50年近く前のことだから、今の感覚とは随分と異なる世の中だった。
なにしろ、電車の中で大人は普通にタバコを吸ってたし、駅の階段下には痰壺が置いてあり、電車のトイレは大も小も垂れ流し。そんな、マナーやら衛生観念も随分違う時代だった。
そんな時代だったから、「犬を飼う」ということだって今の常識とは随分違っていたし、実家の飼い方もおおよそ褒められたやり方ではなかった。
| 老いておとなしくなったマメちゃん |
そんな実家家族と犬の関係性を見て、子供心にボクは、「犬を飼うなら、最後まで責任を持って飼いたい」と心に決めた。それは見方を変えると、「それができる大人になるまで犬を飼わない」ということだった。
家族に動物アレルギーはいなかったけれど、まだ小さかった子供が発症するリスクを考えて、犬種はプードル系に決めた。貸家のペット条件は「小型犬」だったので、サイズはトイ・プードルになった。
家族で候補の犬を見に行って、マメに決めた理由は…とにかく活発だったこと。活動性の高さと、脚の動きから関節関連が丈夫そうだと感じた。性格は、よくいえば自己主張をはっきりする、悪くいえばリーダータイプで隙あらばボスになりたい感じ。躾はきちんとやらないといけないだろうけれど、それはボク次第と考えた。
| COSTCOのベッド |
愛玩犬としての愛想の良さ…といったものは持ち合わせていなかったけれど、子供に撫でられたり抱っこされたり、口の周りをいじられたりしても、しっかり我慢できるように育てた。
成犬期から壮年期はとにかく元気いっぱいで、山を駆け回ることが大好きだった。散歩は毎朝、早足で1時間。ドッグランに出かけて、許されているところではひたすらボール遊び。ちょうどその時に、庭付きの一軒家を借りられたので、庭に芝生を張りネットを設置して私設ドッグランにした。そこではもう、ボールの取ってこい遊びなら1時間でも2時間でも飽きずにやっていた。
最後に行った山らしい山は、赤城山系の長七郎岳。16歳くらいだったはずだ。
17歳になってすぐ、後ろ脚が効かなくなり、老犬期が始まった。それからのことは、先日書いた近況にまとめた。
マメちゃんは心臓が強いし、肺も綺麗だからまだまだ頑張れるよお薬への反応がすごく早いね
そんなふうに言っていただいて、いよいよダメかと思っていた時もなんどか救ってもらえていた。
今度ばかりは、食欲がなくなって1週間とか経ち、体力も落ちていた時の発熱。
ついにお迎えが来て、マメちゃんは旅立つことになった。
18歳まであと1週間…小型犬は長生きと言われているけれどもそれでも長寿だったと思う。
一緒に過ごしてきた時間が長すぎて、マメちゃんがいない生活というのが慣れない。
でも…なんだろうか、後悔というものは無い。やれることはやれた気がするし、飼い主としての責任も果たせたんじゃ無いか、そんなふうに感じている。
そして、あの世というものがあるならば、マメちゃんがどんなふうに感じて、考えて、ボクらと過ごしていたのかをぜひ聞いてみたい。
死ぬのは怖いし、まだもう少し生きていたいのはもちろんなんだけれど…あちらでマメと会えるのならば、怖さがほんの少し薄まるような…そんな不思議な感覚もあるのだ。
今までマメちゃんを可愛がってくれた、すべての皆さんに感謝申し上げます。
ありがとうございました