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2021年10月25日月曜日

ナベちゃん家(ち)の蕎麦

今日のお昼は、お蕎麦にした。

「新ソバ始めました」というノボリを、そこかしこで見るようになったから、かもしれない。そう言えば、新蕎麦の季節だなと、旬を楽しむ気持ちが浮かんで来たからかもしれない。

最近のお蕎麦は美味しくなった。けれど、なんというか、特筆すべき差があるか?と言われると、微妙な気がする。すごい残念なお蕎麦もあって、イケてる蕎麦もある。イケてる比率がどんどん上がっているのだけれど、イケてる度合いの中で突出しているかと言うと、なんというか、そう違いは無いような気もする。(まぁ、素人の戯言なので、話半分で…)

これは間違いなく旨いと言える一つは、職場の商工会メンバーであるナベちゃんの蕎麦。
ツヤツヤ
表面が滑らかで、ちょっと透き通っていて、コシがあって、蕎麦の香りがふわっと立ち上がる。蕎麦のエッジは綺麗に立っている。麺は太すぎず細すぎず、喉につまらず、喉越しが味わえる。そして、蕎麦の薄い緑色が感じられる(上の写真は確か茶そばです)。

僕は蕎麦が好きなんです。
せっかくの蕎麦だから、美味しく食べたい。

普通のお店の蕎麦は、すぐに食べないと味がどんどんと落ちる。表面がすこしざらついている蕎麦は、そこから水分が抜けていくので、パサパサしたり、歯ごたえがなくなったりする。つけ汁を変に吸い込みすぎてバランスが狂ったりもする。水分を吸い込みすぎて、白く濁ったようになったりもする。さっきまで透明感があった肌理細やかさは失われていく。

ざる蕎麦とか、いわゆる冷たくして〆てある蕎麦でもそんな感じなのだから、かけ蕎麦みたいな、汁に浸かっている奴はさらに忙しい。

せっかくのちゃんとした蕎麦ならば、美味しいウチに味わいたい。

そう考えると、テーブルにお蕎麦が到着した瞬間から、休む間もない。

もりそばなら、ちょうどいい塩梅の分量の蕎麦を箸の先でつまみ、つけ汁にちょっと浸し(事前につけ汁の濃さを確認しておいて、ちょっと浸すのか多めに浸すのかは考察しておく)、一気に啜り込む。田舎蕎麦みたいに太くて黒くて、表面がちょっとざらついている場合は、すすれないこともあるけれども。

天ぷら蕎麦とか頼んでしまって、天ぷらも美味しい場合はさらに忙しい。

天ぷらは、ちょっとそのままにしておいて、じんわり熱が通ったほうが美味しいタネがある。そして、すぐに食べないと味が落ちるタネがある。

それらを瞬時のうちに見分ける。

まず蕎麦をひと啜りして、天ぷらのあれを二口食べる。そんで、また蕎麦に戻って、あれの残りを食べる。そんで蕎麦が伸びる前にささっと3回くらいすすって、熱が通ったあの天ぷらを食べる。

というように、組み立てを考えながら、あっちに行きつつ、こっちに戻りつつ、全体としての喫食時間は15分以内に抑えるのだ。

なんで15分??

天ぷらも、蕎麦も、それが美味しく食べる限界だからだ。

ナベちゃんに、そば作りについて聞いたことはない。ただ、多分、こんな意図なんだろうなってことは感じている。

表面が滑らかなこと、エッジが立っていること、うっすら透き通っていること、白色化しないこと、麺の太さ。

なによりも、ナベちゃんの蕎麦は寛容だ。

慌てて食べなくても、待っていてくれるのだ。

そりゃもちろん、出て来たそばから手繰って流し込むのが一番旨い。

でも、ナベちゃんの蕎麦が提供されるのは、商工会の忘年会なんだ。僕を含めてみんな出来上がって、お腹もいっぱいで、話したいこともたくさん。そんな状態の、最後の、シメに出て来るナベちゃんの蕎麦は、出て来てすぐに食べる(僕の場合)人と、すこし落ち着いてから食べる人がいる。

ナベちゃんの蕎麦は、すぐに食べても、少し経って食べても旨いのだ。ザルにきっちり水切りするでもなく、さっさっと大皿に盛り付けられた蕎麦。なのに、変に水を吸ってぼやけたようになるわけでもなく、しばらくそのままでも乾くことも、香りが飛ぶこともない。

こんなふうに鷹揚に、「いつでもかかってこいや、待ってるぜ」って語りかけて来るような蕎麦は稀だ。そして、そんな蕎麦が他の普通によくあるイケてる蕎麦よりも旨いということは、ちょっとというか、かなり、すごいことなんじゃないかなって、僕は思う。

ほんでもって僕は、料理って作る人の気持ちというか性格というか、心根が現れると思っている。家庭料理とか、お家BBQみたいな、余力をもって作る料理は別だ。自分の性格とか、もろもろをマスクして、隠して作ることはできる。

でも、プロの料理人が、限られた予算で、毎日、作り続けることができる料理。そこにははっきりと、作る人が何を大事にしているかってのが、出て来るように思うんだなぁ。

こんな蕎麦をさらっと出してきて、しらーん顔してみんなを見てるナベちゃん、僕は好きです。