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2021年10月11日月曜日

Ride34軽井沢ランチ

もうすぐ、 娘が区切りのいい誕生日を迎える。その記念に何かをあげたいねと、奥様と話をしていた。で、夫婦の休みが揃った日、軽井沢にその何かを探しに出かけた。

現地集合で
奥様は車で
僕は自転車で

向こうで少しのんびり過ごそうと思っていた。朝5時に出れば10時くらいには軽井沢に着けるはず。ところが寝坊して、出発は7時。

利根川を渡る
遅くなったので、できるだけ効率の良い道を選ぶ。一番速いのは主要幹線道路なのだけれど、交通量が多くて路面も荒れている。そこで、一つ脇に入った道や、古の路、サイクリングロードを使って進む。
市街地から榛名に向かって進む
高崎市の豊岡という町で、碓氷川に移動てそこの土手の上を走る。最近は洪水が多いので、治水工事がそこかしこで行われている。
イノシシは出るけど市内です
安中からは、中山道の旧道を通って緩やかに標高を稼いでいく。
安中杉並木
この辺りは古くから栄えているだけあって、趣のある建物や、一癖も二癖もありそうな店がある。このお肉屋さんは朝8時から営業しているようだ。惣菜とか、肉の部位を説明するPOPが貼ってあって、かなり気合が入っている。
こーゆー店がいいんだよね
ん?と違和感を感じて近寄ってみたら。
惜しい…
まぁ、その、タイポに誰も気がつかなかったくらいに前からあるお店ということで。
妙義山が近づく
道は碓氷峠に近くなり、(旧)信越線の脇を通る。以前はこのまま在来線で長野を超えて上越方面まで行けたのだけれど、今は横川で線路は途切れている。在来線で行きたければ、横川でJRバスに乗り換えて軽井沢に抜ける。そこから今度はしなの鉄道?だったかな?に乗り換える。
たまにしか電車が来ない
碓氷の関所跡を越えると、いよいよ山道が始まる。
碓氷関所跡
とは言え、碓井峠旧道は自動車の能力が貧弱だった時に拓かれた道。エンジンのパワーも、ブレーキの容量も小さかったので、斜度はあまりない。道をクネクネと蛇行させることで、走行距離を延ばし、ダラダラと標高を稼ぐように設計されている。
中山道旧道(自然歩道)入口の東屋
なので、実は自転車でも走りやすいのだ。自動車だと幅が狭く感じる道路も、自転車ならばどうってことはない。

ブラインドコーナーが多いけれど、ポイントポイントにはカーブミラーがきちんとあるので、デイタイムランニングライトをフラッシュモードで点灯させるのが良い。もちろんテールランプも点滅で。そうすると、車がカーブミラーで僕のことを確認して、事前に注意して通過してくれる。
何度か寄っているCAFEは定休日
碓井峠の鉄道遺構
街道沿いには、鉄道オタクの皆様には馴染みのふかいところが続く。旧道は坂本宿のあたりから峠のトップまで、じっくりゆっくりペダルを漕いでだいたい1.5時間くらい。
さらばグンマー、こんちゃナガノー
碓井峠のカーブは184(イヤヨと覚えてね)
浅間山が近くに見える。
電線が邪魔…
奥様と待ち合わせして、誕プレをゲット。
久しぶりにこーゆーところに来たw
そして夫婦で仲良しランチ。
ノンアルです…
一応輪行袋も持って来たし、なんなら奥様の車のリアシートを畳めば、自転車は積んで帰れる。てなことを考えながらご飯を食べる。
ボリューミーw
で、結局、やっぱり、食べた分を消費したいので自転車で帰ることにした。明るいうちに帰りたいので、軽井沢滞在1.5時間www 奥様ゴメン
高崎公園から榛名山を眺める
下り坂なのであっという間に降りて来て、なんだか予想よりも早く帰って来てしまった。
白衣観音、「びゃくえ?」え? 「びゃくい」だと思ってた!
新しい発見を得た55歳の秋。ログはこんな感じでした。往復で120キロちょい、獲得標高1,000mくらい。荷物が軽いせいもあって、馬蹄形縦走の疲労が上手に抜けた…感じが…します。



2021年10月9日土曜日

Hike4 谷川岳馬蹄形縦走 One-Day (2/3)

馬蹄形縦走の2/3は、茂倉岳から清水峠まで。

この区間は、なだらかにアップダウンを繰り返す。標高1980mくらいの茂倉岳から、1600mまで高度を落とす。そして標高1700mの武能に登り返し、標高1500mを切る蓬峠に降りる。峠から標高1680mくらいの七つ小屋山を超えて、清水峠へ降りる。峠は最低鞍部に設けられることが多いのだけれど、ここの場合はちょっと違う。峠からから先もちょっとしたアップダウンがあって、最低標高は1400mを少し下回る。そこから1900mを越えるジャンクションピークに向けて、ひたすら登り返しとなる。

まぁ、ダラダラと書いてきたけれど、見晴らしのいい高原の中を、緩やかに登り降りしながら進むとイメージすればほぼ正解。茂倉岳から下降すると、すぐに特徴的な岩頭が見えてくる。この岩頭には立たずに進む。

岩頭の基部左側に巻道がある

岩頭をすぎると、目の前にドーンと武能岳が見える。武能岳の西面岩壁はなかなか立派で、どっしりとした風格がある。だが、茂倉岳まで来てこの景色を目にする人は少ない。谷川岳エリアの登山者は、天神尾根から本峰のピストンがほとんどだから。そして、立派な山容であっても、「見下ろす」というところが、あまりメジャーな存在にならない理由なのかなと思う。

ガーーーット降って武能への登り
武能岳の山頂稜線の向こう側に、ピョコンと頭を出した鋭鋒が大源太山。新潟側の平地から見上げると立派で、上越のマッターホルンと呼ばれている。

だが、この山も標高が低いが故に、ここからみるとそこまでの雄大さは感じないのだ。

武能への下りは、笹薮を刈り払って開かれている。笹の葉っぱや茎で足場が悪く、藪で足元が見えづらく、藪は朝露で濡れているため足元はぐっしょり濡れる。

武能に登り返して山頂稜線を進むと紅葉が残っていた。振り返ると、歩いてきた路が続いている。
ガスに隠れる一ノ倉と茂倉岳
武能から先を見下ろすと蓬峠ヒュッテが見える。肩の小屋が無人の避難小屋だった時には、このエリア唯一の営業小屋だった。

僕がこのエリアをよく訪れていた時は、ヒュッテは黄色に塗られていた。ある時は明るめのカナリアイエロー。ある時はオレンジに近い、濃いめの黄色。ノゾキあたりから蓬峠を見て、フワッとガスが切れると黄色いヒュッテが見える。ほっとするような、「あそこまで歩くのか」とウンザリするような、心持ちだったのを覚えている。
今のヒュッテは濃いグレーに塗られている
やがて登山道は斜度を減らし、笹原の中を縫ってヒュッテへと続く。僕はヒュッテに泊まったことはない。来る時はいつもテントだったのだ。最近は、あまり積極的にテント泊は受け入れていないと噂で聞いた。
ヒュッテの手前にテン場と池塘
確かにテント指定地は以前よりも狭くなっているような?というか、以前テン場だったところが池塘になっているように見えた。テン場が池塘になったのか?もともと池塘だったところをテン場にしていたのか?はわからない。
今回はただ通過するだけ
改装前には、こちら側に入り口と受付があった。狭い土間があり、そこを上がると板張りのスペースで、その奥にトイレ。板張りから左の扉を入ると宿泊スペース。両脇には上下2段の蚕棚。とはいえ、もう20年以上前のことだし、僕は板の間から覗いただけなので、定かではない。

雨水タンクとそこからの給水設備は充実していた。新しく設けられた入り口は給水タンクを左に回り込んだところ設けられている。その前のテーブルで、おじさん登山者がカップラーメンを食べていた。僕もおじさんだけど…
七つ小屋山への登り返し
早朝からひたすら登下降を繰り返ししていると、この辺りで感覚が麻痺し始めている。標高差100mくらいの登り返しなら、気がつくと終わっている。とはいえ、七つ小屋山の山頂で、清水峠が視界に入らず、もう一度登り返しがあるのを見ると…なんでこんな馬鹿なことやってるんだろうなとは思う。景色は綺麗だけどね。
紅葉した池塘の脇からもう一度登り返す
大源太山への分岐を後にして尾根道になり、北側を見ると大源太山の東面が見える。この山は新潟側の大源太キャニオンから、先ほどの分岐と蓬峠近くの分岐を使って周回するルートで登れる。
良い山なので一度はどうぞ
小さなピークを越えると、ようやく清水峠が見えて来る。手前の三角屋根はTEPCOの送電線等の管理小屋…だったかな?こちらは一般の人には関係のない施設。
清水峠にはかって国道が通っていた
そこのすぐ先には、JRの巡視小屋兼避難小屋がある。白崩避難小屋という名前で、小さいけれど頑丈で、中は上下2段の蚕棚になっていて見た目以上に広い。そして避難小屋としては珍しくトイレがあったような(記憶があやふやです)。

JRさんありがとう
この周辺にある避難小屋の成り立ちは、2つに分けられる。ひとつは、山で仕事をする人たちが万が一のために退避すべく建てられたもの。この白崩避難小屋や、白樺避難小屋などがそれにあたる。これらの小屋は、メンテナンスもきちんとされていて、ある程度の快適さも備えている。もう一つは、山岳遭難で亡くなられた方の遺族や関係者が、私費を投じて建てたもの。一ノ倉岳避難小屋や、笠ヶ岳避難小屋などがそれにあたる。これらは、命を守るための最低限の広さと設備しかない。風雪や雷雨を避けられて、ひと時の間難を避けられれば良いだけの空間。塗装や内装が痛み、補修もされずに朽ちていくことが多い。

このエリアが「群馬県境トレイル」として整備されたためか、登山ブームの盛り上がりのためかわからない。どの避難小屋も以前に比べて、よく整備されて快適度が上がっていたことは、歓迎すべき変化だと思う。

ただし、時期や天候によっては、避難小屋に泊まろうという登山者が集中する。僕もそれで一度痛い目にあったことがある。

避難小屋はあくまでも緊急時のためのもの、そんなふうにゆとりのある山行を楽しんでください。

どの口が言うのだ?というご意見は無用ですw

樹林帯に入り高度を稼いだのちに、森林限界に出る。目の前はジャンクションピーク…ではなくて、偽ピーク。あそこまで登って、さらに2段くらい登り上げる。

紅葉シーズンはまもなく終わる
つづく

2021年10月8日金曜日

Hike4 谷川岳馬蹄形縦走 One-Day (1/3)

谷川岳馬蹄形縦走日帰りは、甲斐駒ケ岳黒戸尾根日帰りと同じように、ハイカーとしては割と誇れるルートだ。普通は1泊2日のコースを日帰りするためには、考えなければいけないことがたくさんある。

体力とか装備とか、行動中の時間配分とかはもちろんだし、安全のための装備をどこまで準備するか。そして、単独行の場合は人に頼れない。もしもの時の、対応すべき装備は無駄になっても携行しなければならない。つまり、ここを歩いたということは、ハイカーとしての総合力がそれなりのレベルに達している、そんな証明になっているのではないかなと思う。

今回は写真が多くなるので投稿は3つに分けた。その1は西黒尾根を登って谷川連峰最高峰の茂倉岳まで。

両膝に故障を持っている僕は、走ったりしてペースを上げることが難しい。だからロングコースを歩く時は朝早く出る。そして、日没までに下山できるかどうか検討して、必要があれば夜に歩き出す。

今回は朝3時半に、インフォメーションセンターの駐車場をスタートした。月は見えないが、その代わりに星空がよく見える。西黒尾根を暗闇の中ハイクアップして、樹林帯から出るころに日が差してくる。

尾瀬の山々と上州武尊が浮かび上がる
僕は何度も西黒尾根を日の出前に登っている。その理由の一つがこの景色だ。
振り向くごとに変わりゆく光と陰
山頂方向を見ながら登るのが惜しくなるような景色。一歩一歩標高を上げ、景観が変わり、闇の濃度が薄くなり、陽光の色が暖かく丸くなり、そんな変化を味わいながら進む。
上州武尊山からの日の出
夜明け前は風もなく、シンとした空間が広がっている。たまに茂みを揺らして去っていく音はシカだろう。ピーッという、警戒音の後に、尾根筋の脇からもゴソゴソ音がする。
ラクダの背
やがて朝日が山頂を照らし、青空が広がり始め、スーッと風が吹き始める。
トマ・オキの双耳峰
振り向くとちょうど朝日が昇るところだった。
朝日に照らされる西黒尾根
右に目をやると、マチガ沢をの向こうに岩綾が横切るり、その裏側は一の倉沢。その向こうに、今日これから歩く山々が霞んで見える。

氷河跡と呼ばれる岩場
氷河跡とそこから連続する岩場を登り、西黒ザンゲ岩を超える、下降点を示す鉄塔をすぎると道は肩の広場の縁に飛び出す。トラバース気味に標高を上げてケルンに着く。
冬期になると、ケルンの基部はほとんど埋まる
西に目をやると、肩の小屋から、5〜6人のグループが出立の準備をしていた。肩の小屋もしばらく無人だったけれど、数年前?から有人小屋になった。夏だけの限定だとは思うけれど、この場所にしっかりした山小屋があるのはとてもありがたいことだと思う。
谷川岳主脈稜線と俎嵒への尾根
昼間には混雑する山頂も、6時前だと誰もいない。記録のためだけに写真を撮り、先へと進む。新潟方面にはしつこい雲が巻き上がっている。振り向いてみると、岩壁から捲き上る雲が、北西風に吹かれて渦をまいていた。
一の倉沢から捲き上る雲
オキ耳からノゾキを過ぎて、一ノ倉岳への登りにかかる。ここの取り付きを少し登ったところに、崩れやすく足元が悪く、スリップしたらダイレクトに一ノ倉沢にダイブする嫌なポイントがある。道がクライマーズ・ライトに回り込みながら標高を上げるのだけれど、その回り込んでいる足元は一ノ倉沢の絶壁なのだ。

特に残雪期、夏道が一部出ていて、夏道通しで登ろうとするとどうしてもここに導かれてしまう。もちろん僕も同行者も、この場所の危険は知っているので回避するのだけれど、なんとかならないのかと思っていた。

幸い?というか、登山道が崩落して、笹薮の中に新しいトレースがつけられていた。やっぱり崩れやすい場所だったんじゃん…事故がなくてよかった。
一ノ倉岳山頂から茂倉岳への稜線
一ノ倉岳登り返しを終え、ふと気がつく。「あれ?こんなに簡単に来れたっけ?」
オキからここまでは、意外と大変だった記憶が…

この春の、芝倉沢BCの記憶が蘇って来た。時期が遅れてしまって、稜線上は踏み抜き地獄だったんだ。数歩ごとに腿までズッポリ、そこから四つん這いで這い出して立ち上がるとまたズブズブと…

今日はもちろんそんなことはなく、穏やかな稜線を秋風に吹かれながら軽やかに進む。
芝倉沢源頭
僕は何度か芝倉沢を滑走している。アプローチと、湯檜曾川沿いの下降が面倒くさいのだけれど、繰り返し来たいと思わせるだけの魅力に満ちた場所だ。そこのドロップインポイントから見下ろす。画面外左側が茂倉岳山頂、そこから尾根を降って、こちらに向いた岩壁が特徴的な武能岳に登り返す。横に長い山頂を左に横断し、反対側を降り、延々とつながる尾根を歩き、画面奥の尾根を右に登り返して帰るのだ。
先が見えてるって、ある意味辛いw
茂倉岳で証拠写真を撮り、下降路へと向かう。
ここから先の笹薮とネトネトは登山靴ゴロシ
写真も多く、記録が長くなりすぎるので、(1/3)は谷川連峰最高峰の茂倉岳までとします。

2021年10月4日月曜日

Ride34 日光澤温泉へグラベルライド

奥鬼怒温泉郷は、女夫渕温泉跡から奥鬼怒スーパー林道のゲートを超えて、8キロくらい登ったところにある。
女夫渕駐車場のゲート、この先は砂利道の林道

問題は、ゲートから先は一般車通行止めで、自家用車はもちろんオートバイも入れない。僕のかすかな記憶では、以前は路線バスや乗合タクシーも走っていたのだけれど、今は廃止?されている。

温泉郷にあるお宿に泊まる場合は、宿の車で送迎はしてくれる。だが、日帰り客の場合は送迎は無し。(宿泊する人も送迎はしないよ、自力で来い!そんな漢らしい?お宿もあるらしい)

つまり、日帰りで入浴したいと思うならば、歩くか自転車で行くしかない(あ、ちなみに、手白沢温泉は日帰り入浴不可です)。
樹林帯の登りなので夏でも涼しそう

ここでちょっと微妙な問題があって、このスーパー林道は「一般車両通行止め」(注1)。
路盤の状態は良好
僕は以前から、この奥鬼怒スーパー林道を走り抜けたいと願っている。具体的には、グンマーの片品、尾瀬の玄関口である大清水から入る。そしてグンマー&トチギーの国境トンネルを越えて、この奥鬼怒温泉郷に降る。で、そのまま鬼怒川にそって下流に進み、途中から会津に抜けたらきっと楽しい。
谷の向こう側に未踏のスーパー林道が見える
でも、そもそもこの林道を開削する時に、自然保護と開発のせめぎ合いがあって、禍根の残る道でもあったようだ。で、僕の若い頃は、ここを好き勝手に走ってる人たちもいた。それが、僕がサイクリングから離れていた間に、いつの間にかここのゲートは固く閉じられてしまうようになっていた。
加仁湯の脇の橋から先はロストワールド
で、大清水からここ、八丁の湯の橋までは特別管理区域になっている。ここに入るには、グンマーかトチギーの役場に事前に申請して、「許可」を取らなければならない。そして、申請にあたっては「観光」ではダメらしい。
設備の整った加仁湯
八丁の湯に入って見たかったんだけど、橋の手前のゲートが降りていたので日光澤に向かう。ここに来るのは2回目だ。
建物の途中にくりぬかれた穴
ここは登山道をふさぐように建物が建っている。前回来た時は、ここを潜ってグンマーの丸沼湖畔に抜けたのだ。
20年ぶりくらいか?
案内板
この貯水マスは記憶にある
前回は20年近く前に、義理の兄と来た。丸沼高原スキー場に車を止め、ロープウェイで上がって日光白根に登山し、五色沼避難小屋で泊まった。翌日は前白根から金精山、温泉ヶ岳、根名草山と縦走し、ここ日光澤で入湯した(注2)。
タイムスリップしたかのような佇まい
受け付けをして、入湯料500円を払ってドボン。ここには泉質が異なるお湯が2湯ある。
上の浴槽は透明でサラピリ
上の湯はちょっと熱かったので、とりあえず下へ。
下の湯は硫黄の白濁
浴槽にはしきりが入れてあって、流れ出し側はぬるめで長く入っていられる。そこでとりあえずトポンと入って、ストレッチしながら体を慣らす。

出たり入ったり、下の湯でしきりの下流と上流を行ったりきたり。あきたら上の湯でアチチとか言いながら汗出して、また下の湯へ。
1時間以上?入ってたよw
上がり湯で上の湯に入った。ジャバジャバと気持ちいいくらいの源泉掛け流し。
複数のパイプで温度調整がされている
よく見たら、こんな告知が。
地震で泉質が変わりましたとのこと
自然の恵みってすばらしいね。

火照った体を、グラベルダウンヒルで冷まして車に戻り、遅めのランチ場所を探す。山王林道で戦場ヶ原に抜けたかったんだけど、「通り抜け不可」とあったので、霧降高原を抜けることにして鬼怒川の下流へ。
山味さん 初訪問
地元のお蕎麦やさん。ちたけそば(乳茸)があったので、迷わずそれを。
大盛りにしました、そばが別盛りなのは予想外
乳茸
このキノコは、傷をつけると、お乳のような白い汁を出すのだそうだ。ほんでもって、その汁のせいかなんだか、すごいいい出汁が出る。

ログはこんな感じになりました。

朝晩は寒く、日も短くなり、登山も長距離サイクリングも、山間部のヒルクライムも、そろそろシーズンオフが近そうです。

注1 自転車も車両なんですよね…一般じゃないって切り分けで、環境へのインパクトも小さくて、ほぼ歩行者みたいなもんだから、ゴニョゴニョって感じで今までは見逃されていました。ただ、今日聞いた話では、自転車については解決に向かっている?みたいです。詳しくはアナウンスが出るみたいです。本来は森林と自然環境の管理と、保全を目的とした道路なのです。地元の人、林業ほか保全工事の皆さん最優先であることを忘れずに利用させてもらいましょう。デイタイム・ランニングライトは前後つけておき、狭いところの離合は先方を優先するようにいたしましょう。

注2 これ…実はとても大変な山行になった。日光澤で温泉に浸かって体がめちゃくちゃほぐれたあと…峠を越えて丸沼の湖畔に出たんだよね。そしたら、路線バスが廃止になったか、運行期間を過ぎていたかで、ドツボにはまってしまった。丸沼湖畔から丸沼高原スキー場まで、歩いたら2時間はかかる。そんな僕らを見て、気の毒に思ったのか湖畔のお宿の方が、スキー場まで車で送ってくれた。お礼をいいに、泊まりに行きたいと思いつついまだに果たせていないのが心苦しい。

気をつけないと…バレちゃうよ?

僕は彼女が何を言っているのかわからなかった。
数秒後、やっと意味を理解した時には、彼女はもう向こうを向いてスタスタと歩いていた。

彼女は、廊下の角を曲がる前にこちらを見てにっこり笑った。そして、彼女が階段をタタタタと駆け降りる音が、殺風景なクリーム色をした10号館の廊下にリズミカルに響いていた。

彼女のショートカットの髪が、元気よく跳ねる様子が僕には見えた気がした。

僕は友達と話をしていた。当然のことながら、話題は彼女のことになる。

おい、なんだ、知り合いなのか?
いや、語学で一緒になったことはあるけど。 
あの娘、なんかいい感じなんだよな。 
そうそう、2年なんだよ、俺らと同級だね。

廊下は教室の北側に続いていた。対面にある法学部の、窓に反射した陽の光が差し込んでいる。廊下を舞う細かい埃が渦を巻いていて、彼女が放した羽毛がその光の中を漂っている。

あんな子いたっけ?本キャンに?
めずらしいタイプだよね、文キャンならいそうだけど。

僕の母校は学部によって、キャンパスがバラけている。理工学部はほぼ男。文学部は半々。そして、僕がいる政治経済法律商学教育の本部キャンパスは、90%以上が男。教育学部は少々女性の比率が高いのだけれど、それを均して出る比率で9割以上が男。

新入生は、選択した外国語によってクラス分けがされる。僕は中国語を選択したのだけれど、同じクラスに60人がいて、そのうち3人が女子だった。

そして、他のクラスの同級生からは、「お前らのクラスは女子の比率が高くていいな」と、羨ましがられた。他のクラスは比率というか…ゼロか二人。それくらい、ほぼ男子大学だった。不思議とクラスに女子が一人というパターンはあんまりなかったような気もする。それはなんらかの配慮だったのかもしれない。

僕は1年目の中国語で「不可」を取り、再履修となった。そして、同じように再履修になったらしい彼女と、何度か近い席に座った。大多数は新入生で、履修1年目。その中で、不可くらって再履修組は、自然に近い距離感で集まっていた。

彼女は、なんというか、人目を惹くタイプだった。

というか周囲が男ばかりなので、女性がただそこにいるだけで人目を惹くのだが…彼女が発する雰囲気というかオーラというか、わずかなシャンプー?の芳香だけで、僕らはなんとなく落ち着きを無くしてしまう。

で、そそっかしいらしい彼女は、時々ペンとか消しゴムを落とす。僕らはそれを拾って彼女に渡す。

図々しい奴等は、それを機会に彼女と連絡先を交換しようとか、お昼を一緒に食べようとか、そんなアプローチをしていたらしい。そして、みんな玉砕していた。

僕は男子校から、この「ほぼ」男子だけの大学に進み、数百人の男子学生が住む学生寮から通学していた。

寮生のみんなは知的能力に優れ、人間的にも素晴らしい奴等ばかりだった。だが、思春期の男子生徒が数百人も棲むという破壊力は甚だしい。通りの反対側をちょっと入ったところにあるN女子大の寮では、新入生のオリエンテーションで「あそこの学生には関わるな」と言われているとも聞いた。

まぁ、その、周囲が男ばかりの環境で育ち、男ばかりの大学に通い、男ばかりの学生寮で毎晩呑んだくれているという…関わらない方がいい集団…ではあった。

僕は、幸いにも姉がいた。幼い頃から、姉たちが僕をいろいろな意味で躾けてくれたおかげで、僕は女性と相対しても普通に話ができた。というか、「女性」という存在に、過大な期待も持たず、さりとて劣位に見て自分の価値を相対的に高めるみたいな、そんなクダラナイところから離れることができていた。

姉達を見ていれば、性別に関係なく人間は人間なんだということが良く分かったから。

で、そんな僕のことを、彼女はちょっと安心して見ていてくれたようだ。

教室に入るときに、彼女と出くわす。僕は譲る。

10号館の入り口は重い両開き戸になっていた。鉄製の枠に分厚いガラスが入っている扉を肩で押開けて入り、振り向く。時々、そのタイミングで彼女がいた。で、僕は扉が閉まらないように抑え、彼女はあかるく「サンキュー」と言いながら通り過ぎる。

そんなことが何回かあって、「紳士だね」とか、「やさしいね」とか言われたこともあった。

で僕は、「姉ちゃん達に怒られるからね」と、シスコン的な返しをしていた。

でもまぁ、情けないことに、彼女の顔はまったく記憶にない。僕もなんだかんだ言って、彼女のことは意識していたのかもしれない。意識していたからこそ、あえて彼女をじっと見ることもなかった。かすかに覚えているのは、彼女の大きくて、ちょっと薄い茶色の瞳くらいか。

で、だいぶ冷え込んできた冬の日、僕は廊下で友達と話をしていた。

彼女が後ろから近づいてきて、僕のダウンジャケットの肩を優しく触って何か言った。

「え?」 僕は何を言われたのかわからなくて、聞き返した。

彼女は僕のダウンジャケットを触った指先に、白い羽毛を摘んで僕を見つめた。

この太い指は僕のです

子供のたわいないイタズラを見つけてやさしく叱る、母親のような口調で言った。

気をつけないと…バレちゃうよ…?
何が…? バレちゃうって? 
 
天使だってことが…バレちゃうよ。

そして彼女はいつも通りスタスタと廊下を歩き去り、僕の友達は…

おい、なんだ、知り合いなのか?
いや、語学で一緒になったことはあるけど。 
名前は? 
?いや?知らんけど? 
なんだよ!勿体無い!聞けよ! 
そうそう、2年なんだよ、俺らと同級。

的なことを僕に言い募る。

すぐに年末が来て年が明け、ゼミの選考をくぐり抜け、サークルの雑事も増え、合間を縫ってバイトをこなす。そんな日々を過ごしていたせいか、彼女と再会することも、会話することも無く終わった。

彼女の顔は記憶の彼方に去り、僕の風貌は随分変わった。再会してもお互いに気がつかないのではないか?

冬に備えて出したダウンのブランケット、そこから飛び出した小さな羽毛。それを摘んで眺めていたら、30年近く前の思い出が、記憶の襞の奥からぽっかりと浮かび上がって来た。

もし、彼女に再会することがあれば…聞いて見たい。

僕の背中には、まだ、天使の羽が生えているだろうか?