このブログを検索

2021年4月29日木曜日

僕のBC黎明期(Ⅱ)尾瀬燧ケ岳

僕のBC黎明期は、積雪量の少ないところでスタート、理由はラッセル下山とかでハマると翌日の仕事に差し障るからとも言った。でもね、ホントのところは…

アバランチビーコン持ってなかったんだ wwww

だってさ、単独なんだよ。一人で埋まった時、ビーコンが電波発信してても、周りにだれもいなければどうしようもないよね?なのに5マン円のビーコン買う?(注1)

そんなわけで、僕のBCは「ビーコン無し・雪崩レスキュー期待値ゼロ」 ≒  「雪崩のリスクミニマムで遊ぶ」からスタートした。で、浅間・草津・武尊でトレーニングして、次は尾瀬に目標を定めた。


雪解けの進んだ春先に、尾瀬探検をスタート

雪崩のリスクが少ないのは、斜度が緩くて、春先の雪が締まった時。で、ぶっちゃけ、そんな時期のそんな斜面って、滑りからくる刺激というかコーフンはほぼゼロ。だから、どうやって楽しさを見つけるかっていったら「旅」。旅って言っても仕事柄せいぜい1泊2日で、予備日ゼロ。翌日は確実に下山しないと、仕事に差し支える。で、いろいろ考えて、一泊二日で燧ヶ岳を滑りに行った(注2)。

大清水から、林道をとぼとぼ歩く。日程が限られているので、夜明け前の暗い林道をとぼとぼツボ足で歩く。そして、登山道に入って、シールをつけて峠を超え、尾瀬沼に出る。

一ノ瀬で休憩

尾瀬沼に出ると、そこから先はステップソール(ウロコ板)ならではの、軽快な行動力を生かして遊ぶ。

マウンテンダックスの、ツアースキー用バックパックは今考えても良品だった

尾瀬沼は氷結して、どこでも、どっちに向かっても歩ける。当時はまだBCが今ほど盛んではなかったし、僕が行動するのは平日だから、ほんとに貸し切り状態。というか、遭難したら誰にも発見されないくらいの…秘境感


氷の薄いところはあるので要注意

そして、今夜の泊まり場所を探しながら探検する。

燧ケ岳 双耳峰のコルから尾瀬沼にダイレクトに落ち込んでいるのがナデッ窪

確か禁漁区だったはずなので、そこら中に魚がいる。

ちょっとした水路にもデカイのがのんびり泳いでいる

で、登山道から離れたところにツェルトを張って寝る。軽量化・スリム化を進めたせいで、寝袋は夏用だけど、マイナス20度を経験した僕だから無問題。

モンベルの名品、ULツェルトには随分とお世話になった

翌朝はまだ暗いうちに起きて準備。気温は確かマイナス8度くらいだった気がする。締まった雪で、テレマークブーツでもキックステップがしっかり決まる。で、雪が緩む前に、ナデッ窪を直登し、慌ただしく双耳峰を両方回って山頂を踏み、そのままナデッ窪を滑降して降りた。

登って降りてくるだけになっちゃったのがちょっともったい無い

まぁ、その、「滑降」って言ったけど、ここはかなり急で、狭くて、単にジャンプターン+横滑りでクリアしただけ。黙ってればバレないから、いいよね。


あとは帰るだけ。

で、尾瀬沼を渡って、峠を越えて下って、林道をとぼとぼと歩いて大清水に下る。

大清水ゲート前

ついさっきまでは、あれだけ雪に覆われていた尾瀬沼にいたのに、今は砂利道の林道を歩いている。
大清水の観光木道、水芭蕉や座禅草が咲いている

荷物を車に置いて、すぐそこの観光木道を歩いてみた。ハイキングか、観光か、お姉様方がそぞろ歩きしながら、湿地帯を指差してあーでもないこーでもない言っている。

ほら、あれ、あの白い花綺麗ね。なんていう花かしら?

僕はたまらなくなって言う。

あれが水芭蕉ですよ。
え?うそよね、水芭蕉は夏の花よ。
いいえ、水芭蕉は、雪解けの時の花です。
まさか〜、歌にもあるでしょう?
そうそう、なーつが来ーれば思い出す〜ってね。

僕はなんだか面倒くさくなって、その場を離れた。

あの、周囲数キロメートル、間違いなく誰もいない尾瀬沼のほとり。
あそこよりも、なぜか、人がたくさんいるここの方が孤独感を強く感じた。

そろそろ、もうちょっと斜度があるところで、人がいないところに行ってみようか。そんな風に思いながら僕は車に戻った。

おしまい

注1 こんな感じでBC始めたので、僕はビーコン持たずに「入らざるを得ない」人の気持ちがわかる気がする。この間の至仏で聞いたけど、ロストアローがビーコンの取り扱いを始めて、値段が随分と海外相場に近くなって、買いやすくなったそうです。ロストアローって会社は、なんというか、本当に良い物を、手が届きやすい値段で提供しようって気持ちが溢れてて好き。

注2 ビーコン(アバランチトランシーバー)は、単独でもしましょうね。ヒトココって電波発信機による捜索サービスも強く推奨します、ググってください。

2021年4月28日水曜日

僕のBC黎明期(Ⅰ) 浅間山・草津白根山・上州武尊山

この間の至仏山BCで、ハイクしながらモロちゃんと楽しい話をした。至仏山に来て周囲の山を見渡すと、テレマークスキーで登って滑った山がいくつもある。目の前の尾瀬ヶ原の向こうにある、双耳峰の燧ケ岳とかもそうだ。あそこは、凍結した尾瀬沼を渡って、ツェルトで泊まって滑ったなとかね。で、話をしているうちに、僕がどうやってBCを始めたのかを書いてみようかなって思った。

もう何度も書いてるけど、僕はスキーにどハマりしてた。学生時代に1シーズンアルバイトでお世話になったスキースクールがあった。そことのご縁がずっと続いていて、校長やら、デモ選とかに出るような他のイントラたちと一緒に滑るという、幸せなスキー生活を送っていた。

ところが、バブルが本格的に弾けて、スキースクールが閉校になることが決まった。そして、イントラのみなさんも散り散りになり、なんというか僕は虚無感に襲われた。で、僕はふと手に持った雑誌を読んで、山スキーを始めてみようかと思った。

その頃僕が住んでいた街には、ICI石井スポーツがあった。競技スキーやブーツはいつもそこで買っていた。わりと頻繁に行っていたので、そこの店でも山スキーやテレマークを売っていることは知っていた。

で、僕はアゾロ(ブーツ)と、ブラックダイヤモンド・シンクロX(板)に、ロッテフェラー・スーパーテレマーク(バインディング)のセットと、クライミングスキン(シール)を買ってテレマークスキーを始めた。

最初は浅間山周辺で練習した。

高峯山、東籠塔山から水の塔山周辺でシール登行、ツボ歩行を練習し、ゲレンデで滑りを練習した。そして、どのくらいの寒さまでなら、どんな服装で耐えられるのかを知るために、着の身着のままで駐車場の脇の樹林でビバークした。ま、仕事終わって車で移動して、夜遅くに着いて、着替えて外でビバークするだけだけどね。

夏山は結構登っていたが冬山経験は無い。ローカル小規模の小売店勤務で有給休暇とか連休とか取れず、平日休み。一般サラリーマンとは接点無いし、山岳会とかにも入れない。周囲に同じ趣味を持つ人もいなかった。しかたなしに単独行、一つ一つ段階を踏んで、経験を積むしかなかったのだ。

Yukama, Mt. Kusatsu Shirane

この時代はまだフィルムカメラが主流だったので、写真があまり残っていない(実家にはあるはず)。浅間周辺でそれなりに経験を積んだ後は、ビバーク訓練を草津白根山でやった。夜はマイナス15〜18度くらいまで下がったけど、それくらいまでなら準備さえしていれば大丈夫なことは自信になった(注1)。

草津ロープウェイ山頂駅から湯釜に向かう

当時の草津国際スキー場のパトロール隊には、山スキー経験者の親父さんたちが居た。

一人でビバーク訓練?湯釜の近くで?
できればやめて欲しいんだけどね〜 (嬉しそう)
テントは禁止だからね!国立公園だからね! 
え?テント持たない?ビバークだから? (さらに嬉しそう)
寝袋だけはツライよ〜!えっ?寝袋も持たないの? (満面の笑顔)

で、他の隊員さんに向かって、

オイ、天気予報チェックしろ!明日の最低気温は?
バカ、それは下界だろ、湯釜の最低気温は?

んで、隊員さんは、湿度換算表と標高で計算したのかな…

…氷点下15度から18度くらいですね。
後は風ですけど、北風で4〜5mくらいはありそうです。

えっとねー、お客さん、湯釜周辺は、体感温度マイナス20度くらいになりそうなんで、訓練としたら最高かも。良く晴れるので、星も綺麗で、流星群も見られるかもね(注2)。ただ…放射冷却でもっと下がるかもしれないけど。え?行くの?仕方ないなー 

で、そんなことをなんどかやって、少しずつ行動範囲を広げていった。

芽吹き

それまでは悲しいだけだった春の訪れも、山でいろいろな変化を見るにつれて、愛おしく感じるようになっていった。

ブナの樹林帯をハイクする(武尊牧場上部)

ハードパックのピステで、正確に、力強く、板を走らせることを考えてばかりいたのに、雪原を歩いたり、ちょっとした斜面を滑ることに楽しさを見つけた(注3)。


武尊牧場から上州武尊を目指すが引き返す

浅間山・白根山でまずスタートしたのは、積雪量が少なめだったから。雪山初心者なんで、最悪ツボ足でも下山できるようなエリアに行こうと決めていた。翌日も仕事なので、何があっても下山できるってことが重要だった。

で、道具も見かけほどヤワで無いことがわかり、ステップソールとクライミングスキンの登坂能力とか、いろいろ解って来たので、次のステップとして上州武尊エリアに通い始めた。

武尊牧場スキー場から上州武尊を見る

玉原高原あたりはちょっと斜度がなさすぎで、川場あたりは逆に谷が深すぎた。オグナ(確か当時は違う名前だった気が?)あたりが本当は良かったのだろう。しかし、オグナ周辺は組織化された山スキーヤーばかりのエリアで、ヘボいテレマークスキーヤーが単独でBCに入って行くのはなかなか難しい空気感だった(注4)。

で、僕は武尊牧場周辺を歩いていた。当時わりと有名な映画の撮影がされた、ブナの林があったりして、人も少なくて良いところだった。

そして、僕は次のステップとして、「より斜度のあるところ」と、「より距離のあるところ」を目指すようになった。当時の住まいと仕事の関係で、翌日に無理なく帰ってこれて、日帰りで行けるところ、谷川岳と尾瀬至仏山。その周辺の25,000分の1地形図を手に入れて、暇があればそれを眺めるようになっていった。

つづく


注1 この時代の写真を見ると、ウェアの色彩がヤバ変。ゴアテックスかエントラントでウエアを揃えたいけど、安月給なので、ワゴンセールしか手が出せない。サイズが合うヤツはだいたい「色・柄」が不人気で残った不良在庫なので、そんなのばっかり買っていると、全身オレンジ、フリースは微妙な色のグリーンとかになっちゃう。

注2 この時、なにかの流星群が来ていたことは覚えている。1996年か97年くらいだろうか。

注3 テレマークスキーを履いてすぐはまともに滑れなかった。前傾過多で、前乗りの癖があったので、ターンの切り替えで前に転ぶ。これがテレマークで是正されて、結果、ポールのタイムが向上したのだから皮肉な話。というか、テレマークスキーをやってあらためてスキーの基礎的な技術を再確認した。レーサーほど、テレマークやったほうがいいと思う。

注4 当時はまだテレマークスキーそのものが黎明期だった。数少ない「上手くて強い」テレマーカーは山で滑っていた。そして、山に入れない、滑れない人たちがゲレンデにいる。で、ゲレンデテレマーカーは…あんまり格好良くない。口の悪い人は、「衣紋掛けスキーヤー」みたいに言ってた。ただ、ギョーカイと本人たちは、それが格好いいんだって言いたい?みたいに、衣紋掛けスタイルを「優雅で踊るように」みたいな表現をしてたような気が、気のせいでしょうけど、気がします。

2021年4月26日月曜日

DAY39 BC6 中1日で至仏山へ

ユーヤ先輩と至仏山を徹底的に楽しんで、ぶっ倒れるように寝て、仕事して、そしてまた至仏山へ出動。体のこわばりやら、疲労感やらはまだ癒えてないけど。

だって、ほら、わずか10日間くらいしか開かない天国への門なんだからさ。

今日の気分を全身で表現する モロちゃん

今日のメンツは僕、タカヤン、モロちゃん。モロちゃんとは、クライミングジムで一緒に登ったり、BBQしたことはあるけどBCは何気に初めて。 モロちゃんはテレマークスキーヤー、今日はシールで登行。僕とタカヤンはクランポンにポール。
今日は正規ルートで山頂へ向かいます

乗り物が違うと、快適な登行ルートが微妙に異なる。で、今回は一般的なルートで登ることにした。

はしゃぐモロちゃん

空は今日も青く快晴だけど、良く冷えていて雪も締まったまま。

オヤマ沢田代を経由して小至仏山へ

あんまりコンディションがよろしく無さそうなので、とりあえず大人しく山頂へ向かう。

中1日の至仏山山頂はうっすら着雪

記念写真を撮って、下降の準備をしてきたら雲が出て、風花が舞い始めた。

山頂直下は、ここ数日の暖気で緩んだシャバシャバ雪面が、シャバシャバの形のままガリンガリンに凍結し、その上に1〜3cmの新雪がさらっと乗った状態。

ま、簡単に言えば、最悪ではないけど、コンディション的にはツライって感じ。幸いなのはクラストとか、ストップスノーでないところ。

はしゃぐモロちゃん

ワル沢を下りて、山の鼻に向けて大トラバースをして、ようやく雪面が緩んでくる。トラバース先はハイマツ帯が出ちゃってて、板を脱いで50mくらい登り返してカラ沢上部に出る。

カラ沢上部をかすめて降りる
攻めるタカヤン

そして、地形がバンピーで楽しい樹林帯を抜けて、山の鼻へ。
はしゃぐモロちゃん

最後のナチュラルパイプも今日は走る雪で、なかなか楽しい。

タカヤンも楽しそう



至仏山荘で売上協力のために、燃料補給
のんびりハイクして帰ります

ハイクアップの途中で山頂を見る

平日だけど、GWがもうすぐ先のこんな時期。普段ならもっと賑やかなんだけど、コロナのせいか、バスも乗合タクシーも、登山道も、人がとても少ない。感覚的には、例年の1/3くらいかな?

1日の記録はこんな感じでした。

今日の記録
ワル沢滑って、大トラバースから山の鼻へ

今日は一本入魂!みたいな感じで。

おとといの疲労が取れていない僕にとっては、適度な運動でありがたかったです。さっき写真整理しながら寝落ちしてたけどね。

おしまい

2021年4月24日土曜日

DAY38BC5 今年の至仏山は雪少なめ

 一年間は365日か366日しかないけど、そのうちのわずか10~14日間しか開かない尾瀬至仏山に出動。

去年はコロナの自粛騒ぎがあって、「来ないでね!」ってな告知。まぁ、その、そこまで言われたら、行けないよねって、自粛しました。で、2年ぶりの至仏山。今年は2月までは雪がジャカスカ降ってたんだけど、3月になって、ピタッと止まって…

結果小雪の20-21シーズン

仲良しかw
僕は、至仏山って言えば、早朝にゲート開く前に並ぶのが基本。でもさ、確実に鳩待峠Pに入るには、週末なら、朝3時くらいにはスタンバイしなければならない。3時で朝なの?って質問はとりあえず無視して、もしかしたら、普通に車停めて、バスか乗合タクシーで行ったほうが快適なんじゃ無いか?という確認の日。

初の乗合タクシーは乗客8人で、人数まとまれば速攻出発、これでいいじゃん?

今日は至仏初体験のユーヤに、危険な場所、降りてはいけないところ、ほんとはあれだけど楽しいところ…諸々を伝える日。

オヤマ沢田代を過ぎたところ、ここから1本目を滑る

まずはオヤマ沢上部を一本滑って登り返し

小至仏を過ぎる、後方は上州武尊山

今日、僕らはスノーシューをやめて、クランポン+ポールのコンビネーションでハイク。これが正解だったみたい。
幅の狭いトラバースは、クランポンが快適

どこを滑ってもいいんですね? と、ユーヤ
どこを滑ってもいいんです。と、僕

暑い!

で、まぁ、とりあえず地形を理解するために、オヤマ沢を一本滑るよ。上部だけだけどね。

最高のザラメっす

この後も長いので、とりあえず上部だけだけどね。
流水痕もさほど深く無くて、とても滑りやすい極上のコーンスノー
もうちょい下まで落としたいっすね❣️


で、まぁ、とりあえず山頂へ。そんで、三角点を触るわけですよ。
そして、この間行った谷川岳芝倉沢があそこで、苗場山があそこで、神楽・田代スキー場があそこで、燧ケ岳はここで、みたいに盛り上がる。

三角点っす

ワル沢を攻める

カラ沢は雪が少なくて進入禁止なので、上部だけをかすめて尾根へ上がる

風もなくてビール日和だね!と、頭の中の73%くらいは、ビール。

奥は燧ケ岳、渡渉しないで帰るには、どこの尾根がポイントか引き継ぐ

一本目、こうやってみると、すっごい短いw

あそこの上を、滑って来たんですけど、なにか?

もう散々楽しい思いをしたので、ハイクアップだって楽しいです(ビール飲んだからね)

反省点は、メッシュ

まぁ、その、今日一番大事な引き継ぎポイントは、暑くなりそうな時は半袖の速乾Tシャツを着ておくこと。

メッシュの、網目の、見た目があれなの着てると、脱げないからねってこと。

こうやって、また一人、仏に至る道に魅入られたヤツが産まれました。

おしまい