タクジ、Shinya、KASSEに声かけてもらって乗鞍岳BC
山頂の祠の前で Top of Mt. Norikura |
今シーズン初かも? |
滑走距離とかは大したことないけど、今年初めての3,000m超えが地味に嬉しい。標高2,800mを超えてからの200m は、それまでとはちょっと違う気がする。
タクジ、Shinya、KASSEに声かけてもらって乗鞍岳BC
山頂の祠の前で Top of Mt. Norikura |
今シーズン初かも? |
お前は何を言っているんだ???そんな声が聞こえました。
標高が高いところでは酸素が薄いです。少ない酸素を体の隅々まで届けようと、心臓君はがんばります。なので、標高が高いところでは血の巡りが良くなります。
お酒を飲むと、血のめぐりがよくなります。つまり、標高の高いところで、お酒を飲むと、血のめぐりが加速するってことですね。これ、よく覚えておいてください、テストに出ます。
こちらの写真をご覧ください。僕のおでこにガーゼがついています。これはですねー、おでこ怪我したんです、外傷。
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芳ヶ平ヒュッテのパスタランチは控えめに言って最高、なぜかすごい笑顔なShinya |
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周囲はすべて冷蔵庫 |
怪我、特に外傷の場合の飲酒は厳禁です、流血するからね。そして、外傷なくても内出血(捻挫とか打撲)がある時も飲酒は厳禁です。
ブチョ、お酒飲まない方がいいですよ。てか、飲んじゃだめですよ。
部長、お酒余るんじゃないですか?背負って下ろすの大変ですよね?捨てるわけにいかないですよね、環境破壊だし。
俺のことを心配しろや!酒のことじゃ無く!!
あ、じゃあ、それで行けますよ。行きましょう。えっ?まだ、あれで滑ったこともないんだけど?大丈夫っすよ。癖がない板ですから…知らんけど
当日はものすごい暴風雪になったのだが、決行した。スノーシューで歩くヨーイチ先生が、背中に背負ったボードを風に煽られてコロンとすっ転がるくらいに、激しい風が吹いていた。で、僕はスプリットボードにシールだったので、背中にはボードがない。だから風に煽られても、なんとか耐えてハイクアップしていった。で、ゲレンデトップまで上がったところで、さすがにこれはやばいだろうということになり、そこから下ることになった。
スノーボード初めて4日目で、しかもものすごい暴風雪、足元は30cmくらいのパウダー。で、僕は立ち上がって2m滑ってはすっ転び、立ち上がれず、バインから片足を外し、バインをセットして2m滑ってすっ転びを繰り返しながら下った。
極寒のはずなのにうっすら汗ばんでいた。
ゲレンデの最後の1/3くらいで、やっと僕は一回で20〜50mくらい滑れるようになった。ゲレンデボトムで待っていたヨーイチ先生の唇は、死体のように真っ青で、体は小刻みに震えて、心なしかゴーグルの中は涙ぐんでいるように見えた。そんなに僕の成長を喜んでくれているなんて…僕も感動した。
BCデビューを無事に飾った僕を見て、先生は感極まったのか、絞り出すように言った。
イェーイィィィイ、さぁ、帰りましょうかぁぁ〜〜〜 サムッ
あとで聞いたのだが、ヨーイチ先生はひどい風邪をひいて、次の日仕事を休んだらしい。
僕がスノーボード を始めたのは、確か35歳の時。それまではスキーにハマっていた。始めたきっかけは、スノーボード 業界の会社に転職をしたから(注1)。スノーボード を始めてからも、どちらかというとスキーを履く日の方が多かった。スノーボード 一本に絞ったきっかけなどについては、いつか機会があれば書いてみます。
それは今の2020-21シーズンから振り返ると、ほぼ20年くらい前のこと。当時、スキーヤーとスノーボーダーには、今よりももっと高い壁があって、分断されていたように思う。だが、僕がラッキーだったのは、転職のタイミングより前に、雪山宴会部という集いのメンバーだったこと。そこでは乗り物に関係なくライディングを楽しむカルチャーがあった(注2)。
雪山宴会部は、なんというか名前の通りの会。雪山で宴会をして(雪洞とか、雪洞が掘れない場合はテントとかでネ)、食って呑んで泊まって、周りの山を登って滑る会。で、当時はまだBCが今ほど一般的でなかったので、自立してBC行動ができれば、乗り物はなんでもいいんじゃね?というくらいのサークル(笑)だった。入山する時は、こんな感じの荷物感になる。後ろ向きなのが僕で、スキーは荷物を背負っての行動が有利なので、こんな時には積極的にいいカッコを演じてみる(注3)。
で、ある時、タカさんと話をした。
世間一般では、スノーボーダーと、スキーヤーって仲よく無いって言うね。なんで俺らはそんなことないんだろうね?
彼はちょっと考えてこう言った。
乗り物でどうこう言うのって変じゃないですかね。それぞれの得手不得手をよく理解して、お互いに楽しく過ごせばいいと思うんですけど。僕はこの部活が好きなのは、乗り物によっての分け隔てなく、一緒に楽しめるのがすごくいいと思うんです。
レスペクトってことかね。
なんでそこ英語なんすか。ま、そうですよね。
パウダーヒャッホーイって、ボード楽しそうだなって思うしね(注4)。
ですね…
基本でかい荷物背負えないしな、Shinya以外 。
ですね …
斜度が変化してるところで止まっちゃうと、「スキーは動けるんだから前に回って雪を踏んでくれ」とか、「ストックで引っ張れ」とか言うしね。
それはwww…いや、そんなこと言わないでしょwww
言うよ〜!約1名!www
俺らの活動的には、スキーのほうが有利だよなって思いますね。でも、有利不利に関係なく、楽しんでる姿っていいですよね。こっちまで幸せになりますよね。
結局のところ、メンバーに恵まれたってことがすごく大きかったのかなと、今改めて思う。当時BCで出会った他のグループ、x-Tele(テレマーク) や 山ボ研(スノーボード )の皆さんとも、「埋まった時はお互い様」のいい関係性を持たせていただいた。そうした皆さんからも、暖かい声援をいただくことも結構多かったしね。
「君たち変態❤️」って
(注1)スノーボード 未経験なのにスノーボード業界に転職ってのもスゴイ話だ…
(注2)乗り物には拘らないけど、一緒に雪山に入るにあたってはいくつか条件があった。まず、複数のメンバーが推薦すること。日帰りの場合は、コースの難易度にあった滑走技術があること。で、荷物が多い泊まりの場合は、冬山での生活技術があるか、圧倒的な体力があるかのどちらかとしていた。
(注3)基本的に、荷物は大きければ大きいほど、重ければ重いほど偉かった。だからビールと言えば、350ml ではなくて500ml が基本。
(注4)当時、パウダー用のスキーって言っても、センター幅が100mm超えるかどうかくらい。今普通に見かけるスーパファットなんて影も形も無かった。浮力に乏しいので、俺たちスキーがひたすら直滑降で耐えてる横を、スノーボード はバキューンって追い抜いてスプレー上げまくってた。「いいよなー」と、うらやましく思っていたところに到達できて幸せです。
一昨日尾瀬岩鞍のBCを偵察した。下から丸々ハイクアップして、地形や雪の状況はチェックができたので、今日は上から…前回とは違うルーティングで滑ろうと出撃。
昨日は全国的に大荒れ&大雨で、今朝も関東平野は暴風が吹き荒れている。でも、ピンポイント天気予報で見ると、丸沼も岩鞍も、標高2,000mくらいまでならさほど悪くない。
しかし、岩鞍への道中、何か嫌な予感というか…で、ふと気がついて片品川を見ると増水してますがな…普段は川幅の1/3~1/2くらいの水量が、今日は川いっぱいに広がってすっかり雪解け風味w
鎌田のところに貯水池があるのだけれど、そこも満水。で、そこから上流も同じように増水しているので、ダムの放水とかではなく、全面的に増水しているみたい。スキー場について、駐車場のスタッフさんにきいたところ、
「昨日の昼から夜までかなりの勢いで雨が降った」
「昨夜、圧雪車は入ったので、雪面は綺麗なはず」
「上部では明け方になって、ほんの少し雪にかわった」
で、10分ほど、これからの気温予想とか地形図とかを検討してBCは断念。計画していたエリアは、沢の水量も少なく、渡渉や転落のリスクはさほどない。しかし、上部に湿原状の地形と、そこから流れ出す急傾斜の沢がある。で、考えていたのは、その沢の横をおりてくるルート。
湿原で雪解け水が溜まっていたら?それが一気に流れたら?ゲレンデへの復帰点直前で3箇所から沢が合流するが、そこのスノーブリッジが消えていたら?
今シーズンの岩鞍BCは、終了として、ゲレンデ装備で出動を決定しました。
ゲレンデに向かうと、駐車場に流れ出した水がそのまま凍っていて、危ない。ゲレンデも昨日ズブズブに水分を含んだ雪が凍って…アヒャヒャヒャ
*いただいた情報を追記しました*
邪悪で異端で除け者だったスノーボードが、一般化するまでの間にはいろんなことがあった。そう、今から振り返ると、めまいがするくらいに、マサカねって言うようなこともあった。
僕がイントラをやっていたスキー場は、スノーボードを積極的に受け入れた。でも、それはどちらかというと例外で、普通にお客様が来るスキー場は受け入れず排除するところがほとんどだった。そんな中で、独特の取り組みをしていたのが丸沼高原スキー場だった。
ところで、僕は、今考えると夢か幻だったのでは無いか?という記憶がある。
丸沼高原のスノーボードスクールのレッスンはかなり独特だった。で、初期のころ、ダブルポール(両手にストック)を持たせて、スノーボードのレッスンをしていたように思う。そのほうがスケーティングや、リフトの乗り降りもしやすいし、懐を広く取ることもできるから、みたいな。で、やがてポールを持たせることはやめて、それがフラフープになっていた。その理由はよくわからない。
一番驚いたのは、一本のボードに生徒さんとイントラが一緒に乗って滑っていたこと。アルペンボードだったように思うが、定かではない。ボードの先端から、生徒の左足、イントラの左足、生徒の右足、イントラの右足と、バインディングが4個、2セットついている。で、滑りながらイントラが生徒さんの耳元でアドバイスをするのだ(なにしろ、イントラと生徒は一心同体的に密着してすべることになる)。
あまりにもびっくりしたので、今でも覚えているのだが…この方式はあっといまに消えてしまったのではないか。誰が考えて、いつ始まって、いつ消えたのかよくわからない。そもそも、本当にそんなことが起こったのか、イマイチ自信がないくらいのことではある。