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2025年5月29日木曜日

バックカントリーへの扉 祈りを込めて強く叩け (2/2)

バックカントリーへの扉 (1/2)では、一般的なBCへの扉を説明した。

…その一般的な扉がボクには開いていなかった。仕方なく他の扉を見つけてこじ開けた、そんな話をしてみたい。

連休が取れず、単発休みですら直前になっての出勤に変わるなんてことが良くある…そんなブラック企業がボクの職場だった。普通の社会人団体に加入することはまず不可能だった。

1990年代の初期、BCツアーを催行しているガイドさんはほとんどいなかった。白馬や北海道にはいたのかもしれないけれど、ボクが日帰りで行けるエリアには見当たらなかった。

んでボクは…単独でバックカントリーを始めることを決めた。

単独のバックカントリーはリスクが高い、それくらいは初心者のボクにもわかっていた。そこで、ボクなりに「これをやる」「これはやらない」という線を最初に引いた。

残雪期の水ノ塔山周辺

「これをやる」ということは、死なないためにどんなことをやるかということ。

具体的には、冬山の基本訓練(耐寒・ビバーク、ラッセル技術)、残雪期登山(アックス・クランポン、滑落停止、グリセード)、生活技術(衣服・糧食・燃料計画)、夏山登山(基礎体力向上と偵察山行)、BCギア理解(貼り付けシール、スキーリーシュ、3ピンバイン、凍結防止、メンテナンスなど)だ。

偵察兼ねて谷川岳

「これはやらない」というのは、ドツボにハマるような山行はしないということ。具体的には、厳冬期、高所、パウダー狙いのBCはやらない。連休取れないボク、山行の翌日は仕事がある。翌日出勤できなければ即誰かに皺寄せがいくから、必ず日帰りで帰ってこれないとまずい。

パウダー時期にBCに入らなというのは、単独で深いラッセルはものすごい時間がかかるから。スキー履いてても膝上まで潜るような深雪だと、500m 前進するのに数時間かかるようなこともある。

それに、当時のテレマークバインディングは、ビス抜けトラブルとかがありえた。ビスが抜けちゃうと、バインはブーツに残ったまま、スキーは流れてどっかに行ってしまう。そんなことになると、スキーが無いのでツボ足ラッセル…場所によっては夜通しラッセルしてもゲレンデまで帰れない。

そんなわけで、雪が落ち着いた残雪期、3月中旬以降を中心にBCに入るようになった。

ビバーク訓練も良くやった。日帰りなのだけれど、とりあえずツェルト張ってみたり、被ってみたり…

高峰山斜面

そうやって、「このくらいまでなら死なない」というのを理解してから、活動範囲を広げていった。ごく短いルートのBCとか、登ったところをそのまま滑る、シンプルなピストンコース。当時は山頂まで入れた浅間山とかね。

浅間山山頂
峰の茶屋から左に巻いて登って、偽ピークに上がり、そこから2段くらい段差を上がると山頂。

浅間山カルデラ

猛烈な北風が吹いていて、それが外輪山で火口への吹き戻しに変わり、吸い込まれそうになった。恐々とカルデラを見下ろしてから下降したが、風で磨かれ氷化したスロープの上に、畑の畔のような風紋が20cm…滑れたもんではなかったが、それも経験と割り切った。

テレマークスキーでの滑りはどうだったのかって?それは大丈夫だった。

ボクはスキーにどハマりしていて、ポールもコブも好きだったし、すべてのゲレンデがクローズしてからは、谷川岳のマチガ沢をハイクアップして7月ごろまで滑ったりもしていた(バカ)。

ポール練習

テレマークスキーは前傾過多だとすっ転ぶ。テレマークターンで転ばないように、前後のポジショニングを見直したら、普通のスキーも上達した。ポールのタイムも速くなったくらいだ。

ブレーカブルクラスト蹴散らす

ただ、あんまりテレマークっぽくない滑りだとは言われていたw

ダブルストック

コンディション悪くなると、ダブルストック(両方のポールを同時に突く)でリカバリーしたり。

サンクラスト 5mm

とりあえず…滑りで困ることはほとんど無かった。

娘背負ってトレーニング

背負子に娘を入れて、「大事な荷物を背負って滑る」練習もした。

至仏山オヤマ沢田代近辺

そんな感じで一つ一つ積み上げて、谷川岳や至仏山にも入れるようになった。

調子に乗ってた頃(日付は間違いです)

そうやって、ボクはバックカントリーへの扉を無理やり押し開けた。

そんなボクに大きな転機が訪れた、会社をクビになったのだw。

ボクは仕事は仕事、遊びは遊びできっちり分けようと考えていた。でも、誠心誠意頑張っていた仕事をクビになって、気持ちを切り替えた。むしろ、思いっきり自分の好きなことをやれる仕事はないか?そんなふうに考えて探したら…そんな会社に入ることができたのだ。その後の数年間は、ボクの人生のハイライトだった。そこの話は本筋から外れるので省略。

長くなったので、話を整理する。

もし、BCスキー・スノーボードに憧れているならば、できる準備をするべきだ。「山力」とボクらは呼ぶけれど、「体力」「生活技術」「滑走技術」を磨くこと。そうすれば、BCやっている奴らの視界に入ってくる。

一緒にBC入ってみる?

そんなふうに誘ってもらうためには、準備をしておくこと。準備していれば、チャンスは来るかもしれないし、準備していなければ、声すらかからない。

繰り返しになるけど、ボクにとってBCはずっと憧れの対象だった。そして、BCへの扉を、同じようにこじ開けようとしている人を、ボクは応援したいと思っている。BCへの扉、開けたいと思うならば、祈りを込めて強く叩き、叩き続けていればいつかは開くとボクは信じている。

忘れるところだった。

BCはそれなりにお金がかかる趣味だし、家族の理解と応援も必要だ。だから、良き家庭人であり、強き職業人(クビになってもなんとかなるような)であることも、ぜひぜひお忘れ無く。

なんか説教くさくなっちゃったな、まぁいいか

おしまい

2025年5月27日火曜日

AJP房総千枚田200km完走 

ブルベには大まかに2種類がある。

BRMというスタンダードなブルベと、AJPという参加者が自由に出走日時を決められるブルベだ。(リンク先は、Audax Japan 日本のブルベ主催団体の総本山です)

BRMは最短距離が200kmで、最長は600km。 (1,000kmもあるがSR対象外などちょっと毛色が違う)BRM200, 300, 400, 600 をそれぞれ1回ずつ走って、年間1,500km 走行したら、SR (Super Randonneur) 認定を受けられる。

AJPはボクが参加している AJ宇都宮の場合最短が120kmで、200km 前後がメインで、最長が300km 位。AJPの場合は、年間の走行距離が1,200km を超えると、 SPR (Super Permanent Randonneur)認定を受けられる。

ちょっとややこしいのが、BRMのシーズンはカレンダーイヤー。1月1日に始まり、年末で終了。AJPは、11月に始まり、翌年の10月末で終わる。

ボクは、紆余曲折はあったけれどw、2024シーズンのBRM-SR基準を満たすことができた。そこで、2024/11-2025/10のAJPで、SPRの認定を受けたいと考えた。

SRは「イケてる自転車バカ」、SPRも「イケてる自転車バカ」…間をあけずに両方認定いただけたら、「チョーチョーイケてる自転車バカ」になれるってことじゃない?

海ほたる〜

今回は気分を変えてAJ千葉のAJP200km を走る。これで完走できれば、走行距離は1,175km で… SPRまで25km 残し…半端だなw

前夜のうちに千葉に移動する。アクアラインを渡ってスタート地点の木更津へ。
車中泊してスタート時間を待つ。

スタート写真

AJPは単独の走行になるので、特に自己管理が重要になる。
他の参加者が、自分のミスコースやCP(Check Point)のうっかり通過を教えてくれることもない。故障やトラブルで助けてもらえることも期待できない。

CP1

洲崎までは追い風基調、帰りは一部強い向かい風、最後の30km 位は急なヒルクライム。よって洲崎までの貯金が大事になる。淡々と距離を稼ぐ。

古い隧道

千葉に特徴的な古い隧道を過ぎて、長閑な山道を登ると大山千枚田。
今回のコースの名前になっているように、象徴的な場所である。

CP2大山千枚田

よく管理された棚田

ボクはAJPを走る時は、極力スタート時間を早く設定する。渋滞を避けたいからなんだけど、その代わり、観光地がまだ営業していないなんてこともある。

Bingo バーガー

最初に通過する道の駅たちも、ほとんどのお店は営業開始前。
完走を優先してるので、観光が後回しなのはまぁしゃーない…

道の駅

千葉っていいな。雪と山が無いのは残念だけど、暖かくて、海があって。

外房の海

内房の木更津からスタートして、千葉の先端をめぐって外房に入り、鴨川から帰ってきた。
最後180km超えてから、鹿野山登らせるのはヤメレ…w
急坂すぎて、こないだの400km の膝痛がぶり返しそうになったので押して登りましたw

木更津の町中華にイン

無事に時間内に走り終えて、まだ日がある内に車に戻った。ここから帰ると、都心通過が帰宅ラッシュにドンピシャ。なので、駐車場のすぐ前にある町中華で早めの夕食。

餃子旨し

チャーハン旨し

クラッシックラーメン旨し

ルート概要

AJ宇都宮のAJPはほぼほぼ走り尽くしたので、気分を変えてAJ千葉にエントリーして完走。とりあえず残り25kmは…早めにクリアしたいと思う。SPRはボクの一つの目標なので、クリアできたら…DNF覚悟でチャレンジングなコースを走る。

AJ宇都宮255km のAJP裏磐梯もエントリーしてるんだ。けど、これは獲得標高大きい準山岳コース。ヒルクライムが極端に遅いボクはDNFほぼ間違いないかな。

SPRクリアできてれば、記念トライじゃないけど精一杯頑張って走ってみよう。そんなふうに思っている。

おしまい

2025年5月17日土曜日

サスペンションステム導入 RED SHIFT Shockstop stem

ブルベに代表される自転車のロングライドでは、「いかに不快感を排除するか」が結果を左右する。自転車に跨ったままで、長い時間を過ごすスポーツというか修行というか…そんな遊びなのだから、身体への負荷も大きい。

結果を左右するだけじゃなくて、清く正しく美しい勤労者として生きていくには…体調管理が大切だ。

シャチョー、今日休みます
なんで?
手が痺れてモノ持てません
なんで?
自転車で遊んでて…
クビね

まその、今時そんな労基法違反の職場は無いにしても、

「あの人、自転車乗った次の日は使い物にならないよね」

なんて言われたら…ねぇ?
そんなわけで、サスペンションステムを買いましたw

ステムに3万円弱…

いやその、これがイイモノであることはずっと知っていた。特にグラベルライドや、超ロングライドでの評価が高い。

でもなぁ、これに3万円かけるほど、ロングライドに力を入れるかわからないしね。

えぇ、そう思っていた時が、ボクにもありました…

ずっしり感

グラベル用途だけあって、デリバリー時(出荷時設定)のアングルは6度アップ。姿勢を起こして乗車することを想定している。

でもねぇ、最近思うんだけど…グラベルロードとか、エンデュランス系のバイクって、フレームがすでにアップライトじゃん?それに加えてアップアングルのステムとか使うと、身体起きすぎませんか?

ボクのRidgeback Ramble はグラベル・ツーリングバイクでアップライトなフレーム。てなわけで、エラストマー交換に合わせて裏返しして6度ダウンに変更。エラストマー設定は体重による設定レンジ内で一番ソフトに(動きやすい)した。

RED SHIFTの前に付けてたのがこれ、TRANZ-Xのアンチショックステム80mm

ストローク量2mm

タイポじゃなくて、ストローク量は最大3mmくらい(ブラケット位置)。

コラム取り付け位置に、うっすいショック吸収シートが挟み込んである。ほんでもって、コラムジョイントに、ピボット機能があるのです。ショックをうけると、シートが圧縮されて、ブラケット位置で数ミリ程度だけストロークする。

あんまり期待してなかったんだけど、それでもショック吸収にはそれなりに効果があった。200~300km程度ならこれで十分なくらいの効果。カーボンハンドルとか、バージェルよりは多少マシな感じになる。REDSHIFは、こいつの10倍ストローク量がある。だから、機能が優れているのは最初からわかっていた。

目立たない

この記事を書いている6/15日時点で、すでに2本(AJP200km、BRM600km)のブルベを完走した。効果には非常に満足している。
  • 上半身の疲労軽減  
衝撃に構えず、リラックスできる時間が増えるので疲れにくい
  • お尻のダメージ軽減  
ちょっと意外だった。体重を今までよりも多くハンドルに乗せられるので、お尻への負荷が大幅に減った。
  • ポジション改善  
今までは、衝撃から手を守るためにステムを短めにしてアップライトな姿勢をとっていた。REDSHIFTでは、1cm ステムを延ばし、サドルを5mm前に出した。本来とりたかった前傾姿勢を取れるようになり、風の抵抗が減り、ペダルも回しやすくなったと思う。
  • 下りコーナーの安定性改善 
荒れた峠道を下る時、振動・衝撃をいなすために、ハンドルへの荷重を抜くことが減った。蜘蛛の巣状に細かい割れ目があるような、劣化した舗装では、振動が激しいのでハンドル荷重を抜く。すると、フロントのグリップが低下するので、タイトなコーナーで膨らみやすくなる。サスペンションステム導入で、ハンドルを抑え続けることができる。コーナー手前のブレーキング、コーナリング中、タイヤに荷重を入れた状態でバイクをコントロールできるのは大きい。

以上のようなメリットがあるので、購入して大いに満足している。特に、オーバーナイトがある400km 超のライドや、数日間にわたるサイクルキャンピングなど、大いにお勧めしたい。ホントだよ

2025年5月16日金曜日

バックカントリーへの扉 祈りを込めて強く叩け… (1/2)

こないだ新入舎員のトミーを迎えて、ムジナ沢に行った。

夢にまで見たバックカントリースキーに来れて感動です

そんな嬉しいことを言ってくれた。

そうなんだよね、バックカントリー行きたいって人は割と多いと思う。
ただ、実際にバックカントリーを経験した人はあまりいない。

多分なんだけど、「バックカントリーへの扉がどこにあるのか」わからないんじゃないかなぁ。ボクはそう思う。で、ボクや周囲の人は、どのようにしてバックカントリーに足を踏み入れたのか、そんな話をしてみようと思う。

まず、王道なのは「山の関連団体」と「ガイドツアー」経由の入口だろう。

学生さんなら、山岳部とかワンゲルかな。雪山宴会部なら、アオッキーがワンゲル出身だった。社会人なら山岳会がある。兄弟舎では、モロちゃんとヨッちゃん。タカやんとトミーは、元社会人山岳会。

ここから入れるのは基本的には若い人。部活動なら学生でないと始められない。山岳会でも、募集は若手中心のはず。40歳を超えて、山未経験の入会は多分ハードルが高いんじゃないかな。

あくまでも噂でしかないけれど、山岳会によっては合う合わない相性問題もあるらしい。これにはリーダーや幹部の個性が、その会のキャラクターを大きく左右するせいもあるだろう。

その会が何を志向しているかと、会員一人一人がやりたいこととのミスマッチがあるだろうことは容易に推測できる。団体によって求める方向性が異なるし、あくまでも「冬期登山」の道具としてBCを考えているところは、スキーしかやらないってところもある。

こうした会のメリットとしては(本人次第だけれど)「基礎をしっかり学べる」のと、「頼りになる仲間ができる」ことかな。ボクも一時期山の会に所属していたけれど、そこは高所登山、クライミング、BCスキー・スノーボード、山岳パラグライダー、ホワイトウォーターカヤック、シーカヤック、長期縦走…錚々たる実績と経験のあるレジェンドが顔を揃えていた。

こうした入口から入ってきた人たちは、なんというか基礎がしっかりしていると感じる。
安全に関する意識もそうだし、一つ一つの所作を安心してみていられるというか…

ダイビング五体投地

本文には関係ありません

まぁ、やる時はやる、そんな人たちであることは…間違いない

もう一つの「ガイドツアー」は、ボクは参加したことがないので想像だけど、お金さえ十分にあれば無難だと思う。友人にもガイドさん(と元ガイドさん)がいるけど、あの人たちは本当にレベチ。知識・経験・体力・技術、すべてが桁違いの人たち。そうした人にガイディングしてもらって、初心者コースからスタートすればトラブル無しに安心して始めることができるはずだ。ここから入った人は、マサヨシ(Y溝さん)かな。

ボクはガイドツアー未経験なので、あんまり詳しく語ることは無い。ただ、ツアー参加者の人と話をして感じるのは、ガイドさんに全部頼ってる危うい人もいるように見える。

どこから入山して、どこに行くのか。なぜ今日このルートに入ったのか。なぜ今日のギアを選択したのか。エスケープルートはどこか。今日明日の天候見通しはどうか。現時点の標高はどれくらいで、ペースは計画通りか。緊急事態の時にとるべき行動は何か。コレをツアー参加者に尋ねたとして、どれくらいちゃんとした答えが返ってくるか… ボクはわりと疑問に感じている。

でもまぁ裏返してみれば、そうした参加者が多くても、事故なく楽しくツアーを催行できるガイドさんは本当にすごいということだろう。

40代半ばを過ぎ、子育てもひと段落し、収入面の不安も無いが山は初心者。そんな人がBCを始めようと思ったら、実際問題ガイドツアーが一番間違いない選択肢になるだろう。

学ぶ意欲のある人にとっては、ガイドさんからしっかりとしたノウハウを吸収できる。同じようなライフスタイルや趣味趣向を持った仲間と、巡り合うチャンスも多いのだろうと思う。

さて、この2つの入口「山岳団体」と「ガイドツアー」だけれど、人によっては選択しようにもできない問題が発生する。それは、土日祝日盆暮正月が休めず、有給を自由に取得するのが難しい人たち。

多くの勤労者がまとめて休めるタイミングで、山岳会もガイドツアーも計画を立てていくのだから、そこから外れた人たちは実際のところ参加の機会を失ってしまうことになる。

20代後半から30代半ばまでのボクがまさしくコレだった。会社は地方のブラック小売業。勤務は早朝から夜遅くまで。休みは週2日で、続けては取れず、有給取得は年間3日まで…

そんな環境だったから、ボクがBCに足を踏み入れるには単独でなければならず、単独は危ないからBCやらないという選択肢は無かった。

ボクにとってBCスキーとは、「夢にまで見る憧れ」の遊びだったし、ボクにとってBCスキーヤーこそが、「自然に対峙する真のスキーヤーである」、そんな風に思っていたから。

つづく

2025年5月12日月曜日

BRM400最初に頑張る400… 膝痛こらえて完走…

この冬は雪が豊富だったおかげて、BCヒャッホーーーィーーーが続いた。
そーこーしてるうちに、ちょっといろいろなことがあって…
ふと気がついたらブルベシーズンが始まっていた…アヒャヒャヒャヒャヒャヒャ

う け る !

本格的にシーズン始まる前に、AJP走っとくか!  走れてないし…
ブルベにしては短めの、200km とか、300kmとか走っとくか! DNSしてるし…

そんなわけで、今期初ブルベは…人によっては一番過酷な距離である 400km…

大 丈 夫 か オ レ ?

今回のブルベは最初にヒルクライムがある。グンマーから新潟に抜ける三国峠超え。ここは標高1,000mあるので、そこそこの獲得標高になる。それに加えて、三国峠越えるまでずっと雨予報。なんなら警報級の可能性ありとかの雨予報。そんなブルベを走ったという記録。

ラップ防水
雨予報なので前後フェンダー装備。
サドルバッグは防水なのでいいとして、問題はフレームバッグ。こちらは本降りの雨の中を10分も走れば浸水する。ただ、すぐに必要なものを入れておくのにはとっても便利なのでなんとかしたい。

ということで、ラップ巻いて防水にした。
というのは、走り出して最初の5時間くらいが雨予報。その間だけ耐えてくれれば良いのである。雨が止んだらラップを外して普通に使えば良い。

予報はこんな感じ

ステムバッグは上開きっぱなしなので雨には無力。ま、ここに入れるものは防水の袋に入れて格納するので、雨で濡れても無問題。一応上だけポリ袋で申し訳程度にカバーした。

雨が上がった後のポリ袋は、行動食の空きパッケージ(ベトベトするジェルとかね)を入れるゴミ袋にする。そんな感じでスタート。

普通に考えれば、スタート時点で雨降ってたら出走したくないですよね?
何を隠そうボクもです。

DNS(Did Not Start・出走見合わせ)を選ばず、雨の中出走したのは風向き。

ほぼほぼ追い風 yeah!

こんだけ風向きに恵まれるブルベってあんまり無いような気がするよね。
最初の三国峠越えるまで、悪天候に耐えられればそのあとはボーナスステージ。

気温の下がる夜間の雨もなさそうで、服装計画もシンプルにできる。
以前、土樽から小出を走った経験から言うと、三国峠から小千谷まではおだやかな降り基調。ここで追い風受けられるので、結構貯金が作れそうな感じもする。

予報通り三国峠まで雨だったので、写真は無い。
三国峠からの下りは、舗装が荒れまくりで集中してたので写真は無い。
ここの暗くて狭くて穴ボコだらけのトンネルはほんと怖い。から写真は無い。

湯沢を越え、石打を過ぎたあたりでようやく心穏やかに走れるようになる。

米どころ新潟

そしてなんだか暑い、風が無い。
信号で止まると、後ろから結構な勢いで風が吹いていることに気が付く。
予報通り、計画通り、ここは淡々と貯金を増やすことにする。


これは撮るよねw

八海山とかも綺麗に見えて、写真撮りたかったんだけど先を急ぐ。
小千谷で折り返して、自転車で初めて走るルートを辿る。

この十日町、津南から飯山に抜ける国道は馴染みがある。さかえ倶楽部や野沢温泉スキー場に行くのに、なんども車で通っているからだ。記憶では穏やかな登り坂で、負荷は低めなはずだけどどうなることやら。

なんだここまで自転車で来れるんじゃん

途中で国道から外れて飯山線に沿って走る。ここがフラットで、景色良くて最高だった。地形も想定通り穏やかで走りやすい。

しかし…困ったことがある…
さっきから無視していたけれど…膝が痛い

BCスノーボードで脚力は維持していたけれど、長時間の負荷に耐える膝はまだ出来上がっていないのだ。

ここから最後の内山峠まではダラダラ登って、最後の数キロはかなり負荷のかかる急登が続く。

飯山を過ぎたあたりで日が暮れて、そこから先は夜間走行になる。ドラッグストアがしまってしまうと、痛み止めも買えないので念の為に買っておく。

結局、上田で一回、内山峠越えて下った下仁田で一回、痛み止めを服用してなんとか切り抜けた。痛み止めを飲んじゃったので、内臓にかかる負荷を考慮してカフェイン剤は飲まなかった。

下仁田を過ぎたあたりで陽が登り始め、2つの峠を越えて榛名山の麓に出ると…ハルヒル参加のローディーがそこかしこにw

挨拶を交わし、手を振りながらすれ違い、ゴールへと向かう。

朝のゴール

27時間の制限時間に対して、まぁまぁ余裕を持ってゴールできた。
ただ、今回は敗北感がわりとある。

というのは、痛み止め飲んで無かったら完走できなかったと思うから。
自分の持っている力を、薬の力でブーストしてしまったら…ねぇ?

サポート圧迫

帰宅したら膝の痛みにたまらず、圧迫して体を休める。
右膝の痛みは比較的早く引いたけれど、左膝は痛みが続くので固定力の強いサポーターを引っ張り出した。

サイドフレーム付き

そんなこんなで、なんとか完走できた。

小千谷から上田まで、さらに海野宿とか走れて素晴らしいコースだった。そして、来月の600kmブルベ…最後の1/3が今回の小千谷からと同じコース。しかも今回夜間走行だったところを、明るい時間帯に走れる。

これは…走ってみたい…
エントリーはまだできたので…何しろ600kmだし…そんなに簡単には満員にはならないコースプロファイルだし…どしよかなーーー

あっ…申し込んじゃったw

そんな感じで今シーズン初のロングライドは、ハードな400kmブルベ。
次の600kmにむけて、体をしっかり作って楽しんでいこうと思います。

追記: 雨天走行で汚れた機材を清掃して、ドライブトレインの掃除に超音波洗浄機を導入。なかなかいい感じです。じゃまたー!
超音波洗浄機は優れもの

2025年5月5日月曜日

愛犬マメ様と、久しぶりに家族でお出かけ…

当家のハウスドッグ、マメ様は今年17歳になる。
小型犬は長命だと言われるけど、それにしても長生きなほうだと思う。

若犬の頃から一緒に山に行って、最後は2023年の夏に玉原湖を周回した。
一番長いハイクは、日光中禅寺湖一周20km。

そんなマメ様も、後脚が踏ん張れなくなって、散歩にも行けなくなった。
ペットカート
それでも…外に出かけたいって言うので、ペットカートを買った。

余は満足じゃ
そんなタイミングで、愛娘が帰省した。ちょうどいいので、マメカートのテストライドに出かけることにした。

ねーねーこれ美味しそう!
マメのことを第一に考えつつ、道の駅グルメも大事にしたいよね。

構って構って!
ボクは…
イイって書いてあったんだから!
いや、その、子供用に見えるけど「大人も乗れます!」って書いてあったんだよ、ホントよ?

牡丹桜?八重桜?

なんかクレ

チーズプレート
マメにおやつを食べさせている隙に、人間もチーズ・生ハム・バケットのプレートを貪る。

後脚サポートリーシュ
後脚が踏ん張れないマメは…ウ◯チをするのに苦労するようになった。オシッコの軌道も安定しないので、後脚をサポートするハーネスを自作して使っている。

たくみの里
道の駅川場は見てまわったので、月夜野に移動してたくみの里を歩く。

水車小屋

旧三国街道
かってはここを三国街道が通っていた、そう考えると不思議な気持ちになる。

かっての主要街道が、今は観光客がそぞろ歩きする半歩道になる。
かっては抱っこされただけで「降ろせ降ろせ!!」と言っていた犬が、おとなしくカートに揺られる。

今は…今のボクも、やがてはおとなしく…介護カートに揺られながら…今のマメの姿を思い浮かべるようになるのだろうか…そう思った刹那にボクは神か仏の啓示を得た。

介護カートに乗せて散歩してもらえるような
愛されるジジイになれるように努力せよ!!!

ほんとそうだと思います。頑張ります。