この間の至仏山BCで、ハイクしながらモロちゃんと楽しい話をした。至仏山に来て周囲の山を見渡すと、テレマークスキーで登って滑った山がいくつもある。目の前の尾瀬ヶ原の向こうにある、双耳峰の燧ケ岳とかもそうだ。あそこは、凍結した尾瀬沼を渡って、ツェルトで泊まって滑ったなとかね。で、話をしているうちに、僕がどうやってBCを始めたのかを書いてみようかなって思った。
もう何度も書いてるけど、僕はスキーにどハマりしてた。学生時代に1シーズンアルバイトでお世話になったスキースクールがあった。そことのご縁がずっと続いていて、校長やら、デモ選とかに出るような他のイントラたちと一緒に滑るという、幸せなスキー生活を送っていた。
ところが、バブルが本格的に弾けて、スキースクールが閉校になることが決まった。そして、イントラのみなさんも散り散りになり、なんというか僕は虚無感に襲われた。で、僕はふと手に持った雑誌を読んで、山スキーを始めてみようかと思った。
その頃僕が住んでいた街には、ICI石井スポーツがあった。競技スキーやブーツはいつもそこで買っていた。わりと頻繁に行っていたので、そこの店でも山スキーやテレマークを売っていることは知っていた。
で、僕はアゾロ(ブーツ)と、ブラックダイヤモンド・シンクロX(板)に、ロッテフェラー・スーパーテレマーク(バインディング)のセットと、クライミングスキン(シール)を買ってテレマークスキーを始めた。
最初は浅間山周辺で練習した。
高峯山、東籠塔山から水の塔山周辺でシール登行、ツボ歩行を練習し、ゲレンデで滑りを練習した。そして、どのくらいの寒さまでなら、どんな服装で耐えられるのかを知るために、着の身着のままで駐車場の脇の樹林でビバークした。ま、仕事終わって車で移動して、夜遅くに着いて、着替えて外でビバークするだけだけどね。
夏山は結構登っていたが冬山経験は無い。ローカル小規模の小売店勤務で有給休暇とか連休とか取れず、平日休み。一般サラリーマンとは接点無いし、山岳会とかにも入れない。周囲に同じ趣味を持つ人もいなかった。しかたなしに単独行、一つ一つ段階を踏んで、経験を積むしかなかったのだ。
Yukama, Mt. Kusatsu Shirane |
一人でビバーク訓練?湯釜の近くで?できればやめて欲しいんだけどね〜 (嬉しそう)テントは禁止だからね!国立公園だからね!
え?テント持たない?ビバークだから? (さらに嬉しそう)寝袋だけはツライよ〜!えっ?寝袋も持たないの? (満面の笑顔)
オイ、天気予報チェックしろ!明日の最低気温は?バカ、それは下界だろ、湯釜の最低気温は?
…氷点下15度から18度くらいですね。後は風ですけど、北風で4〜5mくらいはありそうです。えっとねー、お客さん、湯釜周辺は、体感温度マイナス20度くらいになりそうなんで、訓練としたら最高かも。良く晴れるので、星も綺麗で、流星群も見られるかもね(注2)。ただ…放射冷却でもっと下がるかもしれないけど。え?行くの?仕方ないなー
で、そんなことをなんどかやって、少しずつ行動範囲を広げていった。
芽吹き |
ブナの樹林帯をハイクする(武尊牧場上部) |
武尊牧場から上州武尊を目指すが引き返す |
武尊牧場スキー場から上州武尊を見る |
注1 この時代の写真を見ると、ウェアの色彩がヤバ変。ゴアテックスかエントラントでウエアを揃えたいけど、安月給なので、ワゴンセールしか手が出せない。サイズが合うヤツはだいたい「色・柄」が不人気で残った不良在庫なので、そんなのばっかり買っていると、全身オレンジ、フリースは微妙な色のグリーンとかになっちゃう。
注2 この時、なにかの流星群が来ていたことは覚えている。1996年か97年くらいだろうか。
注3 テレマークスキーを履いてすぐはまともに滑れなかった。前傾過多で、前乗りの癖があったので、ターンの切り替えで前に転ぶ。これがテレマークで是正されて、結果、ポールのタイムが向上したのだから皮肉な話。というか、テレマークスキーをやってあらためてスキーの基礎的な技術を再確認した。レーサーほど、テレマークやったほうがいいと思う。
注4 当時はまだテレマークスキーそのものが黎明期だった。数少ない「上手くて強い」テレマーカーは山で滑っていた。そして、山に入れない、滑れない人たちがゲレンデにいる。で、ゲレンデテレマーカーは…あんまり格好良くない。口の悪い人は、「衣紋掛けスキーヤー」みたいに言ってた。ただ、ギョーカイと本人たちは、それが格好いいんだって言いたい?みたいに、衣紋掛けスタイルを「優雅で踊るように」みたいな表現をしてたような気が、気のせいでしょうけど、気がします。