令和の今、平成はすでに遠く、昭和ははるか昔になった。
今は当たり前のものが、昭和には無かった。携帯電話もパソコンもLED照明も無い。LEDがなかったから、テレビといえば巨大なブラウン管式だった。「壁掛けテレビ」は夢の技術、そんな時代。
そんな昭和が終わろうという時に、僕は学生寮に入った。
今も昔も学生、というか若者にとって大事なのは、友人とのツナガリ。
携帯電話もメールもSNSもなかった昭和時代は、人とツナガル、繫がり続けるのは割と大変なことだった。
そんな時代に若者だった僕らは、どのようなテレコミュニーケーション・システムを使っていたのか、そんな話をしてみよう。
学生寮のアウトバウンド・コミュニケーションはシンプルだ。各棟正面玄関入って左に、事務机を三本横に並べたくらいのカウンターがあって、その端に「ピンク電話」がある。
ピンク電話?エッチな話が聞ける電話?
そーゆー電話サービスもあったけれど、それはもう少し後の時代のこと。
正式名称は、「特殊簡易公衆電話」 ←ウィキペディアに飛びます
要するに、10円硬貨しか使えない、コイン式の簡易公衆電話のこと。
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=14702776
当時市内通話は3分10円だったからまだいいのだが、遠方になると大変だった。30秒とか15秒で10円玉が飲み込まれていくので、実家が遠い学生とか、遠距離恋愛している不届なヤツとかは電話機の横に10円玉を積み上げてからダイヤルを回す。
ピンク電話は各寮1台しかなかったけど、街角の公衆電話はいまよりもっとたくさんあった。その一部には、100円硬貨もテレホンカードも使える電話機があったから、「よし、今日は電話するぞ」と思えば街角の公衆電話ボックスに行けば済んだ。
インバウンド(外部から寮)の電話が…大問題だった。
当時、電話回線を引くには、1回線7~8万円の「権利金」を日本電信電話公社(現NTTの前身ね)に払わなければならなかったのだ…
今、ウソー ってつぶやいたそこの若者、マジだから…
個人でこの額払うのは大変だ。だから実家には電話があるけれど、下宿先には無いのが当たり前。下宿している学生は、大家さんの電話を借りるのが普通だった。
僕の親友、貧乏学生仲間の金盛君(仮名)の下宿を例に説明する。
広さは4畳半、ステンレスの流し台とその脇には1口ガスコンロ。風呂はないけど、和式のトイレが付いているのがイカしてる…当然…電話はない。
電話連絡ができないのは不便なので、彼は大家さんの電話番号を自分の番号として借りる。外から金盛君に電話すると、大家さんが電話をとってくれる。
はい、高橋ですぅ!
この時、金盛君に電話したのに高橋って出ると、あれっ?間違えたか?って混乱しちゃうよね。だから、金盛君の電話番号は、03-343-xxxx (高橋様方)みたいに、大家さんの名前が一緒に書いてあるのだ。
大家さんは電話を取ると、保留(手巻きオルゴールで音楽が流れる、専用の受話器置き台とかがあった)にして、窓を開け、隣にある下宿棟に向かって呼ばわる。
「金盛さぁーん、お電話よぉ〜」
金盛君は「はーい!」と返事して(返事しないと大家さんは「留守です」と言って切ってしまう)、部屋を飛びだす。
そんでもって、大家さんちの玄関脇に置いてある電話で話をするというわけだ。
間にワンクッション、大家さんという「呼び出しシステム」が入るので、夜は21時から朝7時くらいまでは電話できなくなる。
いや、できる、できるのだが、大家さんの玄関先で電話を取るのだから、襖の向こうには大家さんがいる。夜22時近くに受けた電話が、しょーもない馬鹿話とか、コンパの場所の相談だったら…ねえ…?
ちょっと金盛さん、夜に電話させるのやめてちょうだいよ!!!寝ないと次の日のお肌に響いちゃうんだからサ!!
そんなふうに冗談めかしつつ、目が真剣に…コロス!今コロしてやる!という大家さん怖い。
電話番号の後ろに (XXX様方)と書いてあれば、お互いに気遣って夜や朝の電話は避けるのが当時のマナーだったのだ。
なんの話だったっけ?
あぁそうだ、学生寮の話だったw
学生寮だって、とても人数分の回線なんか引けないから、基本的には「下宿住まいの金盛君」と「電話持ってる大家さんの呼び出し」を、大規模に、大々的に拡大して発展させたもの…になるわけだ…コワイヨー
つづく