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2021年5月1日土曜日

DAY40 BC7今期3回目の至仏山

グンマー國はおととい雨、じゃかすか本降り。そして昨日は夏日。もう、雪解けどんどん進んじゃうモードだよ。ということで、もう、隙さえあれば至仏山へということで決定。

ユーヤと出動してきました。
今日、ユーヤの秘密がわかりました。

今日は低気圧が近づいてくる予報で、片品・沼田方面は夕方から雨。でも、天気図と、高層天気予報を見ると、午後早い時間帯から雨になりそうかな。ということで、戸倉の第1Pに6時集合、7時に乗合タクシーで鳩待峠に向かって出発。

今日の天気が良ければ、ワル沢滑って、トラバース交えてムジナ沢を下からハイクアップして(上部は雪が少ないので進入が禁止されている)、山の鼻に降りて鳩待へ戻る。そんなプランを考えていた。

だけれど、天候悪化の傾向が明らかなので、午後1時くらいまでに鳩待峠に戻っていたい。というわけで、心を込めてワル沢を降り、オヤマ沢の途中で右岸に渡ってトラバースしながら高度を稼いで鳩待に戻る。そんな、一本入魂一発勝負とする。

最近この写真多いっすよね、ほっとけ

子至仏のトラバースを過ぎたところで風が強くなる。山頂ではボードやら帽子やらが煽られるくらいの暴風になったので、そそくさとユーヤの写真だけ撮って風裏に逃げる。予報では西風が南寄りの風になったら、低気圧と前線がすぐそこに近づいたサイン。なので、風向きに注意しながら、素早く行動。8時少し前に鳩待峠を出て、山頂が10時少し前、2時間でここまで来たので結構いいペース。

つい最近来たような気がします。て言うか、来たよね?

山頂からダイレクトにワル沢に降りると、スキーヤーズライトに巻いていけない。ハイマツ帯が出ちゃってるから。なので、ハイクアップして来たところを途中まで戻り、下まで雪がつながっているところからドロップイン。

山頂南の岩場下からドロップインするユーヤ

しっかりした下地の上に、緩んでエッジがしっかり噛む、そしてボードが走るコーンスノーが3センチ。その上に、1〜2cmさらっと積もった雪。流水痕も気にならず、この間の月曜日が嘘みたいな快適斜面。ガーーーーーって滑って、途中からスキーヤーズライトに進路を変えていく。
これでもう少し日差しがあれば言うことなし!

針葉樹の幼木がポサポサ生えているところを縫って滑り降りる。

いやー最高っす

ちょっとスピード出してスラッシュ上げてみたり。

Rider: ユーヤ
ユーヤは雪と喧嘩しないで滑る
ところどころタイトなところも、また楽しい
タイトターンの切り返しが気持ちイー
ワル沢の大斜面が終わって、オヤマ沢へのトラバースに入る

オヤマ沢への尾根も、もう少し雪があれば楽しそうだった。ただ、今シーズンはちょっとツリーがタイトで、上部では滑りやすかった新雪がややストップ気味。で、ここをボトムまで落としてもつまらないので、早めに右岸目指してトラバースに入る。

妖怪板掴みが、チラホラで始める

そんなこんなで、鳩待峠リターンは11時ちょい過ぎ…写真撮ったり、帰り道は尾根までのハイクアップがあったのにこの時間。本当に滑るのってあっという間だよね。

駐車場に戻って、片付けしてたらパラパラと雨が降って来たので、天候読みはあたったようだ。まだ12時なので、あの場所に行くことにした。

ユーヤ2回目、俺…すでに顔を覚えられている…
アチアチ、ジュワジュワ、ニンニクニクニク餃子
今日のユーヤはトマト酸辣麺
今日の僕は…

これに初挑戦、別々の車、黙食だから食えるクサクサウマウマ麺


忘れるところだった、今日わかったユーヤの秘密。
滑っているところを中心に、今日は400枚の写真を撮った。

ユーヤの顔が写っている写真、全部笑ってるの。
滑ることが楽しくてたまらないって顔してる。

それがきっと、ユーヤが誰よりも速くパウダーを滑れる秘密なんだろうね。俺も今度から笑って滑ろう! 

今シーズンの滑走日数40日になりました。感謝

おしまい


2021年4月30日金曜日

Chief Impact Officer, AKA: CHIMPO 

写真と本文は関係ありません

とある連邦のヤンごとないお方が、王室を離れるらしい。理由とかは、僕にはまったく想像もできない。ただ、一般人になり、生活を確立するのは大変なんだろうと思ってたら、ある会社で "Chief Impact Officer" という役職に付くのだそうだ。

略して CHIMPO

もともとの地域では普通なのに、他言語から見たら変ってのはどこにでもある。僕が子供の頃に、ある本で読んだのだけれど、「帝国ホテル」はフランス語圏の人にとってはまずい意味を持つらしいんだ。

「ピジョン」というブランドがある。鳩は平和の象徴だけど、愚か者という意味もある。いい意味で使われるときは 「DOVE」 と書く。ボディソープでありますね、ダブ。それがピジョンになると、「(鳩のように)愚か」という意味になる。

下ネタ系に行くと、「ボボ・ブラジル」ってプロレスラーがいらしたり、高田馬場には 「Big Box」という駅前ビルがあったり。

グンマー國のおみやげで、「だんべえまんじゅう」というのがある。これがある地方ではスマッシュヒットらしいとも聞くし。ちなみに、「だんべぇ?」というグンマー方言は「そうでしょう?そうですよね?」という意味。

だから、その、たとえ CHIMPO が チ◯ポ って読めたとしても、そのまま胸を張って歩んでいただければよろしいのではないかと、僕は思うのだ… おもろいし

そもそも、英語圏でこうした略称を全部大文字で書いた場合は、一つ一つのアルファベットをそのまま読むのが基本。

FBI エフ・ビー・アイ
CIA シー・アイ・エー
FEN エフ・イー・エヌ

役職も同様に、

CEO シー・イー・オー
CFO シー・エフ・オー

ね? つまり、この役職の読み方も本来はこんな感じ。

CHIMPO シー・エイチ・アイ・エム・ピー・オー

読みにくいな…

略称にしてるのに逆に呼びにくくなるときは、そこに邪な企みが隠れているものだけど…

いっそ違う役職にしたらどうだろう?例えば、 

Chief Interrelationship & Communications Officer とか?
略して CHINCO …

やっぱり…
今のままで…
いーですー…
無問題ですー おもろいし

CHIMPOの役割は、”WAO" というインパクトで、周囲をインフルエンスすることなんだそうだ。

役職名だけでものすごい「インパクト」を与えられるって、さすがアメリカだよね ← なんか違う

おしまい

写真と本文は関係ありません



2021年4月29日木曜日

僕のBC黎明期(Ⅱ)尾瀬燧ケ岳

僕のBC黎明期は、積雪量の少ないところでスタート、理由はラッセル下山とかでハマると翌日の仕事に差し障るからとも言った。でもね、ホントのところは…

アバランチビーコン持ってなかったんだ wwww

だってさ、単独なんだよ。一人で埋まった時、ビーコンが電波発信してても、周りにだれもいなければどうしようもないよね?なのに5マン円のビーコン買う?(注1)

そんなわけで、僕のBCは「ビーコン無し・雪崩レスキュー期待値ゼロ」 ≒  「雪崩のリスクミニマムで遊ぶ」からスタートした。で、浅間・草津・武尊でトレーニングして、次は尾瀬に目標を定めた。


雪解けの進んだ春先に、尾瀬探検をスタート

雪崩のリスクが少ないのは、斜度が緩くて、春先の雪が締まった時。で、ぶっちゃけ、そんな時期のそんな斜面って、滑りからくる刺激というかコーフンはほぼゼロ。だから、どうやって楽しさを見つけるかっていったら「旅」。旅って言っても仕事柄せいぜい1泊2日で、予備日ゼロ。翌日は確実に下山しないと、仕事に差し支える。で、いろいろ考えて、一泊二日で燧ヶ岳を滑りに行った(注2)。

大清水から、林道をとぼとぼ歩く。日程が限られているので、夜明け前の暗い林道をとぼとぼツボ足で歩く。そして、登山道に入って、シールをつけて峠を超え、尾瀬沼に出る。

一ノ瀬で休憩

尾瀬沼に出ると、そこから先はステップソール(ウロコ板)ならではの、軽快な行動力を生かして遊ぶ。

マウンテンダックスの、ツアースキー用バックパックは今考えても良品だった

尾瀬沼は氷結して、どこでも、どっちに向かっても歩ける。当時はまだBCが今ほど盛んではなかったし、僕が行動するのは平日だから、ほんとに貸し切り状態。というか、遭難したら誰にも発見されないくらいの…秘境感


氷の薄いところはあるので要注意

そして、今夜の泊まり場所を探しながら探検する。

燧ケ岳 双耳峰のコルから尾瀬沼にダイレクトに落ち込んでいるのがナデッ窪

確か禁漁区だったはずなので、そこら中に魚がいる。

ちょっとした水路にもデカイのがのんびり泳いでいる

で、登山道から離れたところにツェルトを張って寝る。軽量化・スリム化を進めたせいで、寝袋は夏用だけど、マイナス20度を経験した僕だから無問題。

モンベルの名品、ULツェルトには随分とお世話になった

翌朝はまだ暗いうちに起きて準備。気温は確かマイナス8度くらいだった気がする。締まった雪で、テレマークブーツでもキックステップがしっかり決まる。で、雪が緩む前に、ナデッ窪を直登し、慌ただしく双耳峰を両方回って山頂を踏み、そのままナデッ窪を滑降して降りた。

登って降りてくるだけになっちゃったのがちょっともったい無い

まぁ、その、「滑降」って言ったけど、ここはかなり急で、狭くて、単にジャンプターン+横滑りでクリアしただけ。黙ってればバレないから、いいよね。


あとは帰るだけ。

で、尾瀬沼を渡って、峠を越えて下って、林道をとぼとぼと歩いて大清水に下る。

大清水ゲート前

ついさっきまでは、あれだけ雪に覆われていた尾瀬沼にいたのに、今は砂利道の林道を歩いている。
大清水の観光木道、水芭蕉や座禅草が咲いている

荷物を車に置いて、すぐそこの観光木道を歩いてみた。ハイキングか、観光か、お姉様方がそぞろ歩きしながら、湿地帯を指差してあーでもないこーでもない言っている。

ほら、あれ、あの白い花綺麗ね。なんていう花かしら?

僕はたまらなくなって言う。

あれが水芭蕉ですよ。
え?うそよね、水芭蕉は夏の花よ。
いいえ、水芭蕉は、雪解けの時の花です。
まさか〜、歌にもあるでしょう?
そうそう、なーつが来ーれば思い出す〜ってね。

僕はなんだか面倒くさくなって、その場を離れた。

あの、周囲数キロメートル、間違いなく誰もいない尾瀬沼のほとり。
あそこよりも、なぜか、人がたくさんいるここの方が孤独感を強く感じた。

そろそろ、もうちょっと斜度があるところで、人がいないところに行ってみようか。そんな風に思いながら僕は車に戻った。

おしまい

注1 こんな感じでBC始めたので、僕はビーコン持たずに「入らざるを得ない」人の気持ちがわかる気がする。この間の至仏で聞いたけど、ロストアローがビーコンの取り扱いを始めて、値段が随分と海外相場に近くなって、買いやすくなったそうです。ロストアローって会社は、なんというか、本当に良い物を、手が届きやすい値段で提供しようって気持ちが溢れてて好き。

注2 ビーコン(アバランチトランシーバー)は、単独でもしましょうね。ヒトココって電波発信機による捜索サービスも強く推奨します、ググってください。

2021年4月28日水曜日

僕のBC黎明期(Ⅰ) 浅間山・草津白根山・上州武尊山

この間の至仏山BCで、ハイクしながらモロちゃんと楽しい話をした。至仏山に来て周囲の山を見渡すと、テレマークスキーで登って滑った山がいくつもある。目の前の尾瀬ヶ原の向こうにある、双耳峰の燧ケ岳とかもそうだ。あそこは、凍結した尾瀬沼を渡って、ツェルトで泊まって滑ったなとかね。で、話をしているうちに、僕がどうやってBCを始めたのかを書いてみようかなって思った。

もう何度も書いてるけど、僕はスキーにどハマりしてた。学生時代に1シーズンアルバイトでお世話になったスキースクールがあった。そことのご縁がずっと続いていて、校長やら、デモ選とかに出るような他のイントラたちと一緒に滑るという、幸せなスキー生活を送っていた。

ところが、バブルが本格的に弾けて、スキースクールが閉校になることが決まった。そして、イントラのみなさんも散り散りになり、なんというか僕は虚無感に襲われた。で、僕はふと手に持った雑誌を読んで、山スキーを始めてみようかと思った。

その頃僕が住んでいた街には、ICI石井スポーツがあった。競技スキーやブーツはいつもそこで買っていた。わりと頻繁に行っていたので、そこの店でも山スキーやテレマークを売っていることは知っていた。

で、僕はアゾロ(ブーツ)と、ブラックダイヤモンド・シンクロX(板)に、ロッテフェラー・スーパーテレマーク(バインディング)のセットと、クライミングスキン(シール)を買ってテレマークスキーを始めた。

最初は浅間山周辺で練習した。

高峯山、東籠塔山から水の塔山周辺でシール登行、ツボ歩行を練習し、ゲレンデで滑りを練習した。そして、どのくらいの寒さまでなら、どんな服装で耐えられるのかを知るために、着の身着のままで駐車場の脇の樹林でビバークした。ま、仕事終わって車で移動して、夜遅くに着いて、着替えて外でビバークするだけだけどね。

夏山は結構登っていたが冬山経験は無い。ローカル小規模の小売店勤務で有給休暇とか連休とか取れず、平日休み。一般サラリーマンとは接点無いし、山岳会とかにも入れない。周囲に同じ趣味を持つ人もいなかった。しかたなしに単独行、一つ一つ段階を踏んで、経験を積むしかなかったのだ。

Yukama, Mt. Kusatsu Shirane

この時代はまだフィルムカメラが主流だったので、写真があまり残っていない(実家にはあるはず)。浅間周辺でそれなりに経験を積んだ後は、ビバーク訓練を草津白根山でやった。夜はマイナス15〜18度くらいまで下がったけど、それくらいまでなら準備さえしていれば大丈夫なことは自信になった(注1)。

草津ロープウェイ山頂駅から湯釜に向かう

当時の草津国際スキー場のパトロール隊には、山スキー経験者の親父さんたちが居た。

一人でビバーク訓練?湯釜の近くで?
できればやめて欲しいんだけどね〜 (嬉しそう)
テントは禁止だからね!国立公園だからね! 
え?テント持たない?ビバークだから? (さらに嬉しそう)
寝袋だけはツライよ〜!えっ?寝袋も持たないの? (満面の笑顔)

で、他の隊員さんに向かって、

オイ、天気予報チェックしろ!明日の最低気温は?
バカ、それは下界だろ、湯釜の最低気温は?

んで、隊員さんは、湿度換算表と標高で計算したのかな…

…氷点下15度から18度くらいですね。
後は風ですけど、北風で4〜5mくらいはありそうです。

えっとねー、お客さん、湯釜周辺は、体感温度マイナス20度くらいになりそうなんで、訓練としたら最高かも。良く晴れるので、星も綺麗で、流星群も見られるかもね(注2)。ただ…放射冷却でもっと下がるかもしれないけど。え?行くの?仕方ないなー 

で、そんなことをなんどかやって、少しずつ行動範囲を広げていった。

芽吹き

それまでは悲しいだけだった春の訪れも、山でいろいろな変化を見るにつれて、愛おしく感じるようになっていった。

ブナの樹林帯をハイクする(武尊牧場上部)

ハードパックのピステで、正確に、力強く、板を走らせることを考えてばかりいたのに、雪原を歩いたり、ちょっとした斜面を滑ることに楽しさを見つけた(注3)。


武尊牧場から上州武尊を目指すが引き返す

浅間山・白根山でまずスタートしたのは、積雪量が少なめだったから。雪山初心者なんで、最悪ツボ足でも下山できるようなエリアに行こうと決めていた。翌日も仕事なので、何があっても下山できるってことが重要だった。

で、道具も見かけほどヤワで無いことがわかり、ステップソールとクライミングスキンの登坂能力とか、いろいろ解って来たので、次のステップとして上州武尊エリアに通い始めた。

武尊牧場スキー場から上州武尊を見る

玉原高原あたりはちょっと斜度がなさすぎで、川場あたりは逆に谷が深すぎた。オグナ(確か当時は違う名前だった気が?)あたりが本当は良かったのだろう。しかし、オグナ周辺は組織化された山スキーヤーばかりのエリアで、ヘボいテレマークスキーヤーが単独でBCに入って行くのはなかなか難しい空気感だった(注4)。

で、僕は武尊牧場周辺を歩いていた。当時わりと有名な映画の撮影がされた、ブナの林があったりして、人も少なくて良いところだった。

そして、僕は次のステップとして、「より斜度のあるところ」と、「より距離のあるところ」を目指すようになった。当時の住まいと仕事の関係で、翌日に無理なく帰ってこれて、日帰りで行けるところ、谷川岳と尾瀬至仏山。その周辺の25,000分の1地形図を手に入れて、暇があればそれを眺めるようになっていった。

つづく


注1 この時代の写真を見ると、ウェアの色彩がヤバ変。ゴアテックスかエントラントでウエアを揃えたいけど、安月給なので、ワゴンセールしか手が出せない。サイズが合うヤツはだいたい「色・柄」が不人気で残った不良在庫なので、そんなのばっかり買っていると、全身オレンジ、フリースは微妙な色のグリーンとかになっちゃう。

注2 この時、なにかの流星群が来ていたことは覚えている。1996年か97年くらいだろうか。

注3 テレマークスキーを履いてすぐはまともに滑れなかった。前傾過多で、前乗りの癖があったので、ターンの切り替えで前に転ぶ。これがテレマークで是正されて、結果、ポールのタイムが向上したのだから皮肉な話。というか、テレマークスキーをやってあらためてスキーの基礎的な技術を再確認した。レーサーほど、テレマークやったほうがいいと思う。

注4 当時はまだテレマークスキーそのものが黎明期だった。数少ない「上手くて強い」テレマーカーは山で滑っていた。そして、山に入れない、滑れない人たちがゲレンデにいる。で、ゲレンデテレマーカーは…あんまり格好良くない。口の悪い人は、「衣紋掛けスキーヤー」みたいに言ってた。ただ、ギョーカイと本人たちは、それが格好いいんだって言いたい?みたいに、衣紋掛けスタイルを「優雅で踊るように」みたいな表現をしてたような気が、気のせいでしょうけど、気がします。

2021年4月26日月曜日

DAY39 BC6 中1日で至仏山へ

ユーヤ先輩と至仏山を徹底的に楽しんで、ぶっ倒れるように寝て、仕事して、そしてまた至仏山へ出動。体のこわばりやら、疲労感やらはまだ癒えてないけど。

だって、ほら、わずか10日間くらいしか開かない天国への門なんだからさ。

今日の気分を全身で表現する モロちゃん

今日のメンツは僕、タカヤン、モロちゃん。モロちゃんとは、クライミングジムで一緒に登ったり、BBQしたことはあるけどBCは何気に初めて。 モロちゃんはテレマークスキーヤー、今日はシールで登行。僕とタカヤンはクランポンにポール。
今日は正規ルートで山頂へ向かいます

乗り物が違うと、快適な登行ルートが微妙に異なる。で、今回は一般的なルートで登ることにした。

はしゃぐモロちゃん

空は今日も青く快晴だけど、良く冷えていて雪も締まったまま。

オヤマ沢田代を経由して小至仏山へ

あんまりコンディションがよろしく無さそうなので、とりあえず大人しく山頂へ向かう。

中1日の至仏山山頂はうっすら着雪

記念写真を撮って、下降の準備をしてきたら雲が出て、風花が舞い始めた。

山頂直下は、ここ数日の暖気で緩んだシャバシャバ雪面が、シャバシャバの形のままガリンガリンに凍結し、その上に1〜3cmの新雪がさらっと乗った状態。

ま、簡単に言えば、最悪ではないけど、コンディション的にはツライって感じ。幸いなのはクラストとか、ストップスノーでないところ。

はしゃぐモロちゃん

ワル沢を下りて、山の鼻に向けて大トラバースをして、ようやく雪面が緩んでくる。トラバース先はハイマツ帯が出ちゃってて、板を脱いで50mくらい登り返してカラ沢上部に出る。

カラ沢上部をかすめて降りる
攻めるタカヤン

そして、地形がバンピーで楽しい樹林帯を抜けて、山の鼻へ。
はしゃぐモロちゃん

最後のナチュラルパイプも今日は走る雪で、なかなか楽しい。

タカヤンも楽しそう



至仏山荘で売上協力のために、燃料補給
のんびりハイクして帰ります

ハイクアップの途中で山頂を見る

平日だけど、GWがもうすぐ先のこんな時期。普段ならもっと賑やかなんだけど、コロナのせいか、バスも乗合タクシーも、登山道も、人がとても少ない。感覚的には、例年の1/3くらいかな?

1日の記録はこんな感じでした。

今日の記録
ワル沢滑って、大トラバースから山の鼻へ

今日は一本入魂!みたいな感じで。

おとといの疲労が取れていない僕にとっては、適度な運動でありがたかったです。さっき写真整理しながら寝落ちしてたけどね。

おしまい