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2021年3月22日月曜日

DAY33 BC断念して岩鞍で滑る

一昨日尾瀬岩鞍のBCを偵察した。下から丸々ハイクアップして、地形や雪の状況はチェックができたので、今日は上から…前回とは違うルーティングで滑ろうと出撃。

昨日は全国的に大荒れ&大雨で、今朝も関東平野は暴風が吹き荒れている。でも、ピンポイント天気予報で見ると、丸沼も岩鞍も、標高2,000mくらいまでならさほど悪くない。

しかし、岩鞍への道中、何か嫌な予感というか…で、ふと気がついて片品川を見ると増水してますがな…普段は川幅の1/3~1/2くらいの水量が、今日は川いっぱいに広がってすっかり雪解け風味w

鎌田のところに貯水池があるのだけれど、そこも満水。で、そこから上流も同じように増水しているので、ダムの放水とかではなく、全面的に増水しているみたい。スキー場について、駐車場のスタッフさんにきいたところ、

「昨日の昼から夜までかなりの勢いで雨が降った」

「昨夜、圧雪車は入ったので、雪面は綺麗なはず」

「上部では明け方になって、ほんの少し雪にかわった」

で、10分ほど、これからの気温予想とか地形図とかを検討してBCは断念。計画していたエリアは、沢の水量も少なく、渡渉や転落のリスクはさほどない。しかし、上部に湿原状の地形と、そこから流れ出す急傾斜の沢がある。で、考えていたのは、その沢の横をおりてくるルート。

湿原で雪解け水が溜まっていたら?それが一気に流れたら?ゲレンデへの復帰点直前で3箇所から沢が合流するが、そこのスノーブリッジが消えていたら?

今シーズンの岩鞍BCは、終了として、ゲレンデ装備で出動を決定しました。

ゲレンデに向かうと、駐車場に流れ出した水がそのまま凍っていて、危ない。ゲレンデも昨日ズブズブに水分を含んだ雪が凍って…アヒャヒャヒャ

リフト券売り場前はガリガリのコチコチ

月曜日なのもあるけど、やけに人が少ない。8時15分からゴンドラが運行開始なのだけど、8時10分で待ちゼロなのは今シーズン初かも?

お客さん皆無www

というより、お客さんは来るのだが、駐車場からゲレンデに上がるところの氷にビビる。ほんで、リフト券売場前の容赦ない氷っぷりにビビる。そして、こそこそと、

「ちょっとあったかくなって、雪が緩んでっからでいいんじゃね?滑るの。」

とか、相談しつつ駐車場に戻って行くのだ。軟弱ヤローどもめ! まぁ、安全は大事ですね。

ファーストチェア、じゃないや、ファーストゴンドラゲット

んで、営業開始と同時にゲートを入り、ちょうど来たラッキーゴンドラ?色違いのやつ、に乗車。


今シーズンみたいに、最初に一気に積雪量が増えた時は春先の全層雪崩が増える(注)。ここでもそんな傾向が見られた。



ゴンドラ線下も終了風味。ま、先シーズンよりははるかにいいけどね。


ゲレンデサイドを流れる沢も増水している。


上州武尊山も上部は荒れているようだ。ここも風花が舞ったりしている。


明け方から今まで、サラッと、わずかに降雪があった。それが微妙にストップ雪になっている。でもまぁ、凍ってるところで加速して、新雪のところはボードを前に送り出すようにすれば無問題。


今日、一番楽しかったのは男子国体コースかな。
圧雪されたあと、わずかにコブができている。しまったザラメで、表面の2cmくらいが緩んでいて、板の振りと荷重でスピードコントロールが簡単。上達したみたいな気持ちにさせてくれる。



途中で1本GPSロストっぽい記録漏れがある。ログでは滑走距離33キロだけど、実際は40キロ弱くらいまで頑張れたのだろうか。楽しかった。


帰りは初訪問のお蕎麦やさん。
ここは坂道を下って来て、スピードが上がっている場所。入ろうと思ってもなかなか入れない。


天ざるそばを美味しくいただきました。ふきのとうを食べると、春を感じます。



 (注)一般的な表層雪崩は、新しく降った雪と、それまでに積もっていた雪との接合が緩い場合にそこから切れて雪崩れる。全層雪崩は別名「底雪崩」と呼ばれて、雪と下地である地面との接合が緩く、雪の層全部が底から雪崩れる。
普通は、雪が降って幼木や笹とかを押し倒す。そして雪が止むと、幼木や笹は雪を振り払って立ち上がる。で、また降って、止んで、これを繰り返す。すると、雪が層になって積もり、「その中」に、幼木や笹とかが、埋め込まれるようになる。これは、鉄筋コンクリートが、コンクリートの中に鉄筋を仕込んで強度を上げるようなもの。地面との接合力も、こうした植生を通じて強化される。ところが、最初に一気に積もってしまうと、植生が立ち上がる時間的な余裕が無い。笹薮は斜面の下に向いてすべて押し倒されてしまい、まるで滑り台みたいな状態で新たな雪が積もって行く。春先の雪崩リスクを検討するためには、シーズンの最初にどのように雪が積もって行ったのか、簡単でいいので、記録を取っておくことをお勧めしたい。

2021年3月21日日曜日

スノーボードにライセンスが必要だった時のこと

*いただいた情報を追記しました* 

邪悪で異端で除け者だったスノーボードが、一般化するまでの間にはいろんなことがあった。そう、今から振り返ると、めまいがするくらいに、マサカねって言うようなこともあった。

僕がイントラをやっていたスキー場は、スノーボードを積極的に受け入れた。でも、それはどちらかというと例外で、普通にお客様が来るスキー場は受け入れず排除するところがほとんどだった。そんな中で、独特の取り組みをしていたのが丸沼高原スキー場だった。

ゲレンデトップからの日光白根山 @Marunuma-kogen

スノーボードの受け入れを始めた丸沼では、スノーボーダーは最初に講習を受けなければならなかった。確か30分とか45分で、最初は有料だったのだが、途中から無料になったと記憶している(注1)。内容は、スノーボードの危険性と、リーシュ(流れどめ)の使い方。基本技術、装着して、スケーティングするまで。そして、リフトにどうやって乗降するか。で、これが済むと証明書が発行されて、リフト券を購入することができる。

ロープウェイの山頂駅 Marunuma kogen

で…その、受講証明書はリフト券ホルダーに入れて腕に付ける。つまり、リフト券ホルダーを2つ付けて、一つは証明書、もう一つがリフト券という使い方をした。そして受講証明書だけで乗れるのは下部のリフトだけで、広いが斜度の無いエリアだけを滑ることができた。

シーズンスタートは混雑する Marunumakogen

それもやむを得ないところがあって、丸沼の上部は勢いをつけないと止まってしまうところが1箇所(初心者スノーボーダートラップ)。そして、下降路には幅が狭いわりにスピードが出やすいところが数カ所ある。そこに一気に初心者スノーボーダーを大量投入しれたら、それはまずいよねという判断だったのだと思う。

で、スノーボーダー人口が広がるにつれて、中上級者も増えてくる。あなたが上級者であると認定されたら、特別な認定証(確か顔写真付き)が発行され、それがあれば全てのリフトに乗ることができた。どうやって認定されていたのかは、ちょっとわからない。その時僕はまだスノーボードをやったことがなくて、スキーに狂っていたから。

ほかのスキー場には雪がまだ無いので行列 Marunuma kogen

顔写真付きの上級スノーボーダー証をつけた人とは、なんどかリフトで一緒になった。みんな控えめでありながら、「プライドを持って、このスノーボードという遊びを広げて行くんだ」そんなオーラをまとっていたように思う。

丸沼高原や尾瀬岩鞍と言えば、ガチなスキーヤーの溜まり場。丸沼はライセンス制の元で、スノーボードを受け入れる方向に進み、岩鞍は逆に長い間スキーオンリーにこだわった。どちらがいいかというわけではない。ただ、それくらい、スノーボードに対する視線はいろいろだったということなのだ。

ところで、僕は、今考えると夢か幻だったのでは無いか?という記憶がある。

丸沼高原のスノーボードスクールのレッスンはかなり独特だった。で、初期のころ、ダブルポール(両手にストック)を持たせて、スノーボードのレッスンをしていたように思う。そのほうがスケーティングや、リフトの乗り降りもしやすいし、懐を広く取ることもできるから、みたいな。で、やがてポールを持たせることはやめて、それがフラフープになっていた。その理由はよくわからない。

一番驚いたのは、一本のボードに生徒さんとイントラが一緒に乗って滑っていたこと。アルペンボードだったように思うが、定かではない。ボードの先端から、生徒の左足、イントラの左足、生徒の右足、イントラの右足と、バインディングが4個、2セットついている。で、滑りながらイントラが生徒さんの耳元でアドバイスをするのだ(なにしろ、イントラと生徒は一心同体的に密着してすべることになる)。

あまりにもびっくりしたので、今でも覚えているのだが…この方式はあっといまに消えてしまったのではないか。誰が考えて、いつ始まって、いつ消えたのかよくわからない。そもそも、本当にそんなことが起こったのか、イマイチ自信がないくらいのことではある。

Location: Madarao

スキーバブルが弾けて、スキーヤーの平均年齢が上がり続け、若者はスノーボードにシフトしていった。そして、スノーボードの受け入れに踏み切るスキーリゾートがどんどん増えて行った。

Location: Madarao

尾瀬岩鞍も、長い間スキーヤーオンリーの「スキー場」で、隣接するかたしな高原スキー場とは共通リフト券を発行し、相互に行き来ができるようになっていた。で、岩鞍はスノーボードの受け入れを始め、かたしなはスキーオンリーを個性・売り物にする決断をし、連絡コースは閉ざされることになった。

過渡期において、積極的に変化を受け入れた丸沼高原スキー場、僕はすごいなと尊敬しています。

追記1 グンマー國のスキーと山岳の生き字引よりコメントいただきました
「ライセンスは制度終了の最後、お食事券に変換したとか…だったような」

追記2 当時はスノーボードをやっていて、今はサーファーの僕の元上司より
「丸沼高原スキー場はライセンス制度で、ビギナー、ミドル、エキスパートと3段階のライセンスで、滑れるゲレンデもライセンスに合わせて決まってましたよ。」

(注1)この投稿は(他のもそうですがw)あやふやになりつつある記憶を元に書いていますので、事実と異なる可能性があります。

2021年3月20日土曜日

DAY32 BC2尾瀬岩鞍周辺でBC偵察行

 今日は夕方から天気が崩れる予報。土曜日でゲレンデは混雑しそうなので、さらっと入れるBCへ…で、この間から考えていたルートを偵察しに尾瀬岩鞍へ。

地形図での検討はもう済んでいて、ここから入って、こう滑って、ここから戻るってのは、もうこれしかないだろうって組み立ててある。ただ、地形図ではわからないようなリスクがあるのがBC。今日は初見なので、とりあえず下からハイクアップ。上からガーって滑っちゃうと記憶に残らないので、歩きながら丁寧に地形を見て、記憶していく。

地形図では馬の背状の尾根も、実際に見たら雪庇が連続している。

cornice

谷筋をいくつか横断しながら、予定していた尾根に取り付いてハイクアップする。ツリーはワイドにひらけているところと、タイトなところがあって、場所選びが重要かな。結局こっちは滑らなかったんだけど、こっちのほうがよかったなぁw
wide open tree,

標高を上げていくと、気温が下がって、霧氷がついている。風に吹かれた霧氷がパラパラと落ちてくる。


そして、ガスが出て、だんだんと視界が限られてくる。

予定していたポイントまで到着して、せっかくだからもう少し先まで偵察。こちら側の斜面も、いろいろ可能性がありそうだ…でも、どちらかというとスキー向きかもね。下の方は斜度がなさそうだし。


ここも良さそうだったけど、今シーズンはもう入れない。下の方はもう雪がなくなっているから。


改めて計画していたドロップインポイントのうちの一つまで戻る。今日は尾根か谷のどちらかを滑るつもりだった。で、尾根を登りながら考えた結果、谷を滑るなら雪面が安定している今がチャンスだなと判断。

曇り用のゴーグル出して、さて行くか。


そしてランチ。

山にゴミを残さないように、リーシュは大事です。
今シーズンもう一回くらい、ここ入りたいな。今日行ったところはちょっと沢筋がタイトすぎて、ハイシーズンだと厳しそう。なので、尾根のあの辺からドロップして、あそこを回って帰ってくるとか…妄想が止まりません。

2021年3月19日金曜日

上を向いて休もう

 突然ですが、バックカントリー (BC)スノーボーダーと、ゲレンデだけを滑るスノーボーダーとでは何が違うのでしょうか?

僕はどちらかと言えば前者で、ゲレンデにいる時もBCをイメージしています。というより、正確に言えば、ゲレンデは練習、BCが本番と捉えています。(注1)

僕がBCスノーボーダーとして自覚している個性のなかで、滑りの面で言うと「スタンス角度」「腰の高さ(腿の角度)」「背骨を立てる」「上半身はブロック」こんなところかな。なんでかってことについては、僕なりに理由があるので、機会があれば書いてみます。

滑り以外の面でも実はいろいろと違いがあります。例えば、ゲレンデの途中で止まる時。僕らBCスノーボーダーは上を向いて、膝をついて止まります、こんな感じ。

Location: Shibakurasawa, Mt. Tanigawa

細かい理由を言えば、僕らはケツパッドはまず使いません、バルキーだし、持っていける・身に着けていける物が限られるBCでは、ケツパッドやボディアーマーはまず使いません。で、停止する時にお尻が着くと冷たいのです。それに、斜面の下を向いたままゆっくりそーっとお尻をつけるのって大変。特にバックパック背負ってると、どうしても、ドンってお尻を着いてしまいがち。それに対して、斜面の上を向いて、しゃがんで小さくなって、片方の膝からそっと斜面に着いて安定させる、これなら簡単にできます。立ち上がる時も同様、この体制からのほうが、楽に立てます。

一番の理由は「危険は上からやってくる」からです。ゲレンデなら他のスノーボーダーやスキーヤーが突っ込んでくる、とかね。(注2)

下の写真は谷川岳芝倉沢、最上部の広い斜面を降りきったところです。これから先は狭くなって傾斜が増し、雪崩や落石の多いエリアです。で、まずはここで集合して、先に進むと言うところ。

Shibakurasawa

この時、二人のライダーが一時停止先に選んだのは、雪が薄いところ。ブッシュが出ているのがわかると思います。ここは雪が薄くて安定しているのと、斜度が落ちているので雪崩の流路から外れています。停止していても安全な場所を選んでいるのです。そして上部斜面を見ながらリスクを観察しています。

上から僕たちがこれから滑るわけですが、滑走中に自分の後ろを見ることは難しい。で、僕の後ろから何か(雪崩とかね)が迫って来たら、先に降りている彼らが両手を大きく振るなどして注意喚起をしてくれます。停止しているメンバーは、自分たちの安全を考えつつ、後続のメンバーに危険が迫っていないか気を配っているのです。

Shibakurasawa

あと、そう、後から滑る仲間たちの、かっこいいライディングを見ようとしたら、どうしたって上向いて止まるってのが基本だよね。滑る方だって、見られていると気分もアガルしね、そんなことない?


(注1)別にBCがすごいとか偉いとか、そういう話じゃないです。たまにですけど、自分がやっているスタイルが一番カッコ良くて、それ以外は否定したいって人もいますよね。乗り物の違い(スキー vs. ボードとかも)で否定するとかもね。でも、僕はゲレンデもBCも両方楽しい。もっと若いときに始めてたら、ジブもやってたかも。自由なのがスノーボードだし、僕はそんなふうに思います。

(注2)止まってて突っ込まれたら、突っ込んだほうが「基本的には」悪いことになります。ただ、良いとか悪いとかの前に、怪我したら馬鹿らしいよね。だから、突っ込まれないようなところを選んで停まる。上を向いて止まれば、他の人たちの動きがわかる。そうすると、自分がここにいるせいで、周囲の動きが妨げられているかも?ってこともわかるようになってくるから、初級者の人ほど上を向いて止まるべきではって思う。

2021年3月18日木曜日

DAY31 BC1 今シーズンのBC初日はタカヤンと神楽峰

毎シーズン、バックカントリー(BC)をどこで誰と始めるかは悩みどころだ。というのも僕はビビりで、危険なコンディション、危険な場所、危険な人とはBCには入らないことにしているからだ。

お前、あんなところに単独で入ってるだろ?って、批判は甘んじて受けます。が、それでもここから先は進まないって、基準は僕なりに持っているつもりです。

で、タカヤンから直メが来た。

今月の、平日休みが限られてるんだけどサ、どうしてくれんの?18日とか行っちゃう?

お、おう、じゃあ、俺も調整してみるかな。ということで三俣待ち合わせ。で、朝の内は強い風があるものの、徐々に高気圧が張り出してきて穏やかに晴れると。では、今日のテーマは山でカップラーメンランチ食べてのんびり滑るってことで決定。

とりあえず5ロマで上がってハイクをスタート。
北風&湿度の高い状況があったみたいで、樹氷が育っていた

今日は本当に天気が良く、時々雲が湧くものの視界が途切れることはありませんでした。
今度はどこ行きましょうかと、平標を見ながら

タカヤンも、奥さんを連れてきたいと言っていたので、きっといい下見になったのではないかと思う。

やがて苗場山が姿を現し、タカやんがあそこにまだ行っていないことが判明。行けよw

中尾根のトップを横から見ながら、どこでどう判断を間違えると、西側に降りてしまうのか。そして、西側に行くと、ハイクアップで戻るのがほぼ不可能なこと。そして、下部は深い沢になっていて脱出が困難なことを確認する。
苗場山が見えてきた

ニセピークに向かう

神楽峰ニセピークのタカやん

神楽峰まで登った場合、そこからダイレクトに下るとハマる地形上の罠を確認。そして、苗場山へのルートを見る。やっぱり今の時期の苗場は厳かでいいね。

下って上がる苗場山へのルート

反射板の前ではしゃぐ人

今日は板が走る雪だったので、反射板の上部に出られた

神楽峰から反射板までは、ガリンガリンのアイスバーンと思いきや、2〜4cmくらいのブレーカブルクラスト。あ、これ、怪我するやつだ。で、反射板から少し下で、日射で雪が緩むのを待ちながらランチ。

両足で風除けを作ってお湯を沸かす

今日のパワーランチ

やっぱり山ではシーフードっすよね
俺はカレーだけどね

低速で高度上がってるところはハイク
高度動かないところはランチタイム

のんびりランチタイムを取ったら、さっきまでのブレーカブルクラストはザラメに変わっていた。ひなたでは3〜4cmのザラメ。日陰では薄いクラストがザラメに乗っている状態で、なかなか滑りやすい。

相変わらずゲレンデにいない二人

ローカルの公衆浴場、源泉掛け流しの良いお湯 300円

で、まぁ、ゆるいBCを楽しんだあとはゲレンデをちょっと回して。え?ゲレンデじゃないんじゃないかって?そんなことありませんって。まぁとにかく、ザラメのノートラックを探して滑り、アッツい温泉入って解散しましたとさ。タカやんあんがと。

2021年3月17日水曜日

スノーボード が邪悪で異端だった時のこと

僕はスキースクールの詰所を出て、営業前パトロールに出るために、リフト乗り場に向かって歩いていた。リフト券売場から明るい声が聞こえてきた。

いやー良かった!ありがとうございま〜す!

そのお兄さんはリフト券売場で、係のお母さんにお辞儀をすると、スキップするような足取りで駐車場に向かって行った。????と一瞬思ったけど、仕事がある僕はそのままリフトに乗り、飛び出し防止ネットを直したり、リフト支柱のクッションパッドの固定を確認したり、ピステンが圧雪した時のアイスブロックをコースから取り除いたり、ルーティーンを済ませた。

リフト乗り場に戻り、チェック終了を索道に伝えて待機。全部チェック終わったので、スクールのミーティングまで滑ってていい、とのこと。ありがたくリフト乗り場に向かう。そこに、さっきのお兄さんがスノーボード を履いて立っていた。

僕の胸の名札とユニフォームを見て、イントラだと気がついたのだろう。お兄さんはニッコリ笑いながら会釈し、おはようございますと声をかけてきた。僕も挨拶を返して、近寄った。

スノーボード 、ですよね?初めて見ます。
ええ、あまりみかけないですよね。入れてもらえないところも多いし。
聞いたことあります…ここはいいんでしたっけ?って僕が聞くのも変ですよねw
ええ、ダメもとで来て聞いたら、いいよって言われたので嬉しくて! 
…えっ?ダメもとって、事前に聞かないであの坂を登ってきたんですか?

僕がイントラやってたスキー場は、かなりの坂道を登ったどん詰まりにあったのだ。その坂道が結構急で、凍結してたりするとたどり着けない車も多かった。

いやーー、電話して聞くと「ダメ!」って言われちゃうんで…来ちゃえば、気の毒にって許可してもらえそうな気がして。

チャレンジャーだなwww と、思ったけど、もちろん言わなかった。
なんか、いい人っぽい雰囲気も良かった。

いつもことだけど、朝イチに並ぶ人なんていないスキー場。一緒にリフトに乗っていろいろ話をした。「ウチはスキー場なんだよ、スキー場!!」とか、「そんなソリみたいなの、危なくてダメダメ」とか、「来るな!」と言われるとか。スキーのイントラに馬鹿にされるとか(僕が普通に話をしたのが嬉しかったと言ってくれた。ってかマジすか?w)。

で、道具の話になり、ブーツはカナダのソレルで、ボードはバートンがいいとか、道具はなんだかんだで二十万円はかるく超えるし、そもそも売ってるところが無いから大変だとか。ウェアはシルエットが特殊で、専用の奴は上下で十万くらいするとか。

で、正直僕はスノーボード には全然興味なかったので、降り場でそのまま別れて自分の練習をすませてセンターハウスに帰った。

所長が話しかけてくる。

さっきの兄ちゃんと一緒にリフト乗ったんかい?
スノーボード の人ですよね?朝イチ乗りました。見てたんですか?
見てたもなにも、他にお客いないし、あー、先生が一緒に乗ってるなーって。

そう、このスキー場はお客が少ないのだ。ボトムの標高が他のスキー場のトップくらい高い。だから強烈に寒いし、下界からここまで登る道路がテラテラに凍結してたりする。寒いのでいい雪が降るのだけど、軽すぎるので全部風で吹き飛ばされて、残るのは強烈なアイスバーンの人工雪斜面とか。だから、シーズンの最初とか最後とか、他のスキー場に雪がない時だけ…お客がいる。僕は所長と話を続ける。

スノーボード、 許可してくれてすごく喜んでましたよ。
あー、リフト券売場から聞かれたんだよ、「どうします?他のお客さん嫌がるかも?」って。でもさー、今日もお客いないじゃん。
確かにw
だからさ、一日券買って、安全に楽しく滑ってくれるんならいいよって。 

その日から、そのお兄さんを見かけるようになった。噂では下の町に引っ越してきたらしいとも。そこまでするか?!と思ったけど、半径100km以内でスノーボード受け入れてくれるスキー場で、ここが一番いいって言ってくれてるらしい。

ある日、校長と僕がリフトに乗っているときに、そのお兄さんが線下(注)を滑っていた。

…… 困りますね。
…… まぁ、他にお客いないしな。
…… リフト券買ってますしね。
…… 気持ちよさそうだしな。
…… うちのアイスバーンは、さすがに辛そうですしね。
…… いつも一人だよな、あのお兄さん
…… やっぱりちょっと変わってるんですかね?スノーボード やる人って。

で、校長は、正規イントラで、競技の世界では結構知られてる人だったのだけど、「ストックをターンのたびに付くのは無駄だからやりません」とか言っちゃう人で…変人ならではの親近感があったのかしらないけど、黙認され続けた。

で、支配人と所長と校長でコンセンサスをとったみたいで、「リフト券を買ってくれるなら、基本誰でもウェルカムで行こう!」みたいな。で、僕はリフトの上から、お兄さんが巻き上げるスプレーを見つめていた。

そもそも客いないし、このままだと潰れるかもしれないし。だったら受け入れた方が…って話になったみたい。

所長は「このお兄さんが仲間を連れてきてくれて、お客が増える!」ことを期待していたらしい。だが、その後5年くらいの間は、このお兄さんはいつも一人で来て、こっそり隠れて線下を滑っていた。でも、お客さんが少なすぎて、線下を滑っている跡は全部お兄さんが付けていることはバレバレだった。

こんなにスノーボードが普通になるとは思わなかった
Location: Madarao

これだけスノーボードが一般的になったのを見ると、あのスキー場の幹部三人は先見の明があったに違いない、そう思う。だがしかし、あのスキー場は今でもあまり栄えてはいない。だってさ、ハイシーズンは、真昼間で太陽がガン照りなのに気温マイナス18度とか普通なんだもん。

で、他のスキー場でもスノーボードの受け入れを初めて、あのお兄さんもどこかに引っ越したらしく、見かけることはなくなった。

注 リフト架線の下をこう呼ぶ。リフト支柱の土台が出っ張ってたり、段差があったり、そもそも整備してないんで、基本滑走禁止です…

革ブーツとともに去ったスキーヤー達(テレマークスキー)

30年少々スキーをやっていて、ブーツが革からプラスチックに変わったのは2回あります。1回目は、小学生のころ。2回目は、テレマークブーツが、革からプラスチックに変わった時です。近代テレマークスキーは、革靴と細板で始まり(注1)、プラブーツになり、技術と滑走スタイルも大きく変化しました。そして、次のことがまたも起こったのです。

革靴で積み上げた技術や経験が無になったように感じ
始めてすぐにあっという間に上達していくニューカマーを見て
テレマークスキーから離れる人が上級者の中に多くみられた

テレマークをやめたある人は、「メジャーになったテレマークに魅力を感じなくなった」と言い。ある人は、「パイオニア的な雰囲気がなくなったから」と言い。そして、「ソリッドで重くダイレクトになった道具になじめない」と言い、去っていきました。でも、僕は、多分、プラブーツではそれまでの滑りができなくなって、つまらなかったのではと思うのです。

革のブーツは高さがくるぶしの上までしかありません。O脚でも、スネの形に影響されることがなく、足首の先でエッジの角度を微調整できます。そして、テレマークブーツは母指球のところで曲がりますから、ブーツが変形して乗り手にあった形に変わってくれます。そうやって馴染んで、インエッジを踏みやすくなった革ブーツから、融通の効かない、ダイレクトなプラブーツに履き替えたら…うまく滑れなくても当たり前です。

そんな時期に、僕はある山の会で末席を汚していました。その会には、テレマーク黎明期から活躍していたテレマーカーが何人もいらっしゃいました。そして、皆さん嬉々としてプラブーツを試し…細板との相性が悪いと考えてファット(と言っても今の感覚ではライトツーリング的な)カービング板を買い…また革ブーツを物置から出し…ということを繰り返しながら、多くの人がテレマークをやめてしまったのです。

3cm のブレーカブルクラストを慎重に
photo by Fumihiro-san

この投稿で使っている写真は、そのうちの一人、フミヒロさんが撮影してくれました。彼はとっても個性的で、人懐っこく、適当な人ですが、あるポスターのライダーになったくらいの映えるテレマークスキーヤーでした。

ちょっとスプレーあげてよ、スピード感がでないから
いや、ムリ、ムリですよw

僕が草津のBCで遊んでいた時、フミヒロさんが2回ほど遊びに来ました。僕が雪洞とか、テントとか、ビビィサックで寝ている近くには、立派なヒュッテがあります(そこで泊れよ、俺w)。で、スキー場からツアーコースに入る人がいると、パトロールからヒュッテに無線で連絡が入ります。すると、ヒュッテのお母さんが大きな声で知らせてくれます。

「ブチョーーーー! フミヒロさんが、今入山したってーーー!」

僕はテントか、棺桶みたいな雪洞から「ありがとうございまーーーす!」と叫びます。
荷物減らしたかったんでテント無し
夜露と風避けだけの棺桶雪洞 荒れそうならちゃんとしたの掘るけどね

やがて斜面の向こうから、一人のテレマークスキーヤーが現れます。バックパックが尋常で無い位にデカいので、フミヒロさんであることは間違いありません。彼は僕のテントサイトというか、単に雪を踏み固めたところに滑り込んできて…

悪条件なので、ダブルストックで確実にエッジを切り替える

息も切らさず、いつも通りニコニコしながら、

ママ〜!酒持ってきたよ沢山!今夜は飲もう!(注2) 

と言って、バックパックから、マル(日本酒)の2Lパックやら、ビールやら、焼酎やらを取り出し、デカい一眼のデジカメと交換レンズを取り出し、秒でテントを立てると…

さ、日が暮れる前に何本か滑るか?
えっと、もう、その、日は暮れかけてますよね???wwwww

フミヒロさんに追い立てられ、表面がガリガリに凍って、強く踏むと壊れるクラスト斜面をハイクアップします。で、彼は先にヒラヒラと滑り降り、カメラを構えて待ってくれています。この投稿の写真がちょっと妙に暗いのは、そんなワケなのです。

確かこの時、フミヒロさんは定年後だったので6x歳くらい?なのに技術も体力も30代の僕たちを軽く上回っていました。というより、僕は3泊くらいの予定で70Lパック。入山時は汗ダラダラ。彼は一泊なのに、差し入れや写真機材で満タンの80Lパックで息切れさえしていない。

フミヒロさんがテレマークをやめた理由は聞けていないけど、プラブーツに違和感を感じるとは言っていました。

僕はアルペンスキーで、カント調整をやり続けるのに疲れて、細板&革靴のテレマークスキーにスイッチしました。高さのない革靴なら、足首周りが馴染んでくれば、ここまで微妙な調整をしないでいいのかも?と思ったのです。ブーツが馴染むまで2シーズン程度はかかりましたが、思っていた通り、細板と革靴はいい意味でルーズで、軽快で、なかなか快適でした。

で、やがて革のブーツが生産中止になり、プラブーツにスイッチして…アルペンスキーでやったようなカント調整が再開し、それに疲れてスノーボードにスイッチして今があるのです。

今、ふと思います。プラブーツとファットスキーが主流になったテレマークは本当に正常進化なのだろうか?あれほどテレマークスキーを愛していた、僕もフミヒロさんも、テレマークをヤメてしまったんだから、ネ。

スプレーではなく…
クラスト踏み抜いて飛び散る氷の粒々、コワイw
「いやーマルの2Lはやばいっしょ」と苦笑いする Yohichi

(注1) ブーツのエッジングパワーとスキーの板幅には相性がある。板は細いほどエッジが立てやすく、切り返しが容易なので、革ブーツとの相性がいい。だが、細板は深雪で浮力に欠け、軽いせいで悪条件に弱い。プラブーツになってエッジングパワーが強化されたことで、それまで履けなかった太くて重い板と、頑丈なバインディングが使いこなせるようになった。

(注2) 奥さんをキャンプに連れて行くと、食事からなにから全部僕が担当する。で、ある時、奥さんと奥さんの友達を連れて一緒にキャンプした。僕が「夕飯ができるのは5時ごろだから、それまでに帰ってくるんだよ」と言ったら、「ママみた〜い!」で、その日から僕の呼び名はママになった。山の会でそんなことを話したら、会での僕の呼び名はママになった。