教室は、先生の目の前に、数人の生徒が机を並べて勉強しているのだ。

小学校を卒業したら、タケちゃんは中学校ではない学校に行くらしいのだ。どうして?と聞くと、タケちゃんはちょっと困った顔をした。
日本海と夕陽

もうすぐタケちゃんが小学校を卒業する、そんな頃だったと思う。僕とタケちゃんは、キャッチボールをして遊んでいた。何がきっかけだったのかわからない。急にタケちゃんが怒り出した。そして、投げたボールが、結構な強さで僕の顔に当たった。

僕らが使っていたのは軟球で、硬球とは違う。
痛さはそんなでも無かったのだ…

だが、いつもニコニコしてるタケちゃんが、いきなり見せた怒り。
そして、不意にやってきた痛みに僕は、ワンワン泣きながら家に帰った。

グローブもボールも置いたままで。

家にいた母親に、何が起こったか聞かれたのだが、うまく伝わらなかった。

「僕が何かまずいことを言って、タケちゃんが怒った」が無かった事になり、「タケちゃんがいきなり野球のボールを、顔をめがけてぶつけた」という話になってしまった。

タケちゃんとお母さんは、グローブを届けに来てくれた。

タケちゃんはしょげかえって、ゴメンねと言ってくれた。タケちゃんのお母さんの顔は記憶にない。多分…俯いて…泣いていたと思う。というより、僕も、二人の顔をちゃんと見ることはできなかった。

その後、タケちゃんと遊ぶことは無かった。多分だけど、親同士の話し合いとかもあったのではないかと思う。

僕は、タケちゃんに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

だけど、その後タケちゃんは中学校ではない学校に進学し、制服を着て、小学生の僕とは、挨拶を交わすだけになっていた。

タケちゃんは以前のように、屈託無くニコニコと元気に挨拶してくれた。けれど、一緒に遊ぶことは無くなった。

僕は、謝りそびれてしまったのだ。
新潟の静かな海

いつか、タケちゃんに言わなければと、僕は思っていた。

「あんな生意気な僕と遊んでくれてありがとう。あの時のボール、そんな痛くはなかったんだよ。怒られたでしょ?ごめんね。」

群馬県には海がない。タケちゃんはたまに家族と行く海が大好きだった。

ある夏の日、大好きな新潟の海でタケちゃんは溺れて亡くなった。

新潟の海を見るたび、僕はタケちゃんのことを思い出す。
今生での謝る機会を失った僕は、少し俯いて打ち寄せる波を見る。

*くどいですが、このブログはフィクションです*

2023年4月3日月曜日

Ride4 アクティブレストでフラット練

Ride3のプチヒルクライムが、地味に体力を削ってしまった。

というかその、路上復帰前のトレーニングが、ローラー台だったんだよね。
前傾姿勢で体を支えると、肩に差し障りが出るので、基本軽負荷。
ハンドルは軽く抑えるだけで、クルクルペダル回して、心肺機能を維持するのが主目的。

だから身体ができていないわけで、ちょっと負荷上げて走ったら体の節々が痛い。

特に…手術した右肩の奥がヒリヒリする

今日は、身体に血流を回してリカバリーさせるために軽く走る。
桜並木を見つけた
今日は西に向かって走る。

大間々・桐生・太田あたりに出るのに、効率的な道はないだろうかとずっと思っていた。
古くからある街道は、道が狭いのに交通量が多くて怖い。

新しく作られているバイパスは、道はそれなりに広いけど、交通量も通過する車のスピードも速くて怖い。

そこで、北関東道の側道を使ってどこまで行けるか考えながら西に進む。
渡瀬川に出た
太田藪塚ICのあたりから、北関東道は山の中に吸い込まれていく。そのちょっと手前までは、比較的快適に抜けられることがわかったのが収穫。

路肩に近いところに、ダンプ・トラックで踏まれて嫌な轍ができているのは要注意だけどね。
足利のラーメンは佐野風
足利に出て、さてどうしよう。ちょうどお昼時だったので、工業地帯にある定食屋さんに入ってチャーシューメン大盛り。

家族でやっていて、若夫婦の娘さん(推定小学生)も元気にお手伝いしている。値段も安いし、厚切りのチャーシューがボンと入って、手打ち(風?)の太麺にスッキリ醤油スープの佐野ラーメン風。美味しゅうございました。

お嬢さんが、エプロンして、お冷出して、片付けして、テーブルをアルコールスプレーで除菌して、お会計したお客さんに向かって「ありがとうございました!」って、声を張っている姿を見ていたら、心が洗われた。

僕の実家はお店をやっていて、小学校のころからバイトwで駆り出されていて…僕はどちらかというと義務感というか、ちゃんとしないと親の立場が無いみたいな…考えで一生懸命にやっていた。「やっているふり」ではなく、ちゃんと、汗だくになりながらしていて、周囲の人からは良く褒められた…のだけれど、なんというか、やっぱり義務感でやっていたのだ。笑顔で愛想は振り撒いていたけれど、見る人が見れば、それは「お愛想」であることが分かったろう。

でも、ここのお嬢さんは、大人ばかりの場所に立つことに緊張しながら、親御さんとそのお店の役に立つことを心から喜んでいた。一所懸命だった。

僕は「商店の長男として理想的な姿」を作っていた。だから、彼女の働く動機が、昔の僕と違うのが分かったし…彼女のひたむきさと、彼女をそうさせているご両親との関係性を考えたら、ほのぼのと胸熱になりました。

そのまま渡瀬川を下っていくと、150kmコースになっちゃうので、早めに利根川に向けてショートカットする。

赤岩渡船の船着場に出る。
渡船は県道扱いで無料で使えます
ここに来るのは久しぶりな気がする。
利根川って感じの堤防
上流を見ても下流を見ても、ゴン太な堤防がズドンと通る。
確か…利根川を下流に降る時は、対岸(右岸)を行かないと遠回りになるんじゃなかったかなぁ。だからこっち側はあんまり通らないのだよね。
船着場の向こうが右岸
右岸の河川管理道が、利根川サイクリングロードに指定されていたはず。ほんでもって、こっち側は単なる管理道なので、人が少ない。
菜の花の花粉…感じる
今シーズンはブルベ走ってみようと思っているので、アベレージ20~25km程度で巡航するように走る。でも、油断すると18~20km に落ちちゃうんだよね…弱っw
馴染みのある風景
サイクリングロードの支線に入り、見慣れた風景を通って帰宅。
ログはこんな感じ
右肩の痛みは続いている。というか、同じ姿勢で負荷をかけるせいで「強張っている」感じ。
1日2日落ち着かせつつストレッチして、痛みが引いたらウェイトをすることにしましょうか。

2023年4月1日土曜日

Ride3 ちょっと坂を登りに

自転車をどうやって再開するかは一応考えていた。

バランスを取る、適切なギアにシフトする、ブレーキをかける、そうした基本を振り返る初日。

平坦路で短めに走って体を慣らす二日目。

そして、軽く坂を登ってみる三日目。そう、今日は山のほうに出かけてみる。
日本は桜の国
前回走った時、梅田湖への登りが自分史上最高に楽だった。
脚がヤレて来ると、もっと軽いギアを探して右手が動く。

一番軽いギアに入っているのに、それを忘れて右手がスカッと空回りする時の虚しさ。

フロントチェーンリングが 38-26tになったので、軽い方のギアが増え、最高に軽くしたと思って下を見ると、まだ2枚くらいギアが余っている。

この心理的な安心感と、負荷なくペダルを回しているといつの間にか坂の上に到着するという…無の境地

もしかして、ヒルクライムに開眼したかも??
利根川左岸道を遡上する
いつものローカルな道をのんびりと登る。
不動明王像
いつもは単に通り過ぎる石像を今日は近くで眺めてみた。
なるほど…
東日本大震災ゆかりの巨岩と石像でありました。
後ろにまわるとこんな感じ
これが上から落ちてきた時は…ぶったまげたことでしょうね。
上越線
道は狭くクネクネ曲がる。対岸の、トラックだらけの国道と違って自転車には優しい道。
最近知られてきた?みたいで、対向から4〜5人のサイクリストがくだってきた。
利根川本流
沼田に出た後、プチヒルクライムに入る。
プチ…ではなかったw
自転車では初めて通る、権現峠。脚は登坂の半分くらいで終了し、結局はギアを使い切り、休み休み登る。でもまぁ、時速6kmペースでクライムアップできるので、押して歩くよりは随分と楽。横を通る車に、自転車を降りて押している、情けない姿を見られないで済むしな…
権現峠
疲労のあまり峠の看板が傾いて見えた。
旧街道の石碑
峠の先にはロックハート城
グンマーの名所…入ったことないけど
関係者の皆様には悪いけど、ヨーロッパの古城を移設復元したって、観光地として成り立つのかね?そう思っていた。しかし、もう何十年もここで立派に成立しているということは…先見の明があったということですね。僕は凡人です…
利根川CRに入る
坂をくだって、いつものサイクリングロードに入る。
桜のトンネル
花びらの路
わずかな期間だけ見られる景色
しだれ桜もいとおかし
一年でもごくごく短い期間しか見られない、桜の路を堪能しながら帰る。
ログはこんなかんじ
サイクリング筋が育つことを願いながら、プロティン飲んで眠りについた。