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2021年9月2日木曜日

闇を歩く (緊急事態編)

そもそも論として、なぜ夜間行動はやるべきではないのか?

早朝に歩くのと、日没後に歩くのは違うと書いた。日没後に闇夜を歩くのは、往々にして時間切れによるものだ。言ってみれば延長戦で、残業で、仕方なしにやるということ。

日没時にまだ行動しているというのは、すでにトラブルを起こしているということだ(注1)。

月光とダケカンバ

僕はどちらかというと心配性で、かなり余裕をもった計画を立てる。だから、下山が遅れて夜を迎えるというのは、今までに2回しかない。2回しかないけれど、下山が遅れた時に、停滞するか、そのまま夜間行動をするかについては考えてある。
甲斐駒ケ岳山頂山体入り口の鳥居
僕の考えを書いておこう。

留まることにリスクがあるなら、動かざるを得ない。停滞することで命が削られるならば、すこしでも安全なところに移動する必要がある。例えば、

暴風と低温で低体温症の恐れがある
メンバーに高山病の症状が出ている
雪崩や落石、鉄砲水の恐れがあるルート上にいる

このような場合は、いつ、致命的な事故にあうのかがわからないので、速やかに行動をする必要がある。その日の最終目的地まで行動するというわけではなく、まずは標高を下げ、風雨を避けて、安全に停滞できそうな場所へ移動する。そしてそこで、それ以降どうするかの判断をする。

夜間行動になんのリスクも無いならば、進んでもいいだろう。ヘッドランプもいらないくらいに月光が明るく、舗装された林道を下るだけで良いならば、停滞する理由もない。

雲海に浮かぶ八ヶ岳

そのほかに検討すべきことをあげておこう。

1 地形 道迷いしやすい地形なら動いてはいけない
2 体力 食事・給水・睡眠は十分か?靴ズレなどはないか?
3 装備 十分に明るいヘッドランプと予備電池はあるか?
4 パーティ メンバーの足並みは揃っているか?

これらの項目すべてにおいて不安が無いことが最低条件だ。

ただし、「なんとしてでも、当日中に下山しなければならない」と思っているならば…夜間下山を諦めたほうがいい。

なんとしてでも
〜しなければならない

そう思っている時点で、心の余裕を失っているからだ。
逆説的になるけれども、「仕事」や「交通機関」などの事情や、悪天が続いて予備日を使い切ってしまった、そんな切羽詰まった状態であるならば、むしろ下山するべきではない。

下の写真は、間ノ岳へ向かう登山道。夜間行動では、これくらいしか視界が確保できない。こんな状況で、焦って動けば本当に危ない。
間ノ岳への稜線

先程の4項目で不安を感じたら、停滞を決めよう。ブーツの紐を緩めて足を休ませる。そして食事を取ろう。必要なら防寒着を着て、可能であれば仮眠を少しでも取ろう(注2)。

薄暗くなり始めたところで行動をやめて、仮眠に入ったとする。そうすると、夜の7時とか8時くらい、ほとんどの人にとっては普段よりも早く就寝することになる。すると、翌朝は普段よりも早く、もしかすると4時頃には目が覚めてしまうのではないか。

朝食をとりながら、周囲の様子を観察しよう。体力が回復し、月が明るく、地形が明確にわかり、何よりもメンバー全員が自信を持って進めるならば下山を開始すれば良い。

前回書いた通り、同じ夜間行動するなら夜明け前にしたほうがいい。4時に下山を始めれば5時ごろには薄明るくなる。当初の計画が間違えていなければ、7時くらいには前日の目的地についていることだろう。
この景色が朝か夕刻かで、こころのゆとりが変わってくる

繰り返しになるけれども、同じ景色でも心の持ちようで、見え方は違ってくる。同じような暗闇でも、こころを落ち着けて注意深く見通すのと、焦って曇った目で見るのでは大きく変わってくる。

時間に追われて残業をした時に限って、データを消してしまったり、関数の設定を間違えたり、よりによってこれを間違えるか?というタイポを見過ごしたり…そんなポカミスの経験はないだろうか?

オフィスでのポカミスも、洒落にならないかもしれない。だが、山でのポカミスは…命に関わることを忘れてはいけない。

次回の山行も、どうかご安全にお過ごしください。

おしまい

注1 トレラン界隈では、100km 走るとか、100mile 走るとか、連続して24時間以上行動するとかが流行っているらしいです。言うまでもありませんが、このブログはそうした人たちではなく、あくまでも一般的な登山者を対象にしています。

注2 こうした仮眠にそなえて、ツェルトかシェルターを持つのは大事です。

2021年8月31日火曜日

さるこばっぱ

僕が子供の頃、「サイクル野郎」という漫画があった。自転車日本一周を志した、若者2人の物語。僕はこの漫画に結構な影響を受けていると思う。

僕が初めて自転車で長い距離を走ったのは、高校2年生の夏休みで、東北だった。田沢湖まで輪行し、最後は仙台から輪行で帰った。途中の経路は、多少あやふやではあるのだけれど…

田沢湖〜八幡平〜鹿角〜十和田湖〜奥入瀬〜八戸・鮫〜龍泉洞〜釜石〜遠野〜中尊寺〜気仙沼〜松島〜仙台

行きに一日、帰りに一日を電車の移動日にあてた。そして、間の12日間、一日平均100km 走行の総延長1,200kmサイクリング、2週間。

デジカメどころか、PCや携帯電話すら、夢物語の時代なので、当時の写真は全部フィルム。写真や旅行のメモは実家にある。だが、節目節目の記憶は、あれから35年以上過ぎた今でも鮮明に蘇る。

みちのくの人は優しい。

遠野では、神社の社務所に泊めさせてもらった。
奥入瀬や仙台(赤門)ユースホステルの歓待も忘れられない。

若者が一人で東北を自転車で旅すると、いろいろ世話を焼いてくれる人が現れる。道路脇からおばあちゃまが現れて、トマトやナスやキュウリをくれる。港を見ながら休んでいたら、カゴをぶら下げて来て、いきなりホヤの殻をむき始めて、食べさせてくれたおじいさんもいた(注)。

みんなニコニコしてて、あったかくて、おしゃべりで…
皆さんの言っていることは良くわからなかったのだけれど、ね。

だってさ、「カタグルマ」のことを「さるこばっぱ」って言うんだよ。猿の子供が…まではだいたい分かる。でもさ、「ばっぱ」ってなによ?w

縦横せいぜい200kmくらいの狭い関東平野で、人生のほとんどを過ごしてきた僕。僕にとって走っても走っても終わりがない東北というエリアは、ものすごい魅力的だった。そんな経験のせいもあるのか、僕は東北の港町で生まれ育ったひとと出会い、彼女に惹かれて結婚した。

彼女の故郷は、あの地震と津波でひどい被害を受けた。
3.11後…

いろいろと、つらいこと、やりきれないこと、腹立たしいことがあった。救いになるのは、それでも立ち上がろうという東北の皆さんの姿でもある。

ウチの奥さんは言う。

寒くて風が強くって、広くって、いろいろ大変で、そんな中で我慢して、耐えて、生きて来たんだからっさ。強くなって…

あたりめだべっちゃ

そう言えばと探したら、奥様が地元で免許をとった時の写真が出て来た。

東北のとある港町の教習所

奥様は、東北出身で首都圏の僕のところに嫁いで来た。教習所には逆のパターンで、首都圏出身で、東北に嫁いで来た人が何人もいたそうだ。そして、その人たちは結構苦労していて、奥様が通訳をしたこともあったと言う。

「なめかけ、なめかけ、ちれーにかけよーーーぉぅ」

教官が何を言っているか判るだろうか?
奥様曰く…

「名前を書いてね、名前をね、綺麗に書いてねー」

彼女に言わせると、津軽(青森)の言葉はさらに異次元なんだそうだ。そんな話を聞くにつれ、僕のみちのくへの憧れは募るばかり。なんとか、2週間くらい自転車で走る機会を作れたらいいなと願っている。青森・秋田・山形・福島、もちろん岩手・宮城にも再訪したい。

車で通過するのと、自転車で走るのと、その土地を知る深さというのは明らかに違うものだから。

もし、身近に高校〜大学生くらいの若者がいて、国内を旅したいと思っているならば、ぜひ背中を押してあげてほしい。徒歩でも、鈍行列車でもいい。ただ、移動できる距離や費用の点から言えば、自転車に最低限のキャンプ装備を積んで旅をすることをお勧めする。

その思い出は、きっと、その若者の人生を豊かにしてくれることだろう。

おしまい

注 ホヤは癖があるから苦手という人もいるが、僕はこの時スーパーフレッシュなホヤで開眼したせいか、今でも好物です。

2021年8月27日金曜日

Hike3 甲斐駒ケ岳 黒戸尾根

ここ最近、友人が何人も黒戸尾根から甲斐駒ケ岳に登っている。で、そう言えば、黒戸尾根の日帰りピストンやったことないな…今やっておかないと、年齢的に厳しくなるなと気がついた。

住まいから甲斐駒ケ岳までは遠いので、なかなか足が向かないのだ。最初に登ったのは同じく黒戸尾根からで、七丈小屋のテン場で泊まった。昼間からビールを飲みまくって早寝して、翌朝は日の出前に出発して登頂し、テントを撤収してとっとと下山した(注1)

今回は荷物を軽量化して、日帰りトライとする。

闇夜を歩いて、樹林帯で日の出を迎える

仕事を終えて帰宅し、尾白渓谷側の入山口到着は23時。2時に起きようと思ったのだけれど、寝過ごして登山開始は4時少し前。
足早っ!荷物小さっ!

途中でトレラン3人組に追い抜かれた。彼らは甲斐駒ケ岳を超えて仙丈ケ岳まで往復して帰ってくるんだそうだ…日帰りで…目標タイムは12時間だって。変態w
信仰の山

七丈小屋に着く。コロナで営業も大変だろうけど、いつ来ても綺麗に手が入っていて、小屋番さんの人柄が偲ばれる。小屋に泊まったことはないのだけれど。
綺麗な湧き水100円、トイレ200円

感染症対策を徹底しながら営業中で、第2小屋の外壁も綺麗に塗り直されていた。
七丈小屋の第二小屋

小屋を通り過ぎるとテン場が2箇所ある。ここのテン場は良く整備されていて、快適に過ごせる。日帰りにしたのに後悔の気持ちが…ちょっと湧いてくる。

上のテン場から八ヶ岳を見たら蓼科山は雲に隠れていた。
八ヶ岳 赤岳が見える

テン場を過ぎるとちょっとした平地が続き、いよいよ山頂山体に取り付く。ちなみにトレッキングポールを使っているなら、ここから先は使い道が無いので仕舞うかデポしたほうが良い。膝に故障があるとか、荷物が重いとかでなくて、ピストンならば5合小屋跡あたりでデポするのがいいと思う。
2本の石柱は鳥居の跡

残雪期はここから先の夏道は雪の下。岩場と雪壁の連続で、鎖も基本的に雪の下なので、先行者の明瞭なトレースが無ければ登れなかっただろうな。今の時期は残雪もなく、要所要所には鎖がある。

歴史のある山であることを、鎖を見ると強く感じる。滑りにくい鉄製で、なおかつ30cmおきくらいに、直径3cmくらいの鉄のリングが通してある。そして、鎖の末端にはすっぽ抜けを防ぐプレート(注2)が設置されている。

花崗岩に刻まれた足場と、しっかりした鎖

ちょっと嫌なルンゼ状の岩場を抜けると、二本劔の岩場に出る。さっきから少しずつ高さを増している雲はちょっと気になるが、ここは雲の上。良く晴れて、気持ちのいい風が吹き、カラッとしていて快適。
岩の右に鳳凰三山と、その奥に富士山
クジラ岩?だっけ?みんなここで写真撮るよねw

無事に登頂。コロナの影響もあってか、平日とはいえガラガラの山頂。
人生2回目の参拝

そして山頂を見渡して、「本当の最高地点」にタッチ。
山頂で一番突き出た岩のてっぺんにタッチする

これやってない人は、正直、本当の意味で登頂してないと思うんだ。ゆーや、シンヤ、これやってなかったら、すぐにリベンジにGO!
周回路を見る

本当はピストンじゃなくて、ぐるっと周回したいところだった。4時に入山し、山頂着が9:30と、時間的には順調だ。しかし、右ヒザが少しずつ痛み出していて、登山自体が久しぶりなので断念。次回は七丈小屋でテント泊して、周回して下山するという一泊二日で計画してみようかな。

仙丈ケ岳

山頂は大快晴で、四方八方が見渡せる。
仙丈ケ岳も綺麗に見えたけど、さっきのトレラン3人組は…こっからあそこまで往復して、さらに黒戸尾根を降るのか…変態w
北岳、間ノ岳、塩見岳

雲は湧き上がっては流されているが、ガスに覆われそうな雰囲気がし始めた。下山の前にもう一度富士山を見たら、小さなケルンが目に入る。
ケルンを積んだ人はこの構図を狙っていたに違いない

下山に入ってすぐにガスが出て、入れ違いに山頂に向かった人たちはちょっと気の毒でした。僕は両膝に痛みが出て、トレッキングポールをフル活用しながらの下降になった。
苔むした小さな祠がそこかしこにある

結局下山は15時で、トータルの行動時間は11時間となりました。
あれっ?これ書いてて気がついたけど、

登り 9:30 - 3:45 = 5h 45m
下り 15:00 - 9:45 = 5h 15m

下りが遅い!www
どうりで下りで何人ものトレールランナーに追い抜かされたわけだよ…

無事の下山を報告し、感謝をお伝えする

車についた時は、アキレス腱、膝、太ももがパンパンになっていた。やっぱり自転車と登山で使う筋肉って別なんだよね、鍛えないとだね。


ログはこんな感じでした。
おしまい


注1 一泊二日の行程にしたのは、残雪期だったので山頂直下の雪壁が締まっている朝のうちに通過したかったこと。そして、アックス&クランポンが必要で荷物が重く、足回りも冬用の登山靴で、日帰りだと負担が大きそうだったこともある。

注2 鎖場で、手を滑らせながら下降してはいけない。一度加速がついたら、鎖を握ってもブレーキにはならない。必ず、片手と両足がしっかりと安定した状態で、残った手の位置を変えるようにする。足の位置をズラすのは、両手と片足がしっかり決まってからであるのも言うまでも無い。ステンレスの鎖は腐食しにくいけれど、滑りやすく握力の弱い人にはちょっと困る。そして、末端が切りっぱなしだと、鎖がそこで終わっていることにうっかり気がつかずに後ろに転ぶ可能性もある。このプレートには設置者のお名前が刻んであって、七丈小屋の関係者のようでした、ありがとうございます。

2021年8月26日木曜日

山力(ヤマヂカラ) その3 カメちゃん

*写真と本文は関係ありません*

少し上の斜面で転んだカメちゃんが、クラスト斜面を横滑りしながら僕の脇まで降りて来てこう言った。

部長、足やっちゃったかも…
え?マジ?
はい…折れた、と、思います、すみません。
足のどこだ?どんな感じで折れた?
足首のちょっと上です。転んだら、スキー取られて… 
ブーツの中で「バシッ」って音がしました。

僕らは草津芳ヶ平でBC合宿をして、下山を始めたところだった。最終日もハイクアップして滑ろうと思っていたのだけれど、あいにくこのシーズンは暖冬で小雪。しかも数日かけて緩んだ雪面がこの日は寒気が入って、2cmくらいのブレーカブルクラストになっていた。

で、こんな状態では滑ってもつまらないだろうということで、とっとと下山して温泉でも行こうかということになった。
富士宮口五号目でハイクの準備

ヒュッテのご夫婦や犬たちに見送られて、夏道を降り始めた。そして5分ほど降ってトラバースを過ぎ、傾斜が増してちょっと広くなった斜面の途中でカメちゃんが転んだ。

至仏山に向かう

ここは、ここ数日の間に下山した人たちのシュプールが、そのままの形で凍りついていた。表面はガリンガリンのボコンボコンで、板をズラすことが難しい。で、仕方なしにプルークで減速するのだけれども、テールでクラストを踏み抜くと板がロックされて、前に発射されてもんどり打って転ぶという、地獄のような悪雪だった。

カメちゃんアオちゃん

カメちゃんの顔は心なしか青白い。部員がみんな周囲に集まる。

ブーツ外して圧迫固定するか? 
交代で背負ってヒュッテまで戻るか?(注1)
いや、ブーツ外したら2度と履けないと思います、降ります。
とりあえず荷物降ろそうか、降るにしても戻るにしても、空身でなければ無理だろう。
ありがとうございます、お願いします。

僕らはカメちゃんの荷物をそれぞれに振り分けた。合宿の最終日だったので、バックパックには多少の余裕ができていたのが不幸中の幸いだった。そして、空になったカメちゃんのバックパックは、僕が体の前に横向きにして抱えた(注2)。

Blackdiamond Megamid を張る

カメちゃんは僕らの心配そうな視線に気がついた。

休んでいると動けなくなりそうなので、降ります。
解った、じゃぁ、他のメンバーでデラ(注3)かけて、整地しながら降る。その後をついて来てくれ。
わかりました、ありがとうございます。

で、僕が先頭になって、プルークからデラパージュ、プルークで向きを変えてデラパージュと、整地を試みながら降る。表面の凸凹はほとんど削れないのだけれど、一人、二人、三人と同じようにデラがけしながら進むと多少は滑りやすい雪面が後に残る。

骨折したほうの足首に力を入れられないカメちゃんは、ずっと同じ方向を向いたままの横滑り下山になる。疲れて息が上がると少し休み、夏道が平坦になったり少し上り坂になると、他の部員がすっと近づいて歩行を助ける。

下山路を半分くらい降ったところで、ようやくブレーカブルクラストも緩んで、そこからは重いけれども、デラが良くかかるザラメ斜面になっていた。
湯河原幕岩でアナザガールを登るカメちゃん

その先記憶がちょっと飛んでいて、次に覚えているのは医務室からケンケンしながら出てくるカメちゃんの姿。ゲレンデボトムにパトロール小屋があり、その隣に医務室があった。そこで応急処置をしてもらって、カメちゃんは足首をシーネ固定してもらった。

みんなは車に戻って、すぐに最寄りの病院に行けるように撤収準備をしている。で、医務室の外には、僕ともう一人の部員がカメちゃんに肩を貸せるように待っていた。

なんだって?
多分、いや、ほぼ間違いなく折れてるそうです。
ブーツの中だったからまだ良かったけど、1箇所か2箇所か折れてるみたいです。
そうか…良く頑張ったね。
次にこんなことになったら、自力下山せずに助けを呼ぶようにと言われました。
次回は…無いようにしたいね
ですねw

カメちゃんの口から、クスッと笑い声が出て、僕らは下山できたことに感謝した。

僕は思う、やっぱりあの時、僕はリーダーとして、自力下山を止めるべきだったんだろう。

ただ、「山力」とは、そもそもなんだろうか?とも考える。

カメちゃんは自分の怪我の状態と、天候や雪の状態を冷静に判断して、自力下山を選択した。そして、部員のサポートを得ながらそれを成し遂げたし、部員のみんなは何も言われなくても、カメちゃんの下山をサポートした。

山力とは結局のところ、自力で登山を完結できる力なんじゃないかな。そう考えると、カメちゃんの山力ってスゲーなと思う。

あれから15年と少し経ったけど、カメちゃんは相変わらずBCテレマークを続けている。東北の山で、楽しそうに登って滑っている姿をSNSで見る。

で、そんな投稿見ると、カメちゃんが「降ります」と言った横顔を思い出す。引き締まって、血の気の引いた唇と、青白い頬を思い出して、つい口に出すのだ。

やっぱスゲーよ、カメちゃん…

つづく

注1 本来なら、ヒュッテに戻って荷運び用のモービルかヘリを頼むのがベストだったと思う。この時は降り切ることができたけれど、僕の判断は間違えていたと今でも思う。

注2 怪我人がもう一人出たら、自力下山がさらに困難になっただろう。不要不急の荷物はマーキングしてデポし、全員が最低限の負荷で降るべきだったか?と思う。

注3 デラパージュ(横滑り)は、斜面に対して横向きになり、板を横に滑らせていく技術。板のエッジが雪面を均しながら進むことができる。

2021年8月25日水曜日

闇を歩く (早立ち編)

暗闇の山中を歩くのは、危険だ。視界が限られ、危険に気づかず、仲間とはぐれて道に迷う。したがって、やってはいけない、というのが山の大原則。

だが、時と場合によっては、夜間行動をしなければいけないこともある。嫌でもそうせざるを得ないことがあるのなら、夜間行動はしないという原則を大事にしつつ、安全な状況で経験を積むことは無駄ではない。

そして、山を最大限に楽しもうとした時、あえて闇夜の山を歩くというオプションも浮かんでくる。

夜明けボーナス

夜の山を歩くなら、どうするべきかという話をしてみよう。

闇を歩くという時に、「早朝の暗闇を歩く」のと、「夕方の暗闇を歩く」のは大きく異なることを知っておくべきだ。

今回は、そもそも、なぜ夜明け前に歩くのか?ということについて書いてみよう。

残雪の土合駅から俎嵒を目指して早立ち

雷の回避 夏山の午後は、雷のリスクが高まる。「午後には大気の状態が不安定になります」そんな天気予報が出ている時には要注意。森林限界を超えた稜線上や、難路で雷につかまる危険は、可能な限り避けるべきだと思う。朝8時に出発して3時下山とするならば、朝4時に出発して昼に下山すれば、安全性は格段に高まるはずだ。

ロングハイク 行きたい山にルートを引いていると、テン場や小屋、水場の位置によって行程上どうしてもロングハイクになってしまう場合がある。こうした場合に、休憩時間を削るとか、普段より速く歩こうとしてはいけない。焦りは事故の元になるから、あくまでも普段通りの行動時間で計画するべき。そして、目的地への到着が遅くなるなら、その分早く出発すれば良い。

暑さ対策 夏の低山は酷暑との戦い。特に谷川連峰は2,000mを切る標高で猛烈に暑い。しかも、豪雪地帯と岩質のせいで森林限界が低いので日陰がない。そして水場もないので、熱暑に曝露される稜線上の行動はできるだけ控えたいし、可能ならば、急登は午前中に終わらせておきたい。

雪崩の回避 積雪期の登山は、雪崩や落石のリスクを考えなければならない。そこまでシビアな山でなくても、残雪期の雪渓登りとかでも、落石事故は起こりうる。そして、落石や雪崩のリスクが上がるのは、日射と気温の上昇で雪面が緩んだ時。つまり、朝の冷え込んだ時間帯のうちに、リスクの低い稜線上に上がっていることは、危険対策になる。

西黒尾根登山口

見逃せないのは、早立ちの場合「登り坂」でスタートするということだ。初日に早立ちする場合は、入山口からの登坂から一日が始まる。縦走の場合はテン場か小屋で泊まるのだけれど、テン場も小屋もほとんどの場合は鞍部にある。鞍部は水場に近くて、風を避けられるからだ。つまり、翌朝の出発後は上り坂からスタートとなる(注1)。

北岳から農鳥に向けて歩く

山をやっているとわかると思うけれど、道迷いを起こしやすいのは下り坂。そして、膝や足首をひねったり転倒の事故が多いのも下り坂。

早立ちで、夜明け前の闇を歩く場合は上り坂。そして、なんらかの事情で行動時間が計画をオーバーして、夕闇が迫る状況で歩くのは…致命的なトラブルに遭いやすい下り坂ということになる。

間ノ岳で夜明けを待つ

早立ちは、心に余裕がある。目的が気象・天候上のリスクを避けたり、時間的な余裕を生み出したりすることにあり、すべては計画と検討を元に決まっている。

そもそも、歩いているうちにだんだんと周囲が薄明るくなってくる。これからどんどん闇が薄くなって来るのだ、そして、東の山の端から朝日がのぼるということがはっきりとしている。そんな心の余裕があるから、闇を歩くことは怖さよりも、楽しさになる。

普段、朝7時ごろにスタートしているなら、試しに4時ごろ歩き始めてみたらどうでしょうか。

つづく

注1 稜線上に設けられた小屋もあるが、これらは飲料水をポンプアップしたり、天水(雨水)のタンクを設けたりといった努力をしながら維持をしている。

2021年8月23日月曜日

Ride24 利根川河川敷ダートライド

今日も朝から雨で、日中もはっきりしない予報。9時まで待って、道路が乾き始めたので近場で走ろうと出発。

とりあえずサイクリングロードを下流に向かって走り、利根川に出たところで河川敷に出る。
利根川 渡船(休止中)

フラットダートでよく整備された管理道がある。そして、それと並行して、ジムニー乗りが入り込むモーグルロードがある。

釣り人の普通車でも入れるような道もあれば、ジムニーでも腹を擦ってスタックしそうな道もある。
最初はフラットなグラベル中心に走る

上流に遡るにつれて、マッドな路面や薮が出てきたりして、路面状態はだんだんと荒れていく。

グラベルロードの正しい使いかた

島村の渡船の船着場脇に偶然飛び出した。
ここは看板だけは見たことがあったのだけれど、渡場に来たのは初めてだ。老朽化した平底船が2艘係留されていた。コロナの影響で、長い間運休となっているようだ。
やけに頼りなく見える船が2艘

帰宅して調べたら、渡船として使われているのはもう少し大型の動力船みたいですね

雨の影響で薄濁りの川面

僕が子供の頃は、利根川も烏川ももっとなんというか汚い水だった気がする。下水道が整備されて、環境負荷の低い洗剤が開発されたせいか、水は随分ときれいになった。

その代わり、ペットボトルのゴミがひどい、本当にそこらじゅうに散乱している。

渡船の少し上流から、今度はジープロードを辿る。とりあえず上流に向かって、走り出す。道はいくつも分岐を繰り返していくが、少しでも良く踏まれている方、雑草が少なめの方を選んで進む。途中であまりにも藪がひどくて、スネと腕が小傷だらけになってしまった。で、もう飽きたと思っても、一度ここに入り込むと、管理道への脱出が難しい。

ここはまだ良い状態w

良く動くサスペンションと、溝の深いタイヤを履いたジムニーで来たら楽しいだろうね。ただし、スタックした場合のことを考えると、単独ではやめたほうがいい。
グラベルロードの正しい使い方

結局雨は降らず、グラベルロードが終わったところで僕は利根川サイクリングロードに復帰。渋川までさらに進む。


中華料理屋さんは定休日

利根川CRの本当の終点にはいかず、キリのいいところで引き返す。
ログはこんな感じで、グラベルを随分長く走ったせいもあるけれど、今日も平均時速は20kmに届かないw




帰宅して、バイクを洗車して、時間がまだ早かったのでおうちBBQ、今日もピザを焼いた。

クリスピーピザ
プランターからバジルを摘んでトッピング

ピザストーンを使うと、生地が本当にクリスピーに出来上がる。今日は奥様がフレッシュバジルを乗せてくれた。

おしまい

2021年8月22日日曜日

山力(ヤマヂカラ) その2 ジブッチ

アオちゃんが正統派の山屋だとすると、ジブッチはかなり偏っている。

ジブッチ、敵も多い

雪山宴会部が立ち上がってすぐ、ジブッチがBC合宿に参加したいと言ってきた。

スキー?楽勝です。山形生まれの山形育ちですよ。
雪国育ちだからって、スキー滑れるとは限らないだろう?
いや、部長、それは中途半端な雪国だったらそうでしょうね。

違うのか?

俺の故郷はただ豪雪なだけじゃなくて、ものすごい寒いんですよ。スキーできないと通学もできないし、下手したら通学路で凍死しますからね。

…そもそも、ジブッチ登山やったことあったっけ?
何言ってるんですか〜山形の山猿ですよ、ボクぁ!毎日が登山ですよ。エブリディ・クライミング、エブリディ・サバイバルって感じでしたから。

で、まぁ…一抹の不安を抱きながらOKした。

合宿のテン場へは、ロープウェイの山頂駅が入山口になる。スタートして最初はほぼ平坦なのだが、ジブッチは明らかに遅れ始めた。

ジブッチ、大丈夫か?どこか悪いのか?
何言ってるんですか部長、汗をかかないように歩いてるんですよ。
????
八甲田山死の彷徨って知ってますよね?
お、おう。 
あれも結局ですね、行動中にかいた汗が原因で、疲労凍死に至るわけですよ。なので僕は汗をかかないように行動することを心がけているんです。
……それにしても遅すぎないか?みんな待ってるぞ?
部長も割とせっかちなんですね、早死にしますよ?

お分かりだろうか?

どちらかといえば体力不足で、雪山登山の経験もほとんど無い彼に、「上から目線の、BCアドバイス」を賜る時のイラつき感。

こうやって、彼はいろいろなところに敵を作ってきた。

アオちゃん、ジブッチ、タカさん@立山

肝心の滑走技術はどうか?

ジブッチはテレマークスキーの破壊者だった。
道具は細板に革靴という、正統派テレマークなのだ。しかし、滑走はアルペンターン一筋。

ジブッチさ、たまにはテレマークターンしてみたら?
踵上げると転ぶんですよね。だから上げなくていいかなって…
テレマークの意味ないじゃん!
いや〜道具が安いからテレマークにしたんですよ(注1)。
別にテレマークスタイルに思い入れもまったくないですし… 
軽いし、歩きやすいし、安いからって感じです。

お分かりだろうか?

それなりに練習して、やっとテレマークが滑れるようになった。そんな過程を経て、テレマークという文化に対してそれなりにリスペクトを抱いている僕の前で、

いや、僕、まったく思い入れないです。
安いからこれにしました〜!

と、言い切られる時のイラつき感

彼の滑りはものすごいユニークで、全体重を踵に乗せて滑るのだ。新雪に行くと、体重がかからない先の半分、ブーツのつま先からスキートップまでは、ずっと雪の上に突き出したまま滑っていく。

ジブッチさ、カカト荷重も極端過ぎないか?スキーの後ろ半分しか使ってないじゃん。
部長、そうなんですよ。今度軽量化のために、前半分切っちゃおうかなって思ってるんですよね。どうせ使ってないし。 
スキートップが無かったらラッセルできないだろう? 

彼はニヤリと笑って言う。

 先頭ラッセルできない理由になりますね!

つまり、ジブッチは「滑走技術」「体力」「生活技術」の山力3要素は、落第点ギリギリ。でも、不思議と、彼の参加はみんなウエルカムで、気がつくと一緒に居た。ジブッチについて、みんなはこう思っているんじゃないかな?ということを、創作交えて書くとこんな感じ。

気が利かないくせして、一番美味しいところにささっと居ますよね。
そう、鍋の準備とかしないのに、不思議とベストポジションでブキ持ってる(注2)。
ハイク遅れるのに、絶好のドロップインポジションで先頭に居たりとか。
そんで滑ると、まっさらの斜面ですっ転んでメタメタにしちゃうとか。

でも、凄い楽しそうなんですよね。誰よりも楽しそうw
憎めないよね、カチンと来る時もあるけどw
カチンと来るんだけど、よく考えてみると、まともなこと言ってるんですよねw 
嘘が言えないんだよね、思ったことがそのまま出ちゃうw

僕は接客業をしていたことがあるので、愛想の良さとか、丁寧な対応とかは、どちらかと言えば得意だ。しかし、正直言うと、本質的に、僕は人付き合いが下手だ。

そして、苦手な僕でも人当たり良くできるということは…それは、あくまでも訓練で身につけた技術であって、僕の本質ではない。

僕だけじゃなく誰でも、大人になるにつれて、「人当たりの良さという仮面」をかぶって生きていく。で、仮面の存在には、みんな気がついている。

嵐の夜にテントの中で酒を一緒に飲んでいると、だんだんと仮面が取れていく。そして、素顔が現れた時に、それぞれの魅力とか欠点とかが露わになる。

そして、ジブッチが偏っているように見えるのは、みんなが仮面をかぶっている中で、彼だけが素顔でいるからということに気がつくのだ。

それはイヤ、それは大好き!と、裏表なく正直に口に出し、合宿になるとあいつが一番楽しそうに過ごす。

「やっぱりジブッチがいないとつまらない」ということが、彼が部員であり続けた理由なのだろうね、山力は置いといて。

部長、モタモタしてると置いていきますよ!

榛名黒岩南面最上部、下降の準備

そんなジブッチは、関西に移住し、スキーを引退して久しい。

雪山はやっていないけれども、クライミングはずっと続けている。今では結構な高難度とか、ヨセミテのビッグウォール遠征とかも楽しんでいるようだ。

つづく

注1 当時のテレマークギアは安価だった。ブーツが3〜5万円、板もそれくらい。バインディングなんて3ピンならば8,000円くらいで買えた。僕も正直言って、ギアが安いからテレマークスキーに移行したってのも、否めない事実ではある。

注2 山屋は食事の道具、箸とかスプーンのことを「ブキ」と呼ぶ。

追記: うっかり、ジブッチが秋田出身って書いちゃったけど、実際は山形だったので訂正しました。秋田はハタッキーだったね…